ネットの反応

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表現の自由との関係性を明確にできるのか。マスコミが行う報道を侮辱と定義できるのか。できないとしたら報道が特権的な立場を担保する理由を明確にしなければならない。国民の知る権利、表現の自由は過去マスコミが代替していたが、今はそうではない。そうではないにも関わらずマスコミだけがこうした規制を逃れ、特権的な立場にある理由をきちんと議論すべきだ。今や情報発信は個人が行えるようになり、情報発信に伴う様々な自主規制が既存の法体系で担保できないとすれば、単に目に余る部分を規制するのではなく、憲法で謳われる権利と義務の関係を明確にすべきだと思う。
1 – 1
その通りですね。ロシアへの誹謗中傷など、ひどいものがあります。デマでもなんでも、ロシアをけなせるなら流して問題ない、といった状況です。「ジャガイモ一個180円、ロシアの市民は苦しんでいる」と、テレビで流していましたが、それは一個の値段ではなく1Kgの値段でした。というかテレビに映っている値段が書かれたパネルにはっきりと「1kg」と書かれているのにこの報道です。未だに訂正もなければ謝罪もありません。マスコミが、反論してこない相手、情報発信力が弱い相手に対して事実を捻じ曲げて誹謗中傷する度合いが、少し行き過ぎている気がします。あと、一日2兆円の戦費がかかっていると報道していましたが、どう高く見積もっても10分の1くらいです。これほど無茶苦茶な報道をしているところを見ると、日本のメディアの多くは、真実の追及も検証も何もなく、誹謗中傷と印象操作が目的で報道しているとしか思えません。

1 – 2
個人が匿名性を良いことに好き放題書き込んでいる事を厳罰化して抑止しようという趣旨であって、マスコミは匿名性があるわけでもないし、テレビやラジオなんか公共の電波を使った許認可事業だから、今回の件とは関係ない。
放送法に準じ、更には民放各社では独自の社内規定でガチガチに縛っており、過激な事ができないのができず、「つまらなくなった」と言われる今のテレビ業界をもってして、特権と指摘するものが何か理解できない。
SNS等の書き込みにはとても公共の電波にのせる事ができない内容で溢れている事から、規制がかかっていないのは、SNS側である事は明らか。マスコミの公平性を欠いた偏向報道や、これを表現の自由という事で逃げられないようにすべきとか、そういった報道のあり方という別の問題と混同している。

1 – 3
「誹謗中傷」という四字熟語がキーワードとして、いかなる時も許されないと言われるけど、「誹謗」の字はどちらも訓読みだと「そし(る)」であり、悪口を言う、強く非難するという意味になる。そこには正当な非難も含まれるはず。例えば、昨年12月に北新地で26名の命を奪った放火犯を強烈に非難するみたいなこと。なので、根も葉もないないこと言って人を傷つける「中傷」が常に良くないのとはちょっと違うと考えている。
1 – 4
「侮辱罪」というのがポイントで、侮辱罪自体は虚偽の中傷に対して
成立する罪状なんですが、名誉棄損にあるような「公共の利害に関する事実に関する行動」であったり、
「専ら公益を図る目的」や、「事実が真実であることの証明があった」
というような免責事項が無いんですよね。
相手の言っている事を虚偽だと言ってしまえば成立しちゃうんですよ。

もしそれが虚偽かどうかを証明することが難しい場合
(虚偽かどうかの証明する方法が相手側にしかないような場合)、
ただの批判が「侮辱」にされかねないという問題は抱えたままです。

