今は「人懐っこいおじさん」にクライド・ライトという名前に聞き覚えがあるだろうか? 1970年代後半に読売巨人軍が初めて獲得したメジャーリーグ出身の外国人左腕投手だ。
その気性の荒さからついた「クレイジー・ライト(狂ったライト)」というニックネームでピンとくるファンも多いだろう。
第1次長嶋政権で、王貞治さんや張本勲さんらと一緒に3年間プレーし、その後米国に帰国した。そんなライト氏が単独インタビューに応じ、日本での思い出やエンゼルスに入団した大谷翔平について語ってくれた。
日本在籍当時の記事などを調べると、かなり暴れ回っていたという記述が目立つ。ユニホームを引きちぎったり、通訳の首を絞めたりなど、かなり物騒だ。「クレイジー・ライト」と呼ばれる男へのインタビューに、正直ちょっと緊張していた。
だが、取材の場所で迎えてくれたのは、スラっとした体形にエンゼルス職員用の赤いポロシャツとチノパンをまとった男性。
とびきりの笑顔でジョークを飛ばしながら話す姿は、抱いていたイメージと違いすぎる。むしろ「人懐っこいおじさん」という第一印象だ。
◇王さんの再婚喜ぶ「Oh-san got married!(王さんが結婚〔再婚〕したんだってな!)」。こちらが質問を始める前に、向こうから突然こう切り出してきた。
「王さんは面倒を見てくれた女性と結婚したそうじゃないか。いいことだ。歳をとって1人でいることは地獄だからね。その辺の道端に行って、誰か結婚する相手を見つけた方がいい。
若いときは独り身でいたいけど、歳をとったらそうじゃなくなる」。王さんの近況についての感想を語った後も、巨人時代に出会った往年の名選手らの名前をスラスラと挙げながら、日本でのエピソードを楽しそうに話してくれた。
「クレイジー・ライト」は、そんなニックネームを付けた日本を嫌っていなかった。さまざまなプロフィルで1941年生まれと記されるライト氏だが、1943年の間違い。現在は75歳だ。
人口5000人ほどの米南部田舎町で、牛の世話などをしながら育った。地元の小さな私立カーソン・ニューマン大学で投手として活躍し、66年にエンゼルスでメジャー初登板。
直球は最速140キロ程度だったが、スクリューボールやチェンジアップなどの変化球を駆使。70年には今も球団タイ記録として残る22勝を挙げてオールスター戦のメンバーに選ばれた。同年に達成したエンゼルスタジアム初のノーヒットノーランは、今でもファンの語り草になっている。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180730-00010000-jij-spo
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