横浜市の大口病院(現・横浜はじめ病院)で起きた連続中毒死事件で、久保木愛弓(あゆみ)容疑者(31)=殺人容疑で逮捕=が弱った患者に狙いを絞り、薬品混入に手を染めた異様な犯行形態が明らかになってきた。
多人数に投与したことを認め、「極刑も覚悟している」などと供述。乏しい責任感、暗い人間関係、コミュニケーション能力の欠如…。自ら負の呪縛(じゅばく)にとらわれ、「おとなしくて地味な人」は容疑者に暗転した。
◆同僚への犯行否定
大口病院では、事件前後の約2カ月の間に、およそ50人もの患者が死亡している。多いときには1日に5人。末期のがん患者や回復の見込みが低い高齢者らが痛みの緩和治療などを行う病院ではあったが、病院幹部も「異常な数だ」「呪われているのか」と首をかしげる事態だった。
神奈川県警の捜査関係者によると、久保木容疑者は、多くの患者の点滴に毒性の強い消毒液を投与したことをほのめかしており、その数は20人に上るとされる。「死刑になっても仕方がないことをした」。こうした身勝手な供述も始めているという。
ただ、かたくなに関与を否定する場面がある。当時、病院内で起きていた別の異変だ。大口病院では看護師のエプロンが裂かれる事案が発生。別の看護師のペットボトルに刺激臭のある異物が混入される騒ぎもあった。
同僚らの間では久保木容疑者の犯人説が流れていたというが、本人は今も「違う」と訴えている。看護師間でのいじめのような陰湿な人間関係があったのでは、と指摘する関係者もいる。
久保木容疑者は3つの病院での勤務歴があるが、関係者らによると、実際にトラブルを起こしたのは大口病院だけだったとされる。暗い職場環境のもと、次第に精神をゆがませていったのか。
◆終末期のほうが楽
久保木容疑者は幼少期から目立たない存在だった。両親と弟の4人家族。小学生時代を過ごしていた水戸市のアパート管理人は、「近所の子供たちが遊んでいるのを一歩引いてみている引っ込み思案な子だった」と振り返る。中学のときに父の仕事の都合で神奈川県伊勢原市へ転居し、やがて高校に進んだ。
そこでも、おとなしく内気な性格は変わらなかった。愛称は「あゆ」。同級生は「授業中に発言は絶対にしない。体育祭などの行事では、とりあえず後ろからついていくような消極的な人だった」と語る。髪を染める生徒も多かったが「外見も黒髪で地味だった」。
高校は高齢者施設への職場体験を奨励するなど福祉教育に力を入れており、卒業後は看護師として働く人が多かった。久保木容疑者も平成17年3月に卒業後、専門学校を経て21歳のときに看護師としてのキャリアをスタートさせた。
ただ、周囲と少し違う側面ものぞかせていた。別の総合病院での勤務を経て、終末期の患者を多く抱える大口病院に入ったのは27年5月。
「(終末期の患者は)手がかからず楽だと思った」。多くが看護師としての職責に誇りを持つ中、久保木容疑者は転職理由をこう打ち明け、周囲を驚かせていた。
◆人との交流は苦手
終末期医療の患者は手術や投薬による積極的な医療を施さない場合もあり、おとなしい久保木容疑者にとって、当初は理想の職場だったのか。
「不満をもらさず淡々と仕事をこなしていた」(同僚)。ただ、病院関係者らは、1人でいる時間が多く、コミュニケーションが苦手な久保木容疑者の一面も見ていた。潔癖症だったとの声もある。
誤算も生じた。職場では日常的に死があり、人と接するのが苦手な久保木容疑者にとって遺族への経緯説明はハードルが高かった。
内向的な性格に院内の複雑な人間関係、そして日々突きつけられる死。「自分の勤務時間帯に患者が死ぬと遺族に経緯を説明する必要があり、それが苦手だった。
だから担当時間外に薬品を入れて殺した」。逮捕後の調べに久保木容疑者は、そう動機を明かした。さらに「(事件発覚の)2~3カ月前から(多くの患者に)混入を始めた。だんだん感覚がマヒしていった」とも話している。
こころぎふ臨床心理センター代表理事の長谷川博一氏は、久保木容疑者の性格について「こだわりが強く、1つのやり方に固執するタイプ。一方で自分の行動がもたらす結果を予測する力が乏しい」と分析。
その上で、「立て続けに患者が死亡すれば周りも偶然ではないと気づき始める。警察の捜査が始まれば自分にも手が及ぶかもしれない。そうした展開を予測する想像力がない」と指摘した。
県警は、入院患者の八巻信雄さん=当時(88)=を殺害した疑いでも立件する方針。物証が限られ、ほぼ供述頼みの難しい捜査が続いており、事件の全容解明には時間がかかりそうだ。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180717-00000059-san-soci
みんなのコメント
私の知っている例では、介護の夜勤17時間、間1時間ぐらい休憩時間はあるが、手のかかる介護者が出るとその休憩も取れない。さらに利用者が勝手に事故を起こすと、その後「事故報告書」を書かされる。数時間かかることもある。
その数時間の残業代はなし。日本には弱者(この場合介護職員、看護師)に負担させ全体の体面を保とうという傾向が戦後特に強い。自活できない高齢者の介護、医療は今のままでは立ち行かない。外国人介護者とかロボット介護よりもっと根本的な選択の時期にあると思う。
そもそも2ヶ月に50人亡くなっても事件化しなかった病院は、暗黙のうちに彼女の犯行を肯定していたことにならないか。いや少なくとも彼女はそう解釈したのでは?遺族もどこかほっとした表情を見せたのかもしれない。
そうやってもしかしたら最初はいじめてくる同僚への腹いせだった行為が、だんだんと英雄的行為に意味がすり替わっていったのではないだろうか? つまり「良いことをしている」という。「誰の命も奪ってはならない」ということを無条件の前提にしているコメントが散見されるが、実際本音のところでどうなのか。
高齢者の、しかも終末期の患者たちは「早く楽になってもらいたい」というような空気感が、この社会にはないだろうか?
昨今騒がれてるワークライフバランス、仕事の忙しさ・厳しさゆえ乱れてしまい、自身の心のよりどころを忘れてしまったのではと。もちろん行った行為は決して許されるものではないが、ナースの職場の厳しさと複雑さを露呈してるような感じもする。
こういった殺人とか虐待とか、他の病院や介護施設でも起きてる。犯人が分かってハイ解決!同じことが起きないように鍵かけてオッケー!って話じゃ済まないと思う。なんとも、うまく言い表せないんだけど…
もっと言えば関わりたくない、と。他人に対する無関心、無責任は時として最悪の結果を生み出す。これは現代の日本全体が生み出したモンスター。でも、モンスターも元々は普通の女の子だった。ちょっと不器用で、大人しくて人見知りなだけの。
そして志した職業は人を助ける事、人の役に立つ仕事だった。今の日本を見ていると、モンスター増殖中の気がしてならない。