【訃報】アントニオ猪木さんが死去 79歳https://t.co/Mr1gouFfyw
元プロレスラーのアントニオ猪木さんが死去。79歳。72年に新日本プロレスを立ち上げ、その後プロレス全盛期を築いた。76年のモハメド・アリとの異種格闘戦は注目を浴び、世界中にテレビ中継された。 pic.twitter.com/ICR8Pu1XKL
— ライブドアニュース (@livedoornews) October 1, 2022
ネットの反応
燃える闘魂アントニオ猪木。
中学時代からずっと憧れ続けた人生の師とも言える存在です。
弱かった自分。
悔しくて強くなりたかった。
そんな時見たのが猪木さんのリング上で諦めない姿。
こんな風になりたくて一生懸命身体を鍛えた。
腕力は強くなったけど、それだけじゃ足りない事教えてもらった。
真似して続ける事で次第に心も強くなってきた。
鍛え上げられた美しい肉体。
逆境にあっても諦めない強い心。
老てなお自分の全てを曝け出し、ファンから励まされる事も多かったと思うけど、何よりファンである自分がその姿に励まされました。
猪木さんのお陰で人生が充実したものになりました。
お陰でこれからもきっと強くいられると思います。
心より感謝いたします。
安らかにお休み下さい。
本当にありがとうございました。
プロレスという仕事において、それを観る多くの人の人生観にまで影響を与えられた猪木氏は真のプロレスラーだと思う。晩年の姿は全盛期を知る人からしたらとても辛いものだったが、それを正面から受け入れて最期まで応援していた人達は真のファンだと思う。
これほど様々な人に影響を与えてきたレスラーは、残念ながらもう出てこないだろうな。
多くの人に勇気と元気を与えてきた素晴らしい人生だったと思います。今後の人生で自分はこれほど影響力を持てることはないと思いますが、少なくとも周りの数人は勇気や元気を与える存在になれるよう努力していきたいですね。
時折、猪木さんのことを思い出して自分が周りにいい影響を与えているか考えたいです。
アントニオ猪木さん ご冥福を祈ります。非常に心の広い、大海原のような人でした。
日本経済復活/成長期の昭和40年代、日曜昼のプロレスをまだ5歳
だった自分は何故か記憶にあります。
金曜枠では毎週欠かさず見てました。クラスではかなりの人が
夢中でした。
やっぱ寂しいですね。楽しかった幼少期が重なります。
ありがとう!同じ時代に出会えたことに感謝しています。
いや、もうほんと驚きでしかない!
昭和のプロレス黄金時代を築いて最後の大スターがついに本当の星になるとは…巨星堕つとは、まさにこのこと
猪木対モハメド・アリ戦は、プロレス以外の格闘技と対決することで、プロレスのさらなる可能性を求めて模索した結果なんでしょうね。
それがのちに芽吹いて、総合格闘技への道筋を開いたんじゃないでしょうか。
後進の育成にも力を注いできたし、頼まばバラエティにも出てくれ、素人にも闘魂注入してくれた、政治家になって北朝鮮に電撃訪問した。金正日とも昵懇だったらしいし、サプライズに尽きない人だった。
もうほんと、偉大過ぎて言葉になりませんね。
今はごゆっくりお休みください。
ご冥福をお祈りいたします。
私も小さい頃から猪木さんのファンで有り猪木信者でした、もう毎週のようにテレビに釘付けでした、猪木さんの入場シーン、会場いっぱいにする猪木コール見る方の体を熱くさせられ興奮させられました、リングインしてからの相手に対しての眼光はたまりませんでしたね、猪木さんの試合を見せられて勇気を元気を頂いた人は沢山いると思いますね、闘魂ビンタ!!!一度でいいから受けたかったですね、天国に行って、馬場さんとプロレス談義に花を咲かせてください、猪木さん、沢山の元気と勇気を有難う御座います。
猪木さんのご冥福をお祈りします。
今は、弱くてもいいんだよ、頑張らなくてもいいんだよという風潮で、それはそれで素晴らしいとは思うけど…
強さは正義!やればできる!そんなふうに励ましてくれる存在もやっぱり必要だと思います。
自分は世代ではないですが、訃報を聞いて寂しいです。ご冥福をお祈りします。
