プロ野球、広島一筋で19年間プレーしエースとして球団最多の通算213勝をあげた北別府学さんが16日に亡くなりました 65歳でしたhttps://t.co/zLgzmnpRvI#nhk_video pic.twitter.com/uaQuqdQ0AQ
— NHKニュース (@nhk_news) June 16, 2023
【訃報】通算213勝の北別府学さんが死去、カープ黄金期を支えた名投手で沢村賞を2度獲得https://t.co/m9LZ5XamUp
65歳だった。1994年に37歳で現役を退くまで通算213勝141敗5セーブ、引退後は解説者として活躍、近年は闘病を続けていた。チームは16日の西武戦で喪章をつけてプレーする予定。
— ライブドアニュース (@livedoornews) June 16, 2023
ネットの反応
65歳と言えば今はまだまだお若いのに…
3年位前まで地元のテレビなどにも普通に出演されていたのに残念です。長く闘病されて十分頑張られたと思います。
ずっと良くなって欲しいと応援していてブログなども拝見していましたが、奥さんや家族の献身的な介護の様子も印象的でした。
ご冥福をお祈りいたします。
母校の偉大な大先輩です。高校3年間、往復40キロを当時は整備もされていない帰りは真っ暗な山道を毎日自転車で通学した努力家です。鹿児島の高校からも誘いがあったみたいですが、当時はバスの数も少なくそれなら自転車で都城の高校まで行った方がはやいと、金もかからず身体も鍛えられると一石二鳥だと。それが強いあの強い下半身を作ったとこ自身も言っておられました。
親戚が同級生で、自転車で来てるのをみんなびっくりしてたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
北別府選手がまだ20代前半の頃、スタジアム練習時の出待ちをしてサインをお願いしたら、快く応じてくれました。
それを見ていた関係者のおじさんが「お前もそうようなことせんこう、兜の緒を締めにゃあいけんのう。」と。
北別府投手はそんな嫌味を華麗にスルー。暖かくてかっこいい人だったなあ。
入院する少し前、当時HR王を独走していた大谷の攻略法を聞かれた北別府氏は、
「私なら、内角のボール球で腰を引かせ、最後は外角の変化球で料理する」
と、独特の渋い表現で、嬉しそうに大谷封じを語っていた。早く元気になって、村上の攻略法も教えて欲しかったのに残念でならない。
大野、北別府、川口。みんなカッコ良かった。
天国からカープと日本のプロ野球を見守っていて欲しい。
残念でならない。ジャイアンツファンだが広島の3トップエースにはやられていたイメージしかない。その中でも北別府さんの投球にはいつも熱い思いを感じて、力と力のぶつかり合いをよく見させてもらった。まだまだ若手へのアドバイスなど野球界で活躍してほしかった人です。ご冥福をお祈りします。
鹿児島出身者としては最も偉大な野球選手だと思っている。同じ学年だし応援していた。奥さまは同じ鹿児島県霧島市出身で、ミス東京にもなり、女優もされ美人だった。
日本野球界最後の20勝投手じゃなかったかな?