ここらへん野党が指摘してたんですが、
どうこうなったという話は聞かないので、恐らくそのままの形でしょう。

1 – 5
それな。芸能人に対する飛ばし記事なんてまさに誹謗中傷以外何者でもないし。
それに加えてワイドショーなどで芸能人の不祥事に対した勝手な憶測も立派な誹謗中傷だと私は思います。
事実を述べるのであれば問題ないと思いますが、本人に一度もあったこともないコメンテーターが自分の好き勝手にあーだこーだ言うのもネットの書き込みと何が違うのかといいたいですね。
正体がはっきりとしているから好き勝手言っていいという風にはならないと思います。
1 – 6
>間違って、キャスターが頭を下げるのは、言い間違いとか漢字の間違いとか程度。誤報なら、社長が辞任したケースもあるし、担当ディレクターの降格などもある。人権侵害など厳しい社内制裁も見られる。先月、TBSの報道特集は、専門家や議員も声を上げるほどの科学的誤報を放送しましたが、女性アナウンサーが早口で数秒「訂正」をしただけで、福島の方々に風評加害報道を行ったことに対して謝罪もしていませんし、TBSや番組関係者の誰一人として責任を取っていません。

1 – 7
>表現の自由との関係性を明確にできるのか。マスコミが行う報道を侮辱と定義できるのか。報道でも侮辱だと告訴されたら警察が動いたり、裁判で争われるってことでしょ?
そもそも、報道自体が誹謗中傷とかって話はレアな気が。
報道を見聞きして誹謗中傷するひとがいるからの改正でわ?

誹謗中傷される人を守るというのが、今回の改正の一番の趣旨じゃないの?

>表現の自由との関係性
>明確にできるのか。


個別にみればいいのでは?
っていうか、表現の自由を盾に、人を傷つけていいはずがないとおもいますけど?

1 – 8
報道は「表現の自由」ではなく「知る権利」に基づいています。基本、報道される側がきちんと告訴し検察も起訴相当と認めれば犯罪扱いです。刑罰が相応に重いかどうかは別の話ですし、慰謝料や損害賠償はそれとは別の民事の話です。
1 – 9
“口撃”という言葉もあるのだから社会に出るということはそれとの闘いでもあるし目立つ地位や仕事の方は昔からそうだったんだけど?今はその時間と訓練をしてこない人が目立って自ら晒しといて耐えられない言うから訳わからん、会社で上司やるだけでも1対30位の覚悟はあるし人によっては媚びたり飲み会などでコミュニケーション取ったりとか解決方法が違うんだけどね。
1 – 10
いいんじゃね?
侮辱というべき特定個人に対する誹謗中傷はネットだけでなく報道機関、野党議員にもみられた事だし。ネットよりも人たちの方が影響大きいし。私たちはマスコミによる誹謗中傷を批判する大義名分ができたわけだし。

2
厳罰化する以上は、正当な批判と誹謗中傷の線引きをきちんとしないと。
配信者側が差別的で理不尽な発言や行動をしている場合もあるし、それを批判したり反発した側が、正当な意見であったとしても誹謗中傷扱いして裁かれるのは違和感があるし、きちんとどこからが侮辱になるのか基準についても整備して周知してもらいたい。
2 – 1
配信者が差別的な発言をした場合はそれは差別的ではあっても特定の個人を指したモノではないでしょ。もしも、特定の個人を指したものなら、その人が侮辱罪として訴えればいい話。
比して配信者の内容が差別的又は、自身が受け入れがたい内容だからと配信者個人を指して過度の批判や中傷をすれば、それは侮辱罪として訴えられても仕方ない。
自分の主義主張を行うのは人間の自由。例えそれが差別的で片寄った意見であっても、その人個人の主張というだけだから、問題ない。問題なのは、個人を名指してその人の行動や容姿等について意見する事、その個人がそれを喜べる内容なら問題ないが、その個人が受け入れがたい内容や著しく名誉を傷付ける内容なら、それは中傷となる。
その書き込みをその個人が喜ぶかどうかは、受け取り手のその人しだい。だから書き込みする側は、その書き込みが相手を傷付けていないかよく考えて書き込みするように、という事でしょ。
2 – 2
批判と中傷の線引きはできない。理由は、重なるから。例えばもし「岸田さんは総理の器ではない」と言えば、それは政治批判で言ったつもりでも同時に中傷になりうる(そもそも総理はいちいち親告罪の告訴なんてしないってことは措いといて)。侮辱罪の起訴は年間30件くらい。そもそも誹謗中傷でないもの(被害妄想など)を切り捨てて(ここで批判と中傷の事実上の線引き作業もされる)、さらに当罰性の低いものを切り捨てて、残るのが30件。法務省は「厳罰化したから今まで起訴しなかったものを起訴するようになるわけではない」と答弁しているが、本当かどうか見守ることが必要。表現の自由を制約していないかを3年後に検証することなどを改正付則に明記したのは、運用次第ではちょっとマズいことになるから。
2 – 3
根拠のない、想像や創造での発言/拡散は全て法に抵触する。ハラスメントと同様に、双方の立場の本人の思考・受け止めで全てが変わる。