自分も中学時代に些細な事で同級生からイジメのターゲットになった時期、猪木さんの試合をテレビで観て非常に勇気づけられました。そして自分もこうなりたいと思い、実際、猪木さんの試合会場へ観戦に行ったり、ジムにも通いました。サインは一生の宝物です。
「元気があれば何でもできる」これは今もずっと心に置いてあります。
本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
世界的にも類を見ない異種格闘技戦を実現させた功績は永遠に語り継がれることでしょう。
アリやウィリアムスといった当時超々一流選手を相手にマジもんの闘いを見せてくれましたね。平日昼のテレビ放送ということで学生の身を当時どれだけ嘆いたことか‥…。今の見世物紛いのエキシビションマッチとは比べるのも失礼なくらい真剣勝負でした。
あれがあったからこそ後のK-1や総合系が生まれたとも思っています。
実業家としての才能まではなく失敗・借金という時代もありましたが全て持ち前の闘志で乗り越えられてきた姿は尊敬の対象です。
どうぞ、やすらかにお休みください。
親父が熱狂的なファンだった。
子供たちはいつもは暗くなるまで外で遊んでても、猪木氏がリングに上がる日は早めに帰宅し風呂・飯を手早く済ませて夜7時からの中継をテレビの前で待ち構えてたとか。ファンになったのは新日本プロレス設立以降だが、東京で対戦があるときは祖父にねだって直接応援に向かったそうだ。氏直筆のサインと少年時代の親父が猪木氏と一緒に写った写真は今も居間の鴨居に先祖代々の写真と共に恭しく掲げられている。
猪木氏は親父の中では死なずに今も生きてる。肉体は無くなっても、親父の記憶から消えることはない。
本当に傍から見てても数人分の人生を生きたような人だった。もちろんプロレス界では後にも先にも不世出のプロレスラーでありまさにスーパースターであったが、日本における総合格闘技の先駆者でもあり、政治家としても誰もできない北朝鮮とのパイプを維持するなど評価は様々だとしても世界を俯瞰する外交を個人でやっていた。あんな凄い人はもう出てこないだろう。
アントニオ猪木さん、かなり状態が悪そうでしたが、それでも、まだ頑張るのだと発信を行い、最期の最期まで燃える闘魂を貫かれたなと思います。
華々しく活躍された方が、病魔に犯されてやつれた姿の映像を発信するのは、とても勇気が必要なことだと思って見ていました。
強く逞しく、元気が一番というイメージを大事にして苦しい姿は世間に見せないということを選択せず、どんな姿でも諦めないという強い意志を世間に伝えておられたのだと思います。
メディアに取り上げられていたいという程度の気持ちでは、ここまでは出来ないと感じています。
ご冥福をお祈り申し上げます。
当時父親がプロレスが好きで、金曜の19:30から?毎週観てました。「なんだ…またプロレスかぁ」と思いつつ気付くと、いつの間にかアントニオ猪木さんのファンに。ビジュアルにインパクトはあるけど逞しい体、強い意志、何よりも闘魂に魅了されました。とてもカッコよかった!そして優しい口調、笑顔も魅力ある選手。闘病されていたのは知っていましたが先月の24時間テレビを改めて拝見し、だいぶ痩せていましたが「生きる」事、病と闘う事を前向きでいる姿にとてもとても励まされました。人はどんな時も、生きる力を失ってはいけないものだと考えさせてもらえました。辛く時には苦しい闘病生活であったと思うけど本当にかっこよかったです!!猪木さんの格言を初めて知り、聞き、最後にテレビを通して聞けて良かったし考えさせられました。「1.2.3.ダー!」はもう聞けないと思うと寂しいです…あちらで馬場さんと再会してるかなぁ。
往年の病気と闘う姿勢で尚更、「元気ですかー!?元気があればなんでも出来る。」の重みが増した。猪木さんが元気だった頃の落差から健康の大事さを強く実感させられた。だが体の元気だけでなく、心の元気でもこれだけ頑張れるのだという勇気も貰った。生き様があるからこその説得力、猪木さんは永遠のヒーローです。
高校時代の同級生で、身体が小さく障害があるけど明るくて人気のあった奴が写真集を買うほどの猪木ファンで、武術路線だった私もその影響でソコソコ詳しくなった、
