ネットの反応

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実生活でもネットでも、ひょんな事で相手の恨みを買う事はあると思う。
加えてネットでは匿名を良い事に誹謗中傷等起こりやすい。
この秋葉原の件では掲示板の荒らし行為も犯行を引き起こす一つの原因になってしまった。
いくら傷ついたからと言ってその反動でこんな事をしたら許されないし結果こうなった訳だが、小さな事が大事になる可能性がある点を皆が留意すれば、このような事が起こる可能性も減ると思う。
特にネット上で、安易に人叩きをする方は考えてもらいたい。
1-1
人殺しはいけないし、テロはもっての外という事は一般的な社会で生きてる人なら持っている共通認識だと思う。
ただ孤独を抱える人の中には、えてして追い込まれると、そういう分別がつかなくなる人がいるのも事実。
それは今までの事件がそれを証明している。
誰が潜在的にその可能性があるのか前もって知る事は不可能に近いので、なるべくそうならないようにする事が必要になる。
言葉でいけないと言っても追い込まれてる人には響かない。
そうしなければ周期的に同じような事件が起こると思う。
これから更に生活困窮者が増えてくるので余計に
1-2
加藤がやらかした事件そのものも直接の動機も汲むものは何もないが、その背景というものはしっかり考察する必要があると思う。事件を起こすところまでは理解できなくても、加藤と同じような焦燥感をもって日々過ごしている人は結構多い。そこは改善していくべき。
1-3
子どもの頃に自己肯定感を育むとかしっかり教育するとか、こうした事件を起こす人が現れないようにとの思いなんでしょうが、その因果関係もわからないし、自己肯定感のある人が社内でパワハラしてたりも普通にあることでしょう。
1-4
加藤も言ってる様に「現実は建前、ネットは本音」ってのは間違っていないと思う。
100%そうではないと思うけど、「現実は建前に寄りがち、ネットはは本音や本性に近い」と言えると思う。
それはコミュニティの性質上仕方のない事だと思うんだよね。
だから本音のやり取りを嫌うならネットに近付かないほうは良いと思うんだよ。
近付きさえしなければ攻撃される事もないからね。
1-5
私はプロレスファンなんですが一部の新日本プロレスに熱が入っている信者と言われるファンが他団体のレスラーやファンに対して人格否定や誹謗中傷を繰り返しています。プロレス団体として盛り上がっているとしてもこのようなモラルがない行為は許しがたい行為と言えます。
過去に新日本プロレスファンがやらかした迷惑行為もニュースになった事があります。
1-6
バイアスの問題だろうと思うが事件を起こしてはならない
と普通の人は思うが
(ここでの対象は「事件」という事象にかかる

正しければ何をしてもいい、と思えば
(ここでの対象は「自分の中の正しさ」という観念にかかる

後は自分の中で「正しい」とさえ認識してしまえば
手段が正当化される
これはあさま山荘とか赤軍派とかテロとか
政治家だろうと一般人だろうと
殺して何がどうなるわけでもないのに
そうすれば解決すると思い込む

・レッテル貼りに対する見返しとしてテロ

そのテロというゴールの先に何があるのか
栄光か奈落か
ゴールの先に待つモノを何一つ考えていない

1-7
この人が孤立してしまったのは、社会の問題だけではないと思うけど。
人に求めてばかりで、己は周囲の人に何かしてあげたのか!?
優しくされたいなら優しくなれ、信じてほしいなら相手を信じろ、みたいなセリフがとある漫画にあったが
この人には「人を思う心」が欠けてたように思う。
でなければ見ず