小学生の頃、僕のあだ名は「ノグソ」。あれは虐めだったのか。鈍感力が過ぎたのか親しみを込められたものだと思い込んでいたのかしれない。それにしてもあだ名が消えていくのは何だか寂しい。子供同士で「さん付け」しなければならないものなのか。本当にそれが良い事なのか。 https://t.co/f8eXVvujkb
— 野口健 (@kennoguchi0821) February 20, 2021
ネットの反応
背が高く、色が黒かった中学生の時、ごぼうと呼ばれていたことがあります。みんなからではなく、一部でしたが、そのときは表面では笑っていたように思います。呼んでいた方も、悪気はなかったのかもしれません。でも、呼ばれるたびに嫌だったことはいまだにおぼえています。
親しみやすいあだ名。されど、あだ名です。
親からもらった名前があるのに、別の名前で呼ばれることは、やはりおかしい。私のように、表面では受け入れているように見えても、心は泣いている子がひとりでもいるなら強制的にでも辞めさせるのはひとつの方法だと思います。
藤原竜也さんのドラマ、スクールポリスでも言われてました。いじめという言い方をしているうちは、いじめはなくならない。
いじめはれっきとした犯罪。
暴行、強要、子供でも、それは罪として、伝えるべきだと思う。
受けた側の傷は、なかなか治らない。
禁止とまではいかないみたいだけど、「親からもらった名前を大事にしよう」という趣旨で、学校内ではさん付けです。個人的にはいいと思います。
あだ名がなくても友達は作れますよ。
学外ではあだ名で呼んで虐めてるから意味がないって書いてる人いるけど、学外のいじめは教師が責任持たなきゃいけないのですか?そんなの先生じゃなくて親の責任です。
そもそも学校内のいじめだって、先生もある程度は責任あるだろうけど、最終的には親の責任でしょう。
先生が管理できる範囲で、全体最適のための対策としてやっているのですから、私は支持します。
今は親が育児放棄してるだけ。
叱らない、叱らないって何?子供が大切なら叱る事は当然、何度言っても治らない子は鍵閉めて外に出せばいい。
YouTubeやその他ネットをしっかり親が管理したらいい。
情報だけが子供に流れ溢れて子供は判断できないし、判断基準がない。
海外の包丁?だか、斧?持ってYouTube撮影する人が出て射殺される。
一般常識学んでれば親が普通の事を普通に教えていれば刃物持って人を脅せば犯罪だとわかる。
今のネットは便利だけれど親やその他の大人が理解してないから悪でしかない。
親が子供より知識がない学ぶ姿勢がないのはダメだと思う
でも少し教育現場の方の苦労を考えてみませんか?確かに本人が嫌なあだ名をつけるのではなく、呼ばれたいあだ名をみんなで決める、とか、あだ名をつけるということのメリットデメリットを認識させるような教育や指導をする、とか、生徒を細かく観察してどういったあだ名で呼び合っているかを把握して、きめ細やかに生徒に寄り添った教育をするとか、
いろいろといい手段は有るのかもしれません。でもそれを実行することも教育現場の一つの負担であり、ただでさえ勤務時間の問題や、人手不足の問題が存在している教育現場で、その方法ですべての教師がうまく教育することなどできるでしょうか?
しかもそんな中であだ名に関係するいじめ事件が発生したらその責任を追及されるのは結局教育現場ですよ。そりゃああだ名禁止にしたくもなりますよね。
教師が生徒一人一人見る事が難しくなったんだよ。
生徒の人数だけで無く、今では保護者が関わりたがるしネットで告発されてしまうから、向き合って問題になる位ならば、校則という枠を作って、それに従わせる方が楽だし、何より責任を問われて辞職する可能性も減る。
誰が作った校則か?だなんて分からないものね。
昔は学校で問題が起きたら無条件で子供が悪いって学校と保護者の間には信頼関係があったんだよ。今はそんな物は無いから学校も自営手段を取らないといけない。
学校が教えるのは勉強だけでは無くなったからね。学校は集団生活の心得を学ぶ所であって、個々の躾や道徳は家で教えてろよって話。
30年位前からかな?先生が勉強の苦手な子に放課後勉強教えていたら、他の子の保護者から不平等とかで止めさせられたとか。
もう型にはめた平等で無いと納得できない人達が発言力を持ってしまったのが今の世界の時代の潮流なのかもしれない。
今やってる藤原竜也主演のドラマで、「いじめという言葉は表現が軽い」と言う一幕があった。
確かにいじめの本質には、犯罪と同じ心理があると思う。一般社会で用いられる罪名を使う方がインパクトがあるし、やった本人も罪の意識を持つと思う。
自分も、過去を振り返るといじめに類する行為を少なからずやったことがあると思うが、当時は犯罪という意識は無かったように感じる。そこで大人から「お前がやっていることは犯罪だ」と言われると、かなり凹むし二度とやらないって気になるんじゃないかな。
自分は中学生まで見た目に関するあだ名をつけられて、嫌でしょうがなかった。特別いじめられていたわけではないが、それでも小学生で自殺して生まれ変わりたいと思ったくらいだった。こんな風に産んだ親を恨んだりした。
今思えば親は何も悪くない。でも、そんな風に思わせる危険性があるのだから、一律あだ名禁止でよいと思う。
許せるとするなら、本人が希望するあだ名で呼ぶことか。高校に入って、「何て呼んだらいい?」って希望のニックネームで呼ばれるようになって、本当に嬉しかった
会社というか大人の世界ではハラスメントだ、コンプライアンスで裁判だ解雇だと大事にできるけど、学校ではイジメで相手を自殺に追い込んだとしても何もないっていう学校内でのいじめられる側の立場が弱すぎるところがあると思う。
暴論だけど自殺した人が遺書に自分をいじめた人を書き残してたら、事実確認の上でその行為を犯罪と同じ扱いにするくらい強いことやんないとダメな気がする。
他人が嫌がることはしない、相手の立場になって考える、イジメは犯罪なんだっていうことを学ばせるべきだと思うし、結果的にそれが大人になってからの法令遵守とかにも繋がってくんじゃないかと思う。
いじめられてる側にも問題があるって認識で対応されたことに当時幼かったですが憤りを感じました。
私の親のことをネタにいじめられて結果ケンカに発展したときに教師は「お前にも問題があることを知れ」と言われたが状況も把握せずに一方的に「どうせ両方悪いんだろ」と決めつけたりするのが未だに残っていると思っています。結局入学して1年経ってから授業の一環で新聞に作文を寄稿するってことで親のことをネタにいじめられているってことを書いたところ掲載されて読者からハガキが来るなど小さいながら反響あってやっと学校側が動きました。対応はクラス全員に反省文を書かせるとかやってましたけど・・・
教師が生徒のことをすべて把握しろってのは不可能だと思いますが
なにか大きな出来事があったときにしっかり調査して察知することはできたのではと思います。