全盛期を知らない世代には変な人って印象だが、友人に見せられたDVDやビデオ、写真集なんかで見ると本当に格好良いんですよ、当時芸術家にも影響を与えたって程だから当然なのですがね。これを機に30代のアントニオ猪木の試合を見てみて欲しい。
闘病中だとは知りませんでした。元気ではなかったんですね…
子供の頃僕の地域では、新日本プロレスの放送が日曜のお昼にやっていてビートたけしさんのスーパージョッキーと共にいつも楽しみにしていました。僕なんかには想像もつかないほど大変なことや大きな喜び、感動を経験されていたと思います。心からご冥福をお祈りいたします。
当記事にあるように猪木さんは北に26回も訪朝する程のコネ~人脈がありながら、そのルートを生かした形で日本人拉致被害者を直接一人も帰国させれなかったのを見て”一体何しにそんなに北に行ってたの?”と私的には思ってました⇔反面、国会議員になられて間もない湾岸戦争時に、イラクに乗り込み事実上”人質”として取り残されてた日本人の解放に尽力された功績はお見事!!と思いました。皆さん同様に、やはり猪木さんといえば、プロレスラー時代の”燃える闘魂・アントニオ猪木~!!”なんですよねw
伝説の”アリvs猪木戦”直前に、猪木さんの公開スパを直接見たアリ氏が、その強さと威力を目の当たりにし・ものすごい驚いた眼と恐怖を感じたような表情してたのは印象的で、当日の決戦はクラスの友達の家で皆で集まり食い入るようにTV生中継を観戦。
小さい頃のヒーローでした、、合掌。
24時間テレビでの猪木さんのお言葉。〜なぜ闘病生活を見せるのか~
カッコ悪い部分も見られる
それがあるがままだから
それでいいよと。
かつてのファンがガッカリするかも、、
そしたら意外や意外や逆の反応で
手紙の中に「カッコいい、カッコいい」
この状態で何がカッコいいんだよ。
でもファンの人たちは本当にありがたい。
期待を背負ってる以上は頑張る。
〜今、大事にしている目標〜
その時その時の
やりたいと思うことを逃げずにやる。
一生懸命リハビリに努めて
皆さんにまた「元気ですか」を送りたい。
そう言っていた猪木さん。
本当にありがとうございました。
もしお元気でいらっしゃれば、北朝鮮との関係も今よりも少しは良かったかもしれないと思うと残念です。数えきれないくらい行ってきてくれて話し合いをしてくれたと聞いてます。そこは謎の多い人物でしたが数少ない貴重な方だったことは間違いありません
猪木世代ど真ん中でした。
異種格闘技のなんとも言えない緊張感は今でも覚えています。
燃える闘魂
むちゃくちゃかっこよかったです。
自分を含めて情けない男たちにもっとビンタして欲しかったです。
自分も迷わず行きます。
ありがとう!
猪木さん全盛期、ドリフとプロレスを見るのがうちの定番でした。
あの頃はゴールデンタイムにテレビでプロレスをやってて仕事から帰ってきた父がビール飲みながら見てた。
24時間テレビでは元気な自分を見せようとしてくれる姿がカッコ良かった。
御本人はこんな姿の何がかっこいいんだとおっしゃってましたが
心意気や生き様がかっこいいんですよ。
本当に心から言います。ありがとうございます。
ショックが大きすぎます。子供の頃よく試合を見ていました。もう晩年ではありましたが、闘魂を恣にしたスタイルはカッコよかったです。
病気になれば篭りがちになるところ、敢えて闘う姿を発信する。強い人だと改めて感じました。
ありがとう猪木さん。お疲れさまでした。
長い間お疲れ様でした。最近のネットニュースでの猪木を見たらこうなることはそう遠くはないだろうとは思ってた。小学生の頃、金曜夜8時からのプロレス中継は楽しみだったのを覚えてる。良くも悪くも沢山の話題を提供したプロレスラーだけど、馬場、猪木がいなければ日本のプロレス界の発展は無かった。名勝負も数え上げればキリがないけど、個人的にはホーガンのアックスボンバーをくらって失神したのが凄く衝撃的だった。天国でいろいろあったとは思うけど、力道山、馬場、その他レスラーと思い出話に花を咲かせて欲しい。本当にお疲れ様でした。
子どもの頃、金曜日8時と言えばプロレスでした。
当時の小学生男子のほとんどは観ていたんじゃないかな?