引退後ももっと長く活躍されると思っていたが残念です。
ご冥福をお祈り致します。
巨人ファンです。当時小学生だった自分は北別府という名前が大嫌いだった。北別府がマウンドに立てば巨人は勝てない、今日も巨人は負けるのかと、苦々しい悔しい思いばかりした。今でも広島のエースといえば?と聞かれれば北別府と答える。本当に偉大な投手でした。
全盛期を知る私としては、本当に残念の一言です。まだ若いのに。抜群のコントロールは忘れられないです。私個人としては、北別府さんが指導者となっているところを見たかったです。心からご冥福をお祈りいたします。
日本の歴代の名投手を挙げよと言われたら北別府さんを挙げる人は少なくないでしょう。全盛期はパリーグファンの私でも常に成績をチェックしていた選手です。
闘病されているという報道は聞いていましたが、治されて再び野球に関わる仕事をされるものと思っていただけに、残念でなりません。
具体的な病名までは覚えてませんが…少し前に何かの病気で体調を崩されてるとはミミにしましたが、まさかこんなに早くおなくなりになるとは…合掌。
旧近鉄ファンですが、昭和の悲願の日本一を争った中で江夏の21球など正に2年間死闘を繰り広げましたから記憶も鮮明です。
結果的に日本シリーズでは勝ち運に恵まれませんてましたが、そもそもエースの北別府さんの存在無くしてリーグ制覇できなかった訳ですから、なんら責められる理由もありません。
どうか、天国でも後輩達を見守ってあげて下さい。
氏と同郷です。
ご近所のおばちゃんが、氏の親戚であり、
結婚式に出席されたので、後日、
お写真を見せて頂いたことがあります。
子ども心に、「こんな田舎から、すごい人が出たもんだ!」と思ったのを覚えています。
ご冥福をお祈り申し上げます。
北別府さんは私が子供の頃広島の全盛期を支えたエースで、精密機械のような数分の狂いのないピッチングが印象だっただけに、北別府さんが投げる試合は勝てないというイメージがあり、広島の生え抜きとして213勝は見事でした。。北別府さんに続き、フォークボールの神様で215勝の杉下茂さんも亡くなられ、わずか1時間の間にレジェンド2人の訃報を聞いて悲しいの一言です。お二方とタイプは異なりますが、速球派の小松辰雄さんは北別府さんと同じ時期に中日のエースとして活躍し、背番号も北別府さんや杉下さんと同じ20番、小松さんにとっては強い影響を受けた投手だったと思います。(北別府さんは同じ時期に投げ合った良きライバル、杉下さんは中日の大先輩)
北別府さん、杉下さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
現役時代の活躍を知るがん患者です。北別府さんのご病気、成人T細胞白血病について、がん患者の勉強会で少し聞いたことがありますが、患者数が少なく症例の積み重ねも少なく、効果的な抗がん剤もほとんどなく、非常に治療が難しいと聞きました(国立がんセンターのHPも同様の内容でした)。大体2年ぐらいでほとんどの患者が力尽きてしまうということも聞きました。私は治療法が確立しているがんなので、北別府さんの闘病生活の厳しさを思います。ブログもよく読みました。3年間、本当に頑張られたと思います。野球につながることが生きる力だったのだと思います。どうか野球の神様のもとでゆっくりお休みください。
奥さん、先日も「もう一度自宅に帰してあげたい」みたいなことをおっしゃておられて、正直状況は良くないだろうとは薄々感じていたのですが…。他球団ファンですが、なぜ豪速球もないこのピッチャーが打てないのかと子ども心に悔しい想いをした記憶が甦ります。正に針穴を通すコントロールだったんですね。悲しいし、残念で、なぜか涙が溢れてきます。もちろん本人はまだまだやりたいことがたくさんあって、一番悔しいのは本人でしょう。謹んでご冥福をお祈りします。
私も他球団ファンですが、北別府投手の現役時代の活躍はもちろん賞讃に値するものですし
引退後の野球界に対する温かい言葉の数々に癒されてきました。奥様もたいへんなご心労の中、北別府さんが体調不良の折には
病状など発信していただき感謝申し上げます。
ご冥福をお祈りいたします。
昔からの中日ファンですが、当時狭かった名古屋球場、広島市民球場でも北別府さんにはいつも抑えられていた記憶しか出てきませんし、鮮明です。本当にいい投手でした。
ご冥福をお祈りします。
犬猿の中だった高橋慶彦さんとは、時を経て、いろいろ和解したと聞き、慶彦さんのYouTubeにも元気になられたらご出演を期待していたばかりに、とても、残念です。
去年のズムスタでのレジェンドゲームでも、名前が呼ばれた時は、胸が締め付けられる想いでした。ご冥福をお祈りします。
巨人ファンです。
奥さんおっしゃってましたね。グランドに戻る事を楽しみにしていました。現役の頃には散々やられた記憶しかないです。
ペイさん、早すぎですよ。我々ファンも野球界を盛り上げていきますので見ていて下さい。
2、3日前な奥様のブログで、意識が薄れて来たけど、もう一度家に連れて帰りたいとの事でした。お子さんたちから送られた、椅子に座らせてあげたかったんですよね。
同年代ですが、素晴らしい投手でした。
ご家族にも心からお悔み申し上げます。
子供の頃から阪神ファンでしたが
カープの投手で「この人が登板したら敵わないな」と思った方が3人いました
大野豊さん、北別府学さん、ストッパーの津田恒美さんです
北別府さんはコントロールが抜群で
先発が発表されるともう諦めモードになって
虎キチの父から「試合が始まる前から負けるなんて言うな」とよく怒られてました
精密機械北別府
達川さんはミットを動かすこと無く捕球できたと言っていた
スピードの記録はどんどん塗り替えられているが、コントロールでこの人を超える人はまだ出てないんじゃないか?
