女子大会出場求める米競泳トランス選手の訴え棄却 CAShttps://t.co/TJPoKUOHvM
これは権利というよりただ図々しいだけだと思う。
体は男=筋力は男、その状態で女性にまざって競技したいと言われてもアホだろとしか…。#トランスジェンダー— kino (@kinoshi10779644) June 13, 2024
ネットの反応
スポーツの大会で分類に使われてる男女は、性別ではなく、型の違いだと思います。
配慮して、I型とII型にするとかなら出来そうですが、自分の属する型でしか大会に出場できないことを認識すべきだと思います。たとえば、技術的進歩によって、義足の方がどんなに早く走れるようになっても、この大会の参加難しいでしょうし、トランスジェンダーかどうかに関わらず、個々人が選手を志す前に、差別ではなく区分があることを理解した方が良いと思います。
もはや男女(man/woman)大会という呼び方すら変わるのかも。
生得的αタイプ(male)と生得的βタイプ(felame)とか。
心のありよう(gender)ではなく生物学的特徴によって分類するというのが要旨になりますね。
トランスジェンダーに保証される権利は、女性のように生きたいであって、その中に
平凡な男性アスリートだったのが、歴史を覆す女性アスリートは含まれんやろう….
権利の乱用だと思う、この方の考えが通るなら全スポーツ男女混合でやるのと同じになる。女子に活躍の場は無くなってしまう
女性なんですと主張するばかりではなく、自分は特殊で少数派だと言う立ち位置も理解することも必要では?じゃなきゃ女装して女湯入る輩と変わらないじゃん。
人間は何をもって性別が決まっているか。それは生物としての物理的なつくりによって決まっている。けっして自らでそれを変えることはできない。精神的に男でありたいとか女でありたいとかで自らが決められるものではない。それをもってスポーツの場において競技的にイコールコンディションで戦うことを前提にしている場合、選手はそれに従う事がルールだ。競技が性別で行うことを前提にしているなら従わなければならない。判決は当たり前でごく正当なものだ。
スピードや体力を競う競技では、肉体遺伝子的に男か女で明らかに違いが発生する。
例え精神と肉体が別々であっても。これは避けることはできない。それでももし競技会に出たいというなら、パラリンピックにジェンダー区分を設けて貰ったら?
と個人的には思う。まぁオリンピックでもいいけど、競技種目はジェンダー枠で。
で、もう一つ嫌らしく感じるのは、男性の肉体に女性の心を持った人間のスポーツ参加希望はあるようだが、その逆(女性の肉体に男性の心)は寡聞にも聞いたことが無い。
勿論、出れば間違いなく負けな訳だけど。
つまり「自分は心は女よ」と競技会に出ればメダルも取れるかもしれないから出たいと希望するのはどうなんだ?