まだ土曜日に授業があったころなので、土曜の朝はプロレスの話題やプロレスの技のかけあいで盛り上がっていたのを思い出します。
当然その中心は猪木。
水戸黄門的要素はありますが…
序盤劣勢でも終盤盛り返し、最後はコブラツイストとか卍固めから逆転勝ちしていたことをよく覚えています。
子どものころからずっとヒーローでした。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
プロレス何度もBI砲をみにいったな。
プロレススーパースター列伝は何回も読み、スターになる人は知らないところで沢山の努力をしていることも学んだ。
ホーガン、ハンセン、ファンク兄弟、マスカラス兄弟、まさにスーパースターだった。
この前の貴公子リック・フレアーの記事も懐かしかった。
いつまでも心の中で励ましてくれる、そんな気がする猪木さん。
本当にありがとう。
ご冥福をお祈りします。
闘病頑張っていらして きっと猪木さんなら復活してくれると思ってました
が… 1人、また1人と旅立ってしまうのはなんとも寂しいものですこの道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
ご冥福をお祈り申し上げます
本当にお疲れ様でございました。
自分の中ではプロレスといえば故馬場氏より猪木氏の方のインパクトが強かった。今よりずっと世間的にメジャーだった頃のプロレス全盛期の象徴であった存在。本当にお疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。
ボクは、新日本プロレス旗揚げ当時からの猪木ファンだけど、不思議とショックはない。これから徐々に寂しさ、悲しさがこみあげてきるのかもしれないが、猪木がやせ衰えた姿をユーチューブで公開してくれたから、覚悟は決めていた。普通、あんなことはやらないものだが、逆にファンにショックを与えないための、猪木なりのやさしさだったのかな。
カリスマ性、華があるという意味では唯一無二のプロレスラーだったと思う。猪木の試合の素晴らしさは、相手レスラーの凄さも引き出す事でプロレスの楽しさをより盛り上げるという事であり、それが並のレスラーとは違う。
「最後に勝つ負け方を知っておけ!」は著書のタイトルにもなったが、プロレスの奥深さを表す言葉でもあり、人としての長い人生においても心に留めておきたい金言だ。
普段は優しく大人しかった祖母が、8時のプロレスを楽しみにしていて、それを見ている時は「行け!」とか「今!」とか興奮しながら見ていたのを思い出す。
今はまだ物凄く淋しい気持ちが強いです。
愛された偉大なプロレスラーでした。
悲しい。いつかは訪れることですが。
そして心より、心より感謝申し上げます。 燃える闘魂アントニオ猪木。 子供の頃からずっとファンです。 皆さんもそうでしょう。
最後の最後まで戦う姿を見せて頂きました。
日本の文化の一面を確実に代表する偉人。 後世、歴史教科書レベルです。 安らかに。
これだけやりたい放題をして求心力があるのは
本当に不思議。
自分の権力の維持のためにまあ色々やったが
橋本真也もそうだし小川直也も上手く利用された。
他のコメントでも見受けられたが、初回のIWGP対ハルク・ホーガン戦での『舌出し失神KOシーン』には衝撃を受けた。
後年、アレがIWGPを盛り上げる為の演出と知ってビックリした!(対戦したホーガンも後で知ったとか)
この様に産まれながらのトリックスター気質で、世間を驚かせてきたアントニオ猪木。
不謹慎だが今回の訃報も、猪木ならではの演出と思いたい!!アントニオ猪木氏のご冥福をお祈りします。
自分の中であまりに死とは対極にいる往年の大スターで信じたくないというのが今の心境です
危険を顧みず、一見無謀なことでさえ挑戦して道を切り開くその姿から勇気づけられたのはプロレスファンだけではないでしょう未だコロナ禍が収束しない中、大病を患ってるのに24時間テレビに担ぎ出されていてとても心配していました
無理しすぎたのかな
番組作りも大切だと思うし、本人の強い意志で出演されたのかもしれないがいずれにしても配慮が足りなかったのではと思います
お悔やみ申し上げます
ありがとう猪木
24時間テレビを叩きたかったわけではないです
すいません
単純に命をもっと大切にしてほしいと
猪木さんが出たいと言っても出さない決断があって然るべきだと思ったのです
他にもハンディキャップを持つ方の出演に危うさを感じる場面がチラホラあったので。
平時ではないのだからそれこそVTRで出演でもいいし、病院からの移動やそこまでに接触する人との交流を考えたらリスクが高すぎるなと。皆さんの言葉にある、「死期を悟って何かを伝えなかった」というのは確かにそうかもと思い、ほんの少し気持ちが救われました
死期が近づくと、1日でも長く生きたいということよりも、残された時間の中この世に何が残せるかということを考えるようになると思います。
24時間テレビに出ることで、多少寿命が縮まったかもしれないが、それでも最期まで頑張る姿を見せて伝えたいことがあったんだと思います。
猪木さんは、意志に反して担ぎ出されるような人間ではないと思います。
彼の意志でテレビ出演されていたはずです。
どのように受け止めるかはその人次第ですが、出来る事ならば前向きに、ご自分の為になるような物の見方をされた方がいいのではないか。本当のところは本人にしか分かりません。だからこそ、受け止める自分の心が試されるのだと思っています。
信じた道を行く。行けばわかるさ。
24時間テレビ出演は良かったと思います。
本当に難しいのであれば猪木さん自身断ると思うし、それよりもあの姿に力をもらえる人が多かった・猪木さんも力を与えたかったという事での出演だと思います。最期まで全力の猪木さんらしくて素晴らしいと思います。安らかにお眠りください。
本人の意志もあったんじゃね??
