サッカー元日本代表FWの平山相太氏(33)が8日放送のTBS「消えた天才」(後7・00)に出演。ロシアW杯日本代表MF本田圭佑(32)との若き日のエピソードを明かし、“怪物”と将来を嘱望されながらもW杯に一度も出場できなかった理由について語った。
国見高時代に全国高校選手権で2年連続得点王に輝くなど、将来の日本のエースとして期待された平山氏。J1全チームからオファーがある中、卒業後の2004年に筑波大に進学し、05年8月には休学してオランダ1部のヘラクレスに入団した。デビューシーズンでチーム最多の8ゴールを挙げるなど順調だった。
しかし翌年、ヘラクレスを唐突に退団する。新たに就任したルート・ブロート監督から細かい戦術を理解するためオランダ語を覚えるよう要求されたが、「無理でした。自分にはちょっと難しかった」と習得できず。そのまま戦力外となった。
帰国後はJ1FC東京、仙台などでプレーするが、高校時代に期待されたほどの活躍はできず、日本代表としての出場も4試合3得点にとどまった。
その理由を、本田も参加していたユース世代の日本代表合宿での出来事を持ち出して説明する。エースだった平山氏は練習でもゴールを量産し、チームメートからも絶賛されたが、本田だけが異なる対応だったという。
誰もが平山氏を「すごい」とたたえる中、ラストパスを出した本田は「こんな良いパスもらったことないでしょ」と、さも自分のおかげで平山氏のゴールが決まったといわんばかりの言葉をかけてきたという。
1歳年下で当時それほど有名でもなかった本田のことを「面白いな」と思ったという平山氏。しかし同時に、本田には自信に満ちあふれた「強い気持ちがあった。それが自分には足りなかった」と振り返る。
奇しくも本田は08年1月に、平山氏がはね返されたオランダリーグに挑戦。名古屋から初の海外挑戦としてVVVフェンロに移籍する。
その入団会見で「車のHONDAとは違うホンダです」とジョークを交えてオランダ語で堂々とあいさつする本田を見て、自分との差を感じたという平山氏。「自分はオランダに行くことしか考えていなかった。彼は3歩先まで考えていた」と口にした。
昨季限りで現役を引退した平山氏は指導者を目指し、「もう一回勉強したい」と現在は仙台大に入学。14歳下の同級生と一緒に学んでいる。
「人として一人前でないとサッカーを極めることはできない。自分に足りなかった強い気持ちを持つことの大切さを伝えたい」と目指す指導者像について語った。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180708-00000153-dal-socc
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