「この暑さでやれるという確信を得ないといけない。ある意味、五輪関係者にとってはチャンスで、本当に大丈夫か、どう暑さに打ち勝つか、何の問題もなくやれたかを試すには、こんな機会はない」。
東京五輪組織委員会の会長・森喜朗は、東京の気温が観測史上初めて40度を超えた先月23日、日刊スポーツのインタビューでこう述べている。
内閣支持率が「消費税(当時5%)並み」の首相だった人
やれる確信のないまま今日まできたのもなかなかの話であるが、森からすると「東京、暑くね?」と気づくなり、すぐさまサマータイムの導入を政府に申し入れたりしたのは、「仕事できる俺すげー」なのかもしれない。
この森という人物はかつて首相であった。内閣支持率が「消費税(当時5%)並み」などと揶揄されるほどの不人気で、自民党内からも愛想を尽かされ、就任からわずか1年で退任に追い込まれる。
その森が東京五輪組織委員会の会長となる経緯については、週刊新潮(2015.8.13-20号)によると「“(会長は)財界から出すのが一番いい”などと周囲に話していましたが、本心は全く違った。
“自分が会長をやる”と密かに官邸に働きかけていたのです」(官邸関係者・談)とのこと。官邸の主は旧森派の安倍晋三である。後輩である手前、嫌だとも言いにくい。
“いつまで公職を続けられるかチャレンジ”
森はかつて、組織委員会の活動について講演でこう語っている。「82歳までなんとしても頑張って、もしオリンピックが開けるまで努力して組織委員会やっておれるなら、これは私にとって誠にありがたいことであり、それが一つの可能性に対する挑戦」(注1)。森にとっての“いつまで公職を続けられるかチャレンジ”であったのか。
こうなると東京オリンピックは、森の「生き甲斐」につきあわされているような気がしてくる。会社員が定年後に手打ち蕎麦屋を始めたり、地域活動を始めたりするように、森は国会議員を辞めたのち、東京オリンピック活動を始めたかのようだ。
無報酬であることを事あるごとに強調
生き甲斐でやっているからだろうか、森は無報酬であることを事あるごとに強調している。たとえば公式エンブレム騒動のおり、事務総長らが報酬の一部を自主返納する処分となったが「私は無報酬だから、返納しようがない」という具合。.
報酬返納だけが責任の取り方ではあるまいが、エンブレム騒動でもザハ・ハディドの新国立競技場問題でも自らの責任を明らかにすることはなかった。
もっとも、無報酬でもオリンピックを仕切っていることの裏を勘ぐれば、週刊誌記事でいえば「ケチで愚かで偉そうな『森喜朗』元総理の利権を潰せ」(週刊新潮2015.8.13-20号)、「森喜朗親密企業が五輪案件を続々受注」(週刊文春2016.9.15号)などがあるのだが。
この酷暑にやられてか、「暑いからマラソンはスローペースになり、我慢強い日本人が優位」などとヤケッパチなことを言い出す者も現れたが、世間一般はこのクソ暑い中でオリンピックやってどうする?との厭戦ムード一色となっていく。
しかしそんなことには気もとめず、森率いる五輪組織委員会は、ボランティアにひとが集まるようにとの下心で各大学に五輪期間中の授業などの日程の変更を求め、首都圏の企業には混雑を減らすために盆休みを期間中に変更するよう要請する。
森の生き甲斐につきあわされて、明治大学などは五輪期間中を休みにすべくゴールデンウイークに授業をおこなうと発表し、会社員によってはお盆をお盆じゃない時期に迎えるはめとなる。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180804-00008463-bunshun-soci
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