◇「自然に出ちゃった」涙大相撲名古屋場所(ドルフィンズアリーナ)は14日目の21日、関脇御嶽海(25)の初優勝が決まった。
出羽海部屋からの優勝力士は1980年初場所の横綱三重ノ海(現相撲博物館長)以来、実に38年ぶりだ。
長く角界の本流だった名門部屋に新たな時代は来るのか。重圧を背負った入門から3年半。まずその一歩をしるした。
優勝を決めた勝ち残りでは表情を変えなかったが、NHKのインタビュールームで、思わず目頭を押さえ、しばらく顔を覆った。支度部屋へ戻って「出すつもりなかった。自然と出ちゃった」と照れくさそうに「説明」した涙。
両親や友人たちだけでなく、この特別な部屋を支えてきた数え切れない人たちの期待が集まっていたことも、十分過ぎるほど自覚していた。
この日は立ち合いに左四つ。栃煌山に先に右上手を許すと、呼吸を図って右で巻き替え。栃煌山が嫌うところをハズに当てて正面へ寄り立て、土俵を割らせた。
部屋の出来山親方(元関脇出羽の花)が「今場所は立派な相撲が多い。強引に攻めるわけでなく、でも攻め続ける」と評した相撲を、この日も取った。
2014年2月に部屋を継いだ現師匠の出羽海親方(元幕内小城乃花)は「私が継いでこんなに早くこんな経験をさせてもらって。(38年前は)私が入る前ですから。名門、伝統と必ず言われてきた。復活? そうなってほしいですね」と、愛弟子に感謝した。
◇創設156年、角界の本流
出羽海部屋の創設は、幕末の文久年間にさかのぼる。1862年に3代目出羽海親方の元幕下二段目桂川が興した。
「角聖」とうたわれた名横綱常陸山の5代目出羽海が高い志で部屋の運営と弟子の育成に当たり、大錦、栃木山、常ノ花の3横綱をはじめ多くの幕内力士が育った。
力士としての姿勢や規律も厳しく指導し、出羽海部屋は角界の本流となっていく。昭和初期には番付の東半分を出羽海部屋の力士が占めたこともある。
立浪部屋の双葉山が連勝街道を突き進み、人気でも出羽海勢をしのいでいた頃には、インテリ力士といわれた笠置山や親方衆が作戦会議を重ねて双葉山攻略法を研究した。本場所も巡業も一門別の競争が激しかった時代の熱気が伝わる逸話だ。
39年春場所、新鋭安芸ノ海がついに双葉山を倒し、連勝を69で止めると、優勝も出羽湊がさらって8年ぶりに出羽海部屋へ優勝をもたらした。
大部屋らしく、力士が多くて廊下にも寝ていたとか、ちゃんこ鍋を一度に大勢食べられるよう横向きに鍋を囲んだとか、大げさな話も含めた「出羽海伝説」もあれこれ残っている。
育った横綱は9人、大関が7人。日本相撲協会の理事長も3人。戦後の大相撲復興に尽くした元横綱常ノ花の出羽海理事長、現役時代は前頭ながら簿記を学んで協会財政安定化や部屋別総当たり制、ビデオ判定の導入など改革にも努めた元出羽ノ花の武蔵川理事長、巡業改革などに取り組んだ元横綱佐田の山の境川理事長。いずれも気概を持ったリーダーだった。
栃木山は3場所連続優勝の後、佐田の山は2場所連続優勝の後で引退するなど、散り際の鮮やかさも出羽海部屋の伝統といわれた。潔さが力士の美学として相撲界全体に広まったのも、出羽海部屋の影響力を物語っている。
◇名門に訪れた冬の時代
74年に出羽海部屋へ入門した出来山親方は「力士は大勢いるし親方も多くて、すごい部屋だなあと思った。稽古場ではとにかく師匠(元横綱佐田の山)が厳しくて、稽古がきつかった。それがあったから今があるんだけど」と話す。
日大で学生横綱になった出羽の花だが、押す、前に出るという基本を改めてたたきこまれた。名門部屋らしく生活指導も厳しかったため、出羽海部屋には礼儀正しい若い衆が多かった。
だが、時代とともに角界の潮流が変わり、出羽海部屋の力士たちは脇役に回っていく。「ちびっ子ギャング」鷲羽山、「鉄の爪」出羽の花、「フックの花」福の花、「男」両国、「技のデパート」舞の海…。多士済々の個性派力士が土俵を彩ったが、横綱・大関は三重ノ海を最後に出ていない。
「親方衆が多くて、みんな自分の相撲があるから、言うことが違って、気を遣っていろんな人の言うことを聞くと混乱するんだよね」。80年代、そう本音を漏らす力士もいた。
不幸もあった。90年2月、直前の初場所で新入幕を果たして勝ち越した22歳の龍興山が、稽古の後で倒れて急死したのだ。大阪出身で、次の春場所は自己最高位で地元へ錦を飾る目前の悲劇。同い年で切磋琢磨してきたのが小城乃花だった。
99年名古屋場所、ついに幕内力士がいなくなる。101年ぶりだった。10年名古屋場所では112年ぶりで関取も不在に。
十両以上は稽古で白いまわしを締める。出来山親方は「やっぱり白まわしがいないと寂しかった。千秋楽の打ち上げも、盛り上がらないしね」と振り返る。
◇栃ノ心が刺激に
そんな中、現師匠から名門再建を担ってほしいと口説かれたのが、東洋大でアマチュア横綱と学生横綱に輝いた御嶽海。昨今はともすれば就職先の一つのつもりで入ってくる学生出身力士が多い中、150年余も続く部屋の再建を入門前から託された力士はいない。覚悟のプロ入りだった。
順調に出世して三役にも定着したが、今年初場所は7連勝の後で1勝7敗。春場所は中日からの5連敗が響いて負け越し。先場所も終盤が2勝3敗で2桁勝ち星を逃した。
今場所も白星を並べながら、尻すぼみを危惧する声が少なくなかった。師匠は「とにかく2桁勝ってくれ。殻を破る気持ちを見せてくれと思っていた」という。
そんな中で、ひそかに刺激になっていたのが栃ノ心の初場所の初優勝と、先場所の大関昇進だった。
栃ノ心の春日野部屋は、出羽海部屋が分家を認めなかった時代、元横綱栃木山が特例として許されて興した。出羽海部屋と最も近い関係にあり、「稽古の仕方もちゃんこの味付けも一緒」と春日野親方(元関脇栃乃和歌)。
御嶽海は栃ノ心の開眼を見て「一緒に同じ稽古をしているんだから、自分もいずれできるかなと思った」という。来場所は栃ノ心に追い付く大関昇進のチャンスを迎える。
横綱・大関陣の復調具合、何より御嶽海自身がこの相撲をさらに自分のものにしていけるかなど、ハードルや課題もあるが、師匠は「(大関とりの)話があれば、さらに前向きに頑張ってくれるのでは」と期待を寄せた。(時事ドットコム編集部)
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180721-00000091-jij-spo
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