ズルイと言うかセコイと言うか。。。(もちろん個人の勝手な推測ですけどね)
ある程度理解はある方と自分では思っていますが、流石にこれは聞いてて呆れる。どうしてもその参加したいのであれば、女子の水着着て男子の競技に参加すれば良いと思いますよ、体は男性なんだから。そして男性に混ざったら勝てないとかであればそもそも大した選手じゃない。
パラリンピックの方でジェンダー部門作ればいいんよな。元男性の女性金メダリストが続出するような五輪なんて見たくないわ…。
性転換したって、生育過程が男性で男性同等の体格のままだったら、記録を争う上で不公平以外の何者でもない。今の規定は維持されるべきだよ。
骨格からして違うのに、女子部門に出たいとは何を言ってるのだろうかと思いますね。
柔術をやっている知り合いから聞きましたが、男性と女性では力の差が4〜5倍はあると。
鍛えていたり護身術を習っている女性でも、男性には力ではほぼ敵わない。その分精神的には男性より女性の方が強いそうです。
全く同じ意見で、主のコメントは正直スカッとした。LGBTQを自認し、発信することには何の問題もないしむしろ尊重したい。
でも自分が正しい、誰もが認めろ、自認している性別と完全に同じ権利を与えろっていうのは違うと思う。
精神的な性別、という概念を全否定するつもりは毛頭ありませんが、時と場合によりますよね。
性的マイノリティに限らず我々は生まれ持った条件の下それぞれに限られた選択肢の範囲で生きていくしかありません。
見た目は男性ですけど中身(心)は女性です。しかもレズビアンなので男性ではなく女性を愛します!ってそれは普通に男性だと思う
>もしこれが体格が女性並みに小柄だったらどうなのか?→スポーツ選手に向いてない。
それだけの事です。
それでも、身体が小さくて力が無い男性にも活躍の場はあります。
因みに私自身の場合は生まれつき色覚に問題があり、例えば電車の運転士には逆立ちしてもなれません。
計器や信号を読み間違えて人様を危険に晒すリスクがあるからです。
だから差別を受けていると感じた事は一度もありません。
親から貰ったこの身体で出来る事を精一杯やるだけです。
この選手や彼女に賛同する人も自分が言う通りになればスポーツにとって最も重要な競技の公平性を損なう結果になる事を考えて欲しい。
>それは生物としての物理的なつくりによって決まっているいや、物理的なら工事で作り変えられる
変えることができないのは持って生まれた時の遺伝子
これによってホルモンの分泌も変わり、骨格や筋肉量の男女差ができる
ジェンダーは後天的な男女の違いにすぎない
条件が等しくあるべきスポーツは、ジェンダーは線引きするべきだと思う
生まれにおいて有利な人が競技スポーツに参加するのは不公平という議論が、大量に書きこまれているけど。もともと競技スポーツは生まれにおいて有利な人々同士が競ってるわけで、一般論としてトランス女性だけ除外する理由はないはずでは。記事にある判断も、あくまで「男性として思春期を過ごしたトランス…女子選手」を除外するというものになっていて、単純に男女で切り分けてるわけではない。男性として思春期を過ご「した」なら、その後トランス女性として生きてても除外するとも読める規定の妥当性自体疑問ではあるけど。
何より、興行としてのスポーツが最終的に一部のトランス女性を除外する判断は、性質上裁量の範囲と言えるかもしれないけど、スポーツ全体の振興を考えるときに、特定の属性の人たちを排除するのが当たり前、みたいな話になるのはおかしい。例えばオリンピックは興行なのか文化なのか。後者なら排除はいけないでしょう。
こう言っては申し訳ないんだけども…
女子選手の中には、本来の身体的機能が働かなくなるような運動量で身体を鍛えている人がいると思うんだよね。
そう望んでの事ではなく、負荷をかける事によってホルモンバランスが崩れるなどして、そうなってしまうのかな?と思うんだけど…
そうまでしてスポーツに取り組んでいるんだよね。
それを考えると、何だかおかしな感じになる気がする。
同じ仕事をしているのに男女で違う給料が規定されているはおかしいと思う。性別ではなく人間を判断してほしいので、履歴書には別に性別欄はいらないと思う。でも、お風呂やトイレは身体の構造の違いによって分かれていてほしい。スポーツ競技は身体の構造の違いから差があるので、分かれていてほしい。
違いにはあっていいものとなくてもいいものがあると思うんだけど、スポーツ競技とお風呂トイレ更衣室は身体構造によるちがいがあっていいと思う。
スポーツも風呂トイレ更衣室も心の性別より身体の性別がものを言う場所ですしね。
特にスポーツは肉体で勝負する場であって心の性別なんて競技には関係ありませんし。
差別はダメだけど、区別は必要ってことですよね(^_^)
気持ちだけが女性で身体能力は男だったら、男女の区別があるスポーツ界は無茶苦茶になってしまう。女子の世界記録がすべてトランスジェンダーが占めてしまう可能性もあり得る。トランスジェンダーだけの大会を考える所まで来ているのではないか。
私もせめてパラかジェンダー枠じゃないの。と思いました。
ジェンダー枠を作って欲しい。
選手としてパラに参加させて欲しい。
がまず先なのでは?
