加害者の思想的な部分は真の動機ではなく、真の動機の隠れ蓑ではないだろうか。
犯行に及んだ真の動機は「快楽」ではないだろうか。— FM無一文 (@FM34311178) July 28, 2020
安楽死ってそんなに簡単な問題じゃない?
もしねこれを法制化した場合
仮にもっと生きていたいと思っても周りに迷惑だからと考えてそれを選択してしまったり
周りの人間がそれを暗に仕向けてしまったりしないだろうか?
人間っていう程本人の意思で何かを決めてないと思う— 山田五郎 (@yamadagorou) July 28, 2020
難病のALSを患う女性の依頼を受け、薬物で殺害したとして、医師2人が逮捕された事件で、亡くなった女性が主治医にも安楽死を依頼していたことが分かった。
嘱託殺人の疑いで逮捕された医師の大久保愉一容疑者(42)と山本直樹容疑者(43)は昨年11月、全身の筋肉が衰える難病、ALSを患う林優里さん(当時51)に薬物を投与し、殺害した疑いがもたれている。
関係者によると、林さんは昨年夏ごろ、栄養補給の中止を主治医に提案したが「死に至る治療はできない」と断られていたことが新たに分かった。
一方で、林さんは事件の直前に、これからの治療方法について主治医と相談していたにもかかわらず、事件が起きており、林さんを支援していた関係者は「事件が起きるとは想像もしていなかった。言葉もない」と話している。
引用元: https://news.yahoo.co.jp/articles/39cfd4bbb802ab2fcf4d020b5953a87aa78b7145
ネットの反応
基本的に目の前の問題すら解決できない国が安楽死の議論などする段階にないのよ。
だってあの時は…。間違いましたじゃ済まないのだから。
完全に反対はしないが、こんな有り様の国での議論には反対する。
何で断ったんだ? 患者の言うことをよく聞かないとね
主治医の責務を果たしていないじゃん
安楽死って言い方はあまり好きではない。
今回のような(病状・介護状態)場合
私が一番思う事は、単純に
【食べたくない物を食べない権利】は誰にでもあるはずという事なんですよね。
胃ろうは絶対に辞めるべきだと思う。
「生きていくのが本当に辛いから死ぬ」には、諸手をあげて賛成する事はできないけれど、食べたくない物を食べない権利はあるはず。
それを勝手に体内に押し込むのは虐待!
海外で高齢者に食事介助することは食べたくない物を無理やり食べさす虐待に当たるのでやらないそうです。日本もそうあるべきだと思います。
動物のように、生きていきたければ、自分で食べよ。という大前提の話。
(事故などで一時的に介助が必要な場合の話ではありません)
法律は時代遅れの産物。
裁判官はその産物の副産物。
これからも日本では安楽死は認められないね。
例えば脳死を基準としてることだって、誰かが決めただけのルールだし…。
今回も法によって裁かれただけ。
本当に正しいか正しく無いかはすごく繊細な話。
手塚治虫だって、ブラックジャックにキリコを登場させて問題の難しさを描いてる。
日本の法律の方がおかしい。
「支援した人たち」のやっていることは、支援になってなかったんでしょ。「死にたい」って言っている人に寄り添わず、「生きなきゃ!頑張らなきゃ!」って感じだったと思う。それが心から「死にたい」って人にどれだけ絶望感を与えるものか、ちょっと想像してみて欲しい
そりゃ主治医はそうするよね。
栄養補給は食事と同じで、積極的に延命治療をしないとしても、食事をさせないで死なせるっていうことは普通しないわけで。
その判断ができるわけない
確かに生きる権利もあれば逆もあってもいいと思います。僕は介護の仕事をしていますが、施設で胃ろうの利用者さんを見るたびに生かされてるだけで本人はどう思ってるんだろうといつも考えてました。
自分なら胃ろうをつけてまで生きたいとは思いません。もし本人がそれでも生きたいと言うならできるだけ考えますけど、僕は無理矢理生かされるなら自然に死にたいです。
主治医は断るでしょうね。人の生命を1日でも永らえさせるために存在する技術者ですから。
今の日本で,自分自身で何もできないときに,自分の意思を主治医に断られたら,どうしたらいいのでしょうか。
自死すらもあかの他人の世話にならないといけないなんて,つらすぎる。
なんか偉そうに容疑者を非難してたようだが、結局この医者や家族が、本人に生きる希望を与えられてなかったという事だろう?
生きる権利とかいうけど、こいつらは義務だとでも思ってるんじゃないのかな?
治る見込みもなく緩やかに死んでいく病気で、説得だの転院拒否だのは、本当に本人のためだったか?