なじみのある選手の訃報はつらいなあ。
スタンドで見た北別府投手、ではなく奧さんの美しさが衝撃的でした。
ご主人様のご冥福をお祈りいたします。
虎ファンです。
流れるような美しい投球フォームと見事な制球力に敬服していました。
残念です。日本プロ野球を見守っていて下さい。
ただただ残念でならない。もっと長生きして家族とゆったり過ごしてもらいたかったし、カープが日本一になるところを見てもらいたかった。
全盛期を知るものとして、寂しいの一言ですね。
北別府さんといえば針の穴を通すような抜群のコントロール。
今のように150キロを軽く超えたりするようなスピードボールはなかったが、抜群のコントロールでねじ伏せていくようなスタイル。
現代の若い投手たちにも見習わせたいピッチャーでした。
初期ファミスタに「きたへふ」で登録されてましたね。「おおの」「かわくち」と3人でバンバン勝っていた印象があります。
当時の巨人戦中継はライバルも強力で面白かったのは間違いない。
悲しいですね
「ピッチャーはコントロールだ!」を体現する大投手でした。
美しいフォームから繰り出すキレのいいストレート、大きく割れるカーブ、鋭いスライダー。それらをコーナーにズバっと決めるコントロール。
今もその雄姿は目に焼き付いています。
お疲れ様でした。どうか安らかにお休みください。
びっくりしました、闘病中だとは、知っていましたが、まだ若いのに残念です。御冥福をお祈りいたします。
北別府さんは、長年母校の都城農業高校の野球部にボールを寄付していたし、野球部時代は毎日自転車で20キロぐらいの距離を通学していたし、寡黙で努力家のイメージが有りました。
セ・リーグの他球団ファンでしたが、当時の広島は羨ましい程の投手陣でした。
子供には北別府さんはいつも寡黙で怖い顔をした選手のイメージでしたが、引退後のテレビで見る笑顔や話す姿とのギャップが、とても好きでした。
コントロールの魔術師でしたからね。
好調な打者が相手なら、最初にボール玉3つ投げて、そこから打ち難いコースで2つストライクを取り、最後はストライクとボールのギリギリのコースで勝負すると言う事を当たり前の様に語っていたのが印象的です。
オーサーの方も書いておられますが、キャッチャーミットが1ミリも動かずボールが収まっていく様が印象的でした。
バントの構えからバスターでホームラン打ってしまっちゃうくらいバッティングも巧かったのも記憶してます。
ご冥福をお祈りいたします。
マックス速度は144キロと平均的なスピードでしたが、スライダーを軸にして横に流れる球(シュート、シンカー、カーブ)を使い分けてまさに人間版ピッチングマシンでしたね。
カープファンですカープ 「北別府」「大野」「川口」
ジャイアンツ「斉藤」「槇原」「桑田」
球史に残る3本柱!
あの頃はカープとジャイアンツの戦いが本当に面白かったです。
コントロールのいい投手はたくさんいますが、北別府はそこからも頭ひとつ抜けていた。
力のある球は持っていなくても、北別府は投手の完成形の一つだと思う。
>カープ 「北別府」「大野」「川口」
ジャイアンツ「斉藤」「槇原」「桑田」
球史に残る3本柱!そうですね。
「1点先に取った方が勝ち」でした。
今から思うと、とても豪華な投手戦です。
北別府さん、空からカープを見守ってください。
驚きました…ショックです…
剛速球でもないのに、精密機械と呼ばれたコントロールで若くしてエースに成り上がった逸材。
20世紀最後の200勝投手といわれ、その後は日米通算でも数えるほどしか達成されていない。
まだまだ後進を見てほしかった…合掌…