<大相撲名古屋場所>◇14日目◇21日◇ドルフィンズアリーナ
関脇御嶽海(25=出羽海)が東前頭13枚目の栃煌山(31=春日野)を下して、13勝1敗で初優勝を決めた。平成生まれでは照ノ富士以来2人目で、日本出身力士としては初めて賜杯を抱いた。
関脇の優勝は15年夏場所の照ノ富士以来3年ぶり。学生出身力士としては01年秋場所の琴光喜以来17年ぶり。
また、名門出羽海部屋の力士としては80年初場所の三重ノ海以来38年半ぶりで、長野県出身力士としては、優勝制度が制定された1909年(明42)以降は初めて。古くは最強の異名を取った江戸時代の雷電の1810年(文化7)以来、208年前までさかのぼる。
1992年(平4)12月25日、父春男さんとフィリピン人の母マルガリータさんの間に生まれた。幼いころから運動神経には恵まれ、自信を持っていた。
だが、小学1年のとき、地元で開かれた相撲大会で、自分よりも体が小さい子に負けた。その悔しさから、すぐに相撲を始めた。「やる。強くなる」。そう宣言した。
長野県木曽郡上松町の実家は山や川に囲まれている。「オヤジとキノコやタラの芽を採りに山に入ったり、川で泳いだり…。アユやイワナ、ヤマメが釣れて塩焼きにするとおいしいんです。頭も全部食える。捨てるところがないんですよ」。
自然が遊び場だった。中学3年のときには、同学年の平均が215センチの立ち幅跳びで260センチも記録した。長野県立・木曽青峰高では森林環境科を専攻。「山登りが多い学校」(御嶽海)で1時間で登り、30分で木を切り、30分で下る-。それを週に2回こなした。
「隣木があると邪魔なので、どっちに向けて切るかとかバランスを見ながらやる。基本は谷川に倒すんです」「チェーンソーは基本、使わない。
オノやノコギリの手作業。切るのはタイミングが大事。のこぎりを引くと切れるんです。そのタイミング」「山を登るには、足裏をしっかり使わないとだめ。斜面に沿って歩くとなると、つま先に力を入れると歩きやすい。前傾姿勢が大事。足首も強くなりましたね」。
大自然の中でわんぱくに、たくましく育った。それが、今の下地だった。
東洋大では4年時にアマチュア横綱と学生横綱の2冠に輝いた。当初は和歌山県庁への就職を考え、両親もプロ入りには反対だった。だが、本人の意思はプロ入りに傾いた。「やってみたい」と両親を懸命に説得。決まったのは、クリスマスイブ直前だった。
15年春場所に、幕下10枚目格付け出しでデビューした。そこから21場所目。日馬富士、鶴竜、稀勢の里、白鵬と対戦した4横綱すべてから白星を挙げるなど、確実に階段を上り続けた「木曽の星」が今、大きな仕事をやってのけた。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180721-00275399-nksports-fight
みんなのコメント
御嶽海は礼儀正しいし!
謙虚な姿勢が相撲にも現れているからこそ、人を惹きつけて止まないのです。
優勝が決まった後、座布団が飛んだ異様な様子からどれだけ人気があるのか伺えましたよ!とにかく優勝おめでとう!
インタビュー、感動しました。