例えば、嫌いでない相手と嫌いな相手では、同じ発言や行動を取られても受け手側の感情は全く異なる事が存在する。

つまり、同じ言動でも発信者側が変われば誹謗中傷や侮辱にあたる場合は法判断の域を超えるでしょう。

一方で、個人では事実認定が出来ない推定の犯罪事象に対して、批判を口にすれば、その対象が凶悪犯であっても、被当事者が心に負担を感じれば法適応になる。

この法案の適用に関しては、両刃の刃問題を解決する必要がある。

嫌いな相手を狙い撃ちすれば簡単に有罪に出来そうな法案だ。

2 – 4
歴史的に、権力を持つ者は、表面上は正しそうな名分を使って、言論に様々な規制を作り、自らを批判する者を抑圧する社会をじわじわと構築していった…この侮辱罪の厳格化には、人々の政治や様々な社会問題への批判を抑圧させる社会への布石のような危機感を感じてしまう…

この件では、3年後の検証と公共の利害に関する場合の特例の創設も検討とあるが、今入れるべき内容だ。

もし、為政者など権力側の者が、自らへの批判者に侮辱罪の利用を思わせる牽制を少しでもしたら、国民は、それを強く非難しなければ抑圧社会への布石になってしまうだろう。

2 – 5
ここで書いている人が言う通り、配信者が罰せられる可能性は低い。でも、これは一番問題ではないだろうか?
配信者が何を言っても、反論ができないようながんじがらめの線引きになると、もうそれは言わせておけ、という状態で、あたらずさわらず、感情が反論したいと言っても、その配信を切るしかない。

そうならないために、配信できる線引きを、ユーチューブや他のメディアでもするべきだと思う。
どこまでが配信可能な言葉や態度なのかを線引きして、それに違反する配信者には出禁にするか罰則を設けるしかない。

確かに反論する側に問題がある場合が多いけれど、どちらにも明確な線引きがなければ、フェアじゃない気がする。

2 – 6
ここに書いた方、ほとんどがズレている。
国会質疑の内容はでYoutubeに残されている。ダイジェスト版もある。米山議員の最後の方ものを1本見ればわかる。見てから意見を整理してはどうか。侮辱罪は、インターネットて誹謗中傷した多数の人を訴えたとしても、法定刑を過重したとだけと政府が断言していること。訴追できるのが極々一部なことは変わらない。
侮辱罪の訴えは変化の類型は、旧法のままなの構成要件なので示す必要がないと政府が説明していること。
訴追するのに警察や弁護士に相談しても、類型の変化が例示されないので「やめときなさい」と言われることに変わりはないこと。
インターネット加害者特定に数百万円を要するが、訴えを起こす者で特定すること。

などなと。インターネットに絞って言うとこんな感じ。インターネットに絞った犯罪処罰法を考えない限り変化はない。

2 – 7
線引きは難しいですが、人格への攻撃になっているかを常に意識するべきですね例えばスポーツの場面などで…
「××選手はこうするべきだったと思う」「××監督はそうするべきではなかったと思う」と書くのは自分の意見の表明ですが、「××はそういうことをしたから選手ヤメロ」「××の采配は監督失格だ」のような書き方をする人がかなりの数で見受けられます
「選手である」「監督である」という人格に関わる部分を否定して攻撃するのは私はNGだと思います