24時間テレビが直接の引き金かどうかもわからんし、何より人を勇気づけたいという本人の姿勢ですよね?
逆を言えば、死期がが近づいていたという情報があったのかどうかは知らないが、メディアがそうやって配慮しながら、取り上げていたのはずっと猪木さんを見てた人からすると救いだったのではないかと思う。日テレ以外にNHKとかも取り上げてたよ。
誰にだって平等に訪れる死という現実最近は体調が優れない様子でしたが、それでも、猪木氏の対極にあるものだとずっと信じていた。
彼の破天荒とも言える人生、全てをさらけ出しがむしゃらに生きる姿、チャレンジをし続けることの大切さ、多くの人の憧れの存在、勇気をもらった人も多いはず。
もっと言葉にしたいことはあるが、涙か止まらない
力道山さんの、猪木さんと馬場さんに対する指導が思いのほか厳しいんだなというのを梶原一騎氏の漫画で昔読んだ記憶があります、盛り上げるためとはいえ、実際の訓練も並々ならぬ気迫で、すげー世界があるもんだなと当時思いました謹んで冥福をお祈りしたい
コメ主さん、24時間テレビを叩きたかったわけではないとはいうけど、結局あの体調でテレビ出演した(させた)ことを批判してるのに変わりはないでしょ。
「猪木さんが出たいと言っても出さない決断があって然るべきだと思った」とも言うけど、本人の意思を無視して周りが生き永らえさせる方が酷になるということもあるのでは?
「命をもっと大切にしてほしい」なんだかな
日本には自分で食事もできず排泄処置もできず自分が誰なのかもわからず生きている高齢者が大勢います。
ほんとうにそれで人生の終焉を迎えることが幸せなのかはわかりませんがまさに命を大切にする福祉がそこにはあります。
猪木さんには生きる希望をもらうことができましたありがとうございました。
円楽さんもだけど、70代で亡くなってもまだ早いと思ってしまう。ただ、プロレスラーという身体に負担をかかる仕事をしていたけど、80近くまで生きることが出来たのは逆に凄いと思いました。
力道山や馬場さんよりも長生きしたのは良かったです。ご冥福をお祈りします。
エンタだったプロレスを格闘技の領域まで挙げた人。異種格闘技戦でまさかのモハメドアリとまで真剣勝負で戦った。ボクシングvsレスリングというあまりに無茶な対決のため、勝利にこだわれば凡戦になってしまった。
そしてものすごい借金を背負い、新日本プロレスの社長の座を追われた。
ただ彼のスタイルは踏襲され、藤波長州から、前田高田のリングスまで全て彼の思いを受け継いだスタイルだった。
亡くなったのは非常に残念です。
基本的には異種格闘技戦もまたプロレスなんだが
プロレスラー同士の試合と違い、格闘技の人はいつ裏切ったり本気になったりするか分からない緊張感があった
それが一番顕著だったのがアリ戦と言われている
最初はあくまでもプロレスとして契約したはずなのに、いざ試合直前になると、お互いにシュート(真剣勝負)ではと疑心暗鬼
その結果、お互いに刀を持ったものの、鞘から抜けずに向かい合ったまま時間切れ
という感じの試合となった
アリ戦は確かに当時「世紀の凡戦」と評され確かに面白い試合ではありませんでしたが、リアルファイトの姿として後年は再評価されました。今の総合系などで眼の肥えたファンが観れば別の感動があると思います。
またウィリー・ウィリアムス戦では決着がつかず極真会側がウィリーのグローブを外して決着をつけようとした場面も忘れられません。たしかに裸拳であれば違う結果だったのだろうと思う自分がいる反面で猪木さんなら相討ち狙いででも関節を極めてたかも、とも思います。
せめて今のオープンフィンガーグローブが当時あったら、と。最近の見世物紛いのエキシビションマッチを観てもちっとも昂らないのは私が猪木さんの異種格闘技戦を鮮烈に覚えているせいなのでしょうね。