普通に考えて男女で体格差がある訳ですし。
この人か分かりませんが、ジェンダーの選手が女子更衣室に入ってきて女性選手達がトイレで着替える等問題がありましたよね。
本人達も大変なのだとは思いますが、ジェンダーなのだから何でも配慮されるべき。
みたいなのは違うと思います。
この話題があると思いますが
声をあげるのは いつも
心が女性で 肉体が男性の方ばかり心が男性で 肉体が女性のトランスジェンダーの方で
「私は 男性競技者として出場したい」
「私は 男風呂に入りたい」
「私は 男性トイレを利用したい」
とは 一切 声をあげませんね
肉体が女性では 男性競技者には敵わないから
「男性競技者として出場したい」なんて 言わないでしょうね
女性競技者と戦えば勝てる自信があるから
「女性競技者に加えろ」と言っているのでは??と邪推してしまう
スポーツ上での性別は生物学的性別のみで判断するべき。
社会的性別はスポーツには全くそぐわない。
これを混同して同じように語ることをするならば、スポーツとして生物学的性別の女子の種目は消滅することになる。
混同して誤魔化しとも言えるこの主張は感情的部分を利用したやり方で、正直ズルいと思ってしまう。
なでしこジャパンが男子高校生との試合でボコボコにされてるのを見た。
もしこの男子高校生達が「心は女性なので」と言って、女性の大会に出場することが可能になったら無双状態でしょう。
生まれ持った身体的な性別で分けることは明確な「区別」であって、性的少数者への「差別」には該当しないと思う。
トランスジェンダー枠を求める活動なら理解は出来ますが、男性の体格、筋力で心が女性だから女性枠?ずるいと思う方が大半だと思います。
そしてこの問題、生まれ女性の方が男性枠で出たいとの訴えはないですよね(私が知らないだけであるのかもですが…)
競技によっては体重で階級を設けてたりするぐらいですし、ご本人には気の毒ではあるけれどスポーツに関しては身体的な性別で分けるのが妥当だと思います。
個人的にはルールを変えさせて女子の枠で活躍するよりも、トランスジェンダーでありながらたとえ勝てなくても身体的に分類される枠の中で競技に挑む選手を応援したいです。
アリに憧れる人間が「私はアリ」とその日からアリになるのは自由ですから認めますが、アリとは体の構造が違うのでアリの巣で暮らそうとすればアリの社会を壊す事になります。私は○なのよ!そこで暮らしたいのに何故ダメなの?!と自分の幸せばかり考えないで、自分に与えられた物を見つめ、自分の愛する世界を見つめ、どうすることが良いのかキチンと考える必要がありそうです。
そもそも女子スポーツの上位がジェンダーで占められたら、もう女子スポーツは見ないよ。
同じ土台での僅差の戦いだから面白いのもあるし、今までの記録が女子の記録であり、それをどう超えてくるかに興味があるし、何より女子は華があるからというのもあるだろうし、それが全部なくなるんですから自分的にはアウトですよ。
逆に女子アスリートからしても同じなんじゃないかな?やる気失せる人が多数を占めると思う。ただ、ジェンダー枠ができるならそれはそれで面白そうなので見るかもしれませんし、これこそ平等というやつだと思いますね。
社会学者の先生が「多様性を認めると、大多数が何かしら我慢することになる」と仰せでした。
真理だと思います。どんな人にも配慮や理解は必要だし、それぞれの責任のもとで自由に生きて良い、しかし入ってほしくない領域はあります。
これが認められたら各方面、おかしくなってしまいますね。
女子とオープンの2つにすれば良い。男性から女性のトランスジェンダーはオープンに出場。ゴルフだってオープンの試合は、男性も女性もプロもアマチュアも出場可能。
サッカーのフル代表は、実は男性限定でなく、年齢も性別も制限がないという意味でフル代表です。