ネットの反応

二十歳になって初めての投票の時からずっと、大正生まれの父は「棄権だけは絶対しないように」と私たち姉妹に言い続けていました。

幸いいつも健康だったおかげで今まで棄権をしたことはありません。
一票の重みと大切さを教えてくれました。

日本のため、都市のためにならない人が多く当選しているたびに、もっと投票率が上がれば結果が違っていたかもと思います。
日本人にはいろんな意味で目覚めてもらいたい。

ぼんやり状態がまだ続くようだったらもう手遅れになってしまう。

つい多く喋ってしまうタイプ、舌足らずのタイプ、菅総理は自分の弱点を考えてマスコミ等に上げ足取られないようにしてるんだと思います。トランプ流が日本だったらハチの巣突っついた様な騒ぎでしょう。

したがって菅総理流は発信力不足ですがその分結果を出せば良い、結果が出せない時は引退、でしょう。

確か村上氏は選挙に一度も行ったことがない、下らないから。みたいなことを書いていらしたと記憶しています。

確かに投票率が低くて「行っても意味ないな」と思わなくもないですが、選挙に行かないことは、組織票のある政党に投票しているということと同義。
政治を批判する資格はないと思います。

現にどんな酷いことをしても、日本は自民党が必ず返り咲く。

今は公明党と連立しているので、多少の批判があっても投票率が低ければ安泰・・・こんな状況で、真面目に国のためを思って己を律したりなんか、絶対しませんよ。

「低い投票率」というやり方で、国民がこの状況を支持しているんです。

紙に書いている事を読む事が悪い事とは思えない。政治家にとって言葉は大切だが、国民に正確に伝える事の方がもっと大切だ。

マスコミは言葉が間違えたり少し誤った内容になっただけでもかなりのバッシングをしてくる事は自民党内でも分かっているから、余計に慎重になるのは当たり前。むしろ、間違えることを狙っている可能性もある。

この批判は只々、自民党の批判をしたいだけで建設的な話ではない。同じ様に民主党が紙を読んで会見してても批判をするのであれば良いがしないだろう。
村上春樹さんは過去の言動や作品からみて、あまり日本に友好的な人ではないですね。

正直、春樹さんっていつも「他人事」なんですよね。
関わらないわけじゃないし、取材や発言もするけれど、かつて「ピンボール」のラストで海にむかって空き缶をほおり投げたように、
社会という海に、何かを投げ込むという、その距離感が、
クールで、快適で、読みやすかったりするし

よく工夫してつかず離れずの面白さをふんだんに盛り込んではくれるんだけど
けっして、海に直に入って泳ぐことはしない。
たとえば政治の問題を語っても立候補はしない。

だから、ゲーテのやバッハように、人を根本からかえるほどの
芸術パワーは、感じられたことがない。

それが村上春樹、と割りきれば、べつにモンクを言うことでもないのですが
国を代表する作家としては、ちょっとザンネンと感じてしまう。

選挙の投票率を見ると政治に興味が無いと言う事が数値としてわかる。批判はするくせに投票に行かない。支持する人や政党が無いからと理屈はご立派。

社会が歪になって閉塞的なのに誰も投票に行かなければ、大きな支持母体を持つ政党やその党の人が当選する出来レースになる。

口だけ動かして体を動かさない日本人の政治感覚は異常だと思う。悪い状況を変えたいとか本気で思って無いのだろうし、どうせ無駄だと思っている。先ずは投票に行くと言う一歩を踏み出さずして社会の変革はあり得ない。と違うか?

政治家も、メディアも、思想家も・・・
日本は劣化したね。かつては、福沢諭吉とか夏目漱石、西周のような在野の思想家が日本にはいて、国の進むべき道とか、社会問題を語っていたはずなのに、軍国主義に走ったころから多様な言論は封殺されてしまった。

敗戦を経験しても結局「親方日の丸」思想は変わらず、高度成長はそれをさらに固定化した。

今のメディアは、生活の知恵は発信しても、国家・社会のあり方を喧々諤々議論することは発信しないし、視聴者の多くもそれを求めているとは思えない。
結果、目先の利益、金もうけ、自分の生活の安定ばかりが優先され、自分に直接かかわらないことには無関心という国民性が生まれてしまった。

イギリスでもBBCハードトークのような討論番組はあるが、日本では政治家に好き放題喋らせるばかりだ。
日本は国民全体の思想や討論の力が衰え、無能な政治家の跋扈を許しているように思う。

学術会議の人選については、実際は村上氏の言うことと真逆の実態があった。
新安保法制は違憲でないとした、学界では「とんでもない」学者、例えば九大の井上武史氏のような人を、学術会議は丁寧に排除していたんだよ。現会員が新会員を推薦するという人選で、多様性を担保できるわけがない。任命拒否以前に、完全に柔軟性を欠いていた。
そこが問われたのだが、村上氏も分かっていない。

おっしゃることには一理あると思いますが、“てにをは”の間違いにすら敏感に反応して、ことばの裏側担ってある真意を聞き取ろうとしない有権者にも責任があるような気がしています。

“ことば” を駆使して仕事をされているお立場からすれば、同じく“ことば” への深い認識と発信力を持って仕事をするべき政治家の今を憂えるのも当然ですが、日本の政治家の劣化がこれほどまでに進んだのは、有権者の質の低下がその要因の一つであることを、有権者自身が重く受け止めなければならないと思います。

政策の立案や実行力、誠実な人柄が重要と言いながら、“酒を注いでくれなかったから・・・” というような理由が、投票をする際の判断材料としてまかり通ってしまう現実があることもご存じのはず。

若い頃は自分も選挙にあまり足が向かない1人
歳を重ねてきて物事が多角的に見れるようになってきて政治、国、自分の未来、子供達の未来を少し考えるようになりそれに伴い投票は行くようになりました

国難、コロナは世界的な危機ですがそれに伴って浮き出る政治家のアラ
政治、政治家を変えられるのは国民一人一人の意識、そして選挙
みんなの意識を変えてより良い日本にしたいものです


注目ニュース