力道山にしばかれながら強くなって行った。
ジャイアント馬場は天才だから可愛がられていたそうだ。
猪木は入門当時は鈍臭かったらしい。
今の時代ならスパルタは御法度だからこういうタイプは生まれにくい。
だからと言って、スパルタがいいと言ってるんじゃないよ。
クーデター未遂は馬場に裏切られたということになっているが、
真相は分からん。
梶原一騎に軟禁されたこともあったな。
ウィリアム戦は最後までやって欲しかったが。
力道山の娘に会いに北朝鮮も行ってたな。
ご冥福をお祈りします。
>「エンタだったプロレスを格闘技の領域まで挙げた人。異種格闘技戦でまさかのモハメドアリとまで真剣勝負で戦った」
偉大な人でした。
しかしモハメッド・アリとの一戦は、恐らく観た人のほぼ全員が激しく失望したはず。面白かったのは試合開始時の高まる緊張と、双方が時間切れを意識して焦った最終ラウンド最後の30秒くらいかな。
アリは猪木に捕まることを嫌って近づかなかったし、猪木はアリのパンチを警戒して、試合の最初から最後までリングに座り込み、足だけで攻撃しました。だから小競り合いで終わり、勝負はつかなかった。会場にいた人は、高額のチケット代を返せという気分だったでしょう。
真剣勝負だったからこそ、最低の試合になった。負けることが出来ないビッグネーム同士の間では、異種格闘技は成り立たないこともあるということが分かりました。もちろん、挑戦したのは偉いけどね。
今見ると、アリとの一戦はメチャクチャ面白いですよ!
セコンドからの指示も鬼気迫るモノがあって、他の試合とは段違いの緊張感がありました。
何より、猪木がマウントを取りかけた一瞬の攻防にはゾクッとする凄みがありました。
「プロレスは八百長」だの
「ブック(台本通り)」だのといった声と戦った人。
猪木さんは
【格闘芸術】という言葉を使って説明してくれたな。
ボクシングや総合格闘技が「スピードスケート」なら、
プロレスは「フィギュアスケート」のようなもの。
「いかに魅せるか」「いかに観客を沸かせるか」が重要で
「いかにダメージを受けずに速く倒すか」とは
まったくの別物。まったく違う競技。
俺が見た時は「引退ロードカウントアップ」の頃。
世代がズレてて全盛期をナマで見ることは叶わなかったけれど、録画で見ても「おーっ!」と思う様な迫力が漲っていた(馬場さんも、ね)。
その時代のプロレスをナマ(あるいはテレビでも)リアルタイムで観戦出来た人たちは本当に熱かっただろうなあ。うらやましい。
猪木さん、おつかれさまでした!
藤浪、長州、前田、高田!!
懐かしい名前の羅列に思わず反応してしまいました。
馬場さんを含めプロレス黄金期を作り上げた面々。
中でも特に猪木さんは私のようにプロレスに興味がない人達をも惹きつけた功績ある人。
楽しませてくださってありがとうと言いたいです。
長州が、言っていましたね。
猪木がリングで闘っていると、それっぽく見えるのが凄いと•••
長州の、晩年言ったその言葉がプロレスの全てですけど、人材的に見劣りする新日(藤波•長州)を鶴龍のライバルレベルまで上げた手腕は誰にも真似出来ない。
その証拠に、馬場の弟子で名を残しているのは鶴龍、四天王+(大仁田)くらいのものだが、猪木の弟子は数え切れない。
学生時代の頃、猪木さんを応援しに良くプロレスを見に行っていました。
ハルクホーガンにやられて、動なかくなった試合を間近で見て、血の気が引きましたね。
そんな猪木さんも、やはり加齢には勝てませんでしたね。
心より、ご冥福をお祈りします…。
税金を使って北朝鮮へ何度も旅行したという印象が強い。なぜ政治家なんかになったんだ。