事実は分かりませんが、主治医が断るだけでなく、死を希望している患者に対して、何ができるか考えるべきだったと思う。
主治医の責任が果たせていなかったために、他の医師に依頼するようなことが起きたとも考えられる。
父親も、テレビのインタビューで二人の医師に対して怒りをぶつけていたが、何故そばにいてあげられなかったのか、子供が何を考え、希望しているのかを聞いてやらなかったのかとも思う。
いずれにしても、自身の立場,親の立場で考えさせられる問題と思う。
安楽死が合法化されると良いですね
彼女の意思は明確だ
お金を受け取っていなかったら、な。
なんか、安楽死のことを楽に死なせてもらえるみたいに勘違いしてる人いるよね。
だから生きていればそれだけでいいという考え思想はもう古いんだよ。
死ぬ権利も認めてあげないといけない時代に入ってるということ。
生きてさえいればいいという思想の連中にはボケ老人の世話を義務付ければいい。いやになるに決まってるから。死んでしまってくれた方がいいとなるはずだから。
この病に対しこのセリフは、激しい違和感を持つ。現在、緩慢に死に至る「治療」しか無いのではないか?
要らないという本人の明確な意志に抗して、無理矢理、治療をしたり栄養をチューブで入れたり。
これは一面、強要、暴力だと言えないか。
ちゃんと法整備しないからこういうことになる。
生かされている状態で生きていたくないと考えている人はかなり多いと思う。
今こそ議論するときだと思います。
日本って本当に死に対して不寛容だよね。
宗教的、文化的な側面があるから変えるのは容易では無いけど、「無理矢理生かす」事によって悲惨な結末を招く事が多いのも事実。
特にこれからは高齢者が爆発的に増える。こういう問題も桁違いに増える。もう意識を変えていかないとまずい時期だと思うけど。
医療関係で見直さないといけない事は多数ある
今回の件もそうだけど
日本医○会の金儲けもいい加減辞めさせるべき
何で?ニセ医者。これは、殺人事件です。
あと、医科大中退、国家資格無し。
無資格な人間が関わってます。
雑誌フォーカスより抜粋
ALSを患う患者に薬物を投与して殺害したとして、嘱託殺人の疑いで逮捕された大久保愉一容疑者が、一時山形市内の病院に勤めていたことが判明した。
大久保容疑者は去年11月、ALSを患う京都市の林優里さん(当時51)の依頼を受け、薬物を投与して殺害した疑いが持たれている。
大久保容疑者は、山形市の山形さくら町病院に、2017年10月から翌年4月までのおよそ7ヶ月間に渡り、常勤医師として勤務していたことがわかった。
大久保容疑者は入院患者の診療や、週2回の外来を担当。医療法人の広報誌に寄稿し、専門の呼吸器科の知識を活かして、過敏性肺炎について解説していた。その後、自己都合のため退職したという。
日本も安楽死制度を導入してほしいと思います。
私自身、体はしっかり動いて、自分で生活が出来ていますが、これが一切できなくなり痛みや辛さしかない状態になると安楽死させてほしいってなりますね。
医療が進歩すれば治せる病があるのは理解していますが、その進歩はいつ来るのかわかりません。
生きている間に来なかったら苦しい思いを生涯して、治療の費用も生きたくないのに負担するだけ。
患者の選択肢として安楽死もあっていいのではないかなと思います。
私は当事者ではないけど、何かのきっかけでなった時に選択肢は多い方がいいです。
安楽死を望む患者の意思を無視する医師は延命治療によって齎される多額の診療報酬が脳裏にちらついている筈ですね。その辺から議論を立ち上げるのが良いかと思います。医は仁術などと言っていられる時代ではありません。
コメンテーターが本人に生きる意欲を沸かさないといけないと話していた。基本的にはそうなのかもしれないけど、現時点で治療法がない中、その行為は逆に本人の精神を追いつめないか?とも思った。
本人が回復に意欲があるならどんどん応援して支援して支えていけばいいけど、この人の場合はもうその時期も過ぎてると思う。自分で主張出来る時間が僅かしか残されていないこの段階でも、周りは本人の意思を変えることができなかった。
結局誰も本人の強い意思を変える事は出来なかったんだから、最期の意向は本人に選択させても良いと思うんだけどな。今の法的には許されない事だから罪になっちゃうけど、今後考えていかないといけない問題ではあると思う。
人それぞれ大きく意見は違うだろうけど、命の問題だから違って当たり前。だからといって無視していけるものではないと思う。
この主治医にどのような治療方針、治療方法を考えていたのだろう。ALSは現在の医学では治療できないことは自明のこと。責めるつもりは毛頭ないが、結局、患者の心に十分に寄り添えていなかったのではないだろうか。
一方、ニュースでは、医師がALS患者を殺害、なんて極めて簡単に報じているが、患者は、耳や背中がかゆくても自分ではどうすることもできない、本を読みたいと思っても、音楽を聴きたいと思っても、自由にできない。
自分であれば、生きようとする気力なんぞは湧いてこない。さりとて、死のうと思っても、もはやそれすらできない。人の命、生きる権利とか安っぽい議論はあてはまらない。
安易に安楽死をする医者もう殺し屋だ。
「殺した」医師をかばう書き込みが多いけど、医師も信念を持って安楽死させたならこそこそ証拠隠滅とかせずに堂々としてればいいのに、実際はこそこそ 亡くなった本人は「尊厳死」かもしれないけど、殺した医師は金目当ての殺人犯でしかない
亡くなられた方の生前の元気だった頃の写真を報道する必要ってありますか?意図的なものを感じます。