佐々木朗希選手が活躍するたびに高校時代の采配のことで人格攻撃を平気でする方がヤフコメにも多数いますが、これを機会に自身の発言の攻撃性を冷静に分析された方が良いだろうなと思っちゃいますね

2 – 8
厳罰化するなら明確な判定基準は持たないと駄目ですよね。判定基準が曖昧(主観に因るもの)になれば、例えばある権力者のスキャンダルに対して『辞任しろ!』『説明責任を果たせ!』とコメントしたら『私はこの書込みで酷く傷ついたので全員逮捕で』という事も可能になってしまう。

得てして独裁国家の始まりはこうした小さな規制から始まるという歴史の定石もある。
特にこの国では逮捕されれば本人に非が無くとも有罪はほぼ確定の国、裁判でしっかりと無罪判定してくれてもその後の人生は大きく狂う。

感情で決めた法律ほど怖い物はないと思います。

2 – 9
誹謗中傷と批判は違う。
その通りだと私も思います。批判したら侮辱だ!って言ってる方のほうがよっぽど良く考えず短絡的に他人を攻撃してるようにも感じます。言葉も短く汚く感情的に見えますし。

ここは司法も難しい線引きだと思うし、そこはコメントをする人も注意しないといけないと思います。なんでも批判するってのもなんだかなぁとも思うし…。

政治家やプロ選手達への批判なんか、あっても良いと思います。が、人権を無視した相手が傷つく酷い言葉、馬鹿だのウザいだの汚い言葉はやはり、ダメではないでしょうか。

2 – 10
批判と中傷を区別できない人が多いことに暗澹とします。正当に批判されても怒り出す人がいるし、批判する方はする方でお作法を知らない人がいる。こうなると論理的なやり取りができない。世の中にはいろいろな考えの人がいるという見識が足りていないのでしょうかね。大人ももっと読書するなりいろいろな人と会話をするなりして見識を広げましょう。
3
権力のある立場や社会的地位、社会的影響力のある人物の発言もネットで発信する以上、その発信内容について責任があるはずです、それに反対意見がある場合、その内容についての批判が侮辱にあたるかは、それこそ批判意見をする側の表現によるとも思いますが、社会的影響力を持つ政治家や公に発言力のある人物の一方的な発信内容によっては国民一般人を侮辱罪で抑え込む可能性もあります、侮辱罪の運用は相手がどの様な立場の人物かどうか、心理的、社会的に傷つける内容か、法を盾に反論や意見を抑圧しないか、侮辱罪の運用はより慎重に行う必要があります。
3 – 1
ghc****様、国会議員は、主権者である国民の信託を受け、全国民を代表して国政の審議に当たる重要な職責を担っています、この職責を果たすため、国会議員の地位には、一定の身分保障が与えられており、法律の定める場合を除いては、国会の会期中は逮捕されず、また、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われないとなっています、今、ブログやSNSで発信する国会議員は多数います、テレビや新聞なども報道と言いつつ自社の主張を書き込む事も出来ます、それに対し批判的な書き込みや反論批判をする事とは別問題と考えます、個人が相手にするには力が違いすぎます、もし個人が批判的な論調で書き込みをした場合、法的な手段を取るぞという脅しは個人的な批判をする事さえ躊躇するのではと思うからです。
3 – 2
>社会的影響力を持つ政治家や公に発言力のある人物の一方的な発信内容によっては国民一般人を侮辱罪で抑え込む可能性この理屈で考えると、「社会的影響力が全くない」野党議員のデマはいくらでも許されることになるのでは?だから影響力の有無は本来関係ないはずです。

個人的には民事訴訟を起こしたりした野党議員は、国会議員として自動的に失職するようにすべき。ここまでの覚悟を背負わされば、民間人への言論弾圧も減るはずです。

3 – 3
意見ではなく、個人的な批判に使う人物が居るのは残念ですが、真面目に応えてくださる方々が多数いらっしゃいます、権力側に居る者の考え一つで反論を抑止する手段にこの法律が使われないように、ネットで誹謗中傷で意図せず攻撃される弱い立場の人を個人攻撃から守る事でこそ必要な法律であり、政治的批判や報道機関の一方的主張への批判をかわす道具にされない事が必要です。
3 – 4
憲法は 権力(権力者)を縛るもの。
メディアは 権力をチェックする(対峙する)のが仕事。
だが メディアは 今や 政権の広報機関。
何だか 大政翼賛会 の臭いが広まっていると感じます。この「侮辱罪厳格化」は 政権・政策への批判封じ込めに、恣意的運用されないかと危惧します。
表現の自由・個人の尊重 は無制限とは思いません。
しかし 政権を担う人達は、批評・批判は甘受すべき立場です。
表現(言葉遣い)には 気配りを保って、投稿を続けます。

3 – 5
同感です。裁判するのもお金がかかるし、この法律で守られるのは庶民ではないと思う。
フジテレビで配信されていたリアリティショーに出演していた木村花さんがネット上の誹謗中傷にあい自害して、政治家が取り締まりをするべきだと声を上げ始めたのが発端だと思いますが、番組視聴者から一番疑問視していたのは、番組自体が誹謗中傷を煽る内容だったこと。影響力の大きな著名人が犬笛をふいて、フォロワーに特定個人を叩かせる、国籍差別のヘイトを煽るなど普通にやっていて、彼らは免責になっているのはおかしい。
3 – 6
そもそも侮辱とは何かを決めずに決めてしまったので、とにかく批判的なコメントを減らしたい、政治批判を抑えつけたい思いがあったのではと思ってしまった。
結局国民の言論がどうなるのか、国民は関与することができずに政治家が一方的に決めることとなってしまった。
3 – 7
ku**様:<侮辱罪の運用はより慎重に行う必要>そのとおりだと思います。国会質疑で個人批判もたまにありますが、国会での発言についても同じ基準だと思われますか?政治に関しては、適用されないという事でしょうか?
3 – 8
ふっつーに自分で考えて発言してりゃ誹謗中傷だ侮辱だとはならんよ。まさか訴えられる訳がねぇと思ってたら大間違いで、軽々と他人の言説に乗っかるのもリスクを伴う訳ですわ。送信押す前に一呼吸置けばいい。それが出来ない奴は訴えられる。それだけよ。
3 – 9
即時施行ではないでしょう?
施行日を巡っては官報が届いていなくとも施行日以降の逮捕は合法の判例あります
3 – 10
侮辱されるに値してる行為をしてるかを先に審議するのが先では 例えば知床遊覧船の桂田社長の言動や行為を非難したら侮辱罪が適用されるのか?
4
どこからが批判で、どこからが誹謗中傷なのか。
この境を厳格に定義することはとても難しいと思いますが、これができるのであれば厳罰化を図ることも大いにアリなのではないでしょうか。只々現状の侮辱罪の量刑部分を強化して「厳罰」とするわけではないようですし、これを機に時代に則した運用ができるように改正するのがいいでしょう。
あとは、この記事へのコメントを見てなるほどと思ったのが「匿名の規制」。
これこそ難しいですがしかし確かに必要なことなんじゃないかなと思います。
どこまで本気で言っているのかも怪しい、単にアラシたいがためにやってるんかないかと思うような論理破綻したコメントをぶつけてくる人たちにこれは効くでしょう。
どちらも難しい道のりだとは思いますが、言論弾圧や統制にならないように注意した上で改正を図ってもらいたいものです。


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