学生「死を悼むのは個人の思いで、強制は内心の自由に土足で入ることだ」
学生の主張は極めて正論だと思う。
政府が大学側の思想・良心の自由を侵害するなど断じて許されない。国立大弔意に抗議の声 学生が反対集会、学者も疑問視 中曽根元首相合同葬で(時事通信)https://t.co/lLd1xeMbXM
— 大神ひろし (@ppsh41_1945) October 17, 2020
ネットの反応
こういった類いの話はよくあることかと思います。反対者も賛同者も人それぞれでしょうから、過激な行動に走らないのであればそれはそれでいいのでは。
個人的には、国葬であるなら通知を出すのは当然だと思いますが、内閣と自民党の合同葬では、開催のお知らせくらいで良かったのかなと思います。
でも、監督官庁とかから管轄されるような立ち位置の部署に対して
「要請」という名の通知が出されたら、それはもう「忖度要請」だというのは、長く政権を担った安倍政権が
社会に明確に示したはず。「強制ではない」と言っても、
言った本人を含めて誰もそうは受け取らないだろう。
専門家?コメントの、石渡酷いなコレ
>記事中にある木村草太教授の「大学の自治に委ねるべきだった」は誤解です。弔意通達は強制ではなく通知であり、どうするかは各大学次第です。
木村の言説のエッセンスをなにも理解せず誤読してる。
そもそも木村が、国立大学法人への文科省通知が法人改革以降「技術的助言」になったことは重々承知しているだろう。
その前提のもとで、未だに通知行政が根深く、従わなければならない権威主義的構造そのものを問題視しているのに、上位者の罰則文言あるなしを判断基準にして逃げ口上にするのはトートロージーだ。
またこうした通知行政が問題になっていないともいうが、これは勉強不足。
今も昔も国大法人に限らず、自治体を始めありとあらゆる中央地方関係に見られる現象であり、法学者は常々問題にしてきた。
そもそも、それでいいなら分権改革も法人改革も主旨を全く踏まえていないことになるではないか。
身内(自民党)に都合の良いことは前例にならうの一言で片付け、学術会議任命問題は前例を覆し、費用や在り方の見直しが必要という。無理矢理のご都合主義で政治が進むと、周囲の意見も聞かずに何でも有りになって強権を持ち専制化する。
しまいには左右の思想関係なく意見を出せる場も封じ、民主主義や法治国家の立場もゆるぎ、いずれ国が前近代化していく不安がある。
国内に対しては馬耳東風であった安倍政権をそのまま引き継いでいるようにみえるが、今の菅政権は、次回の選挙までに何とかして、国民や党内右派に対して実行力を示し、政権の継続を狙っているが、危険な賭けに見える。
学術会議の問題や今回のことも、反対されることを想定してパフォーマンスを行っているようだ。それだけに、実態は脆弱な政権であることに変わりは無い。
これを忖度と言うのだ。政治家は官僚の判断で関与していないと言うし、官僚は自主判断と言う、しかしこれが忖度。官僚主導の国家運営は良くないけど、官僚が官邸を見て仕事をし出す、事の善悪を判断出来なくなっている今のシステムは問題だ。橋下さんとかは民意によって選ばれた政治家がと言うけど、その結果がこの問題やモリカケ等に繋がっている事実も踏まえ意見や発見して欲しい。
政治家と官僚には適度な緊張感が無いと駄目だ。
政権の感覚が国民の感覚とずれはじめている。
お友達に囲まれ、忖度ばかりされていると、自分たちと違う意見が存在しなくなってしまうのだろうか。日本会議的な考え方の人々は、ヤフコメや一部のネットでは意気盛んだが、それを見て、国民のほとんどがそういう感じであると思うのは誤りというものだろう。
国立大学は、予算を国からもらわなければならないので、政府の意向に従わないと予算を切られるかもしれない、というおそれは当然持っているだろう。
「弔意を要請」というのは、パワハラめいて見える。
政権は、多様な意見を聞き、自分たちと違う意見も排除しないで考える材料にしてほしい。それが民主主義の原点ではないか。
形式にばかり拘って葬儀屋やイベント会社の言いなりになって金銭感覚もなにもあったもんじゃない。
大金使って盛大にすれば故人が喜ぶの!?と思ってしまう。半旗をかかげた大学がたくさんあれば、元首相が空から見て喜ぶの!?
今回の税金投入と大学らへの弔意の指示によって大きな話題になり、遺族はなぜ辞退しなかったんだ。。。とまで言われる始末。
自分が遺族だったら、こんな風に言われてまで盛大にやってほしくないけど。。
国立は財布握られてるからね。でも、この動きは非常に危険。歴史は繰り返されそうで残念。「温故知新」とは言うけれど、また、痛い目合わないと、変われない、止められないのでしょうか。国に楯突いて、そして戻ってきた東大総長。。。のような骨のある人はいないのでしょうか。それを見極め支える要人はいないのでしょうか。
今が良ければそれで良いという会議・理念をまさに解体、改革を期待します。それは、江戸ではないところから動きは始まる。
人事権や予算権をもつ政府が、個人の意思を尊重すべき葬儀に関して通達など出すべきでない。
過去の事例がどうのこうのというのは何をかいわんやである。21世紀の世の中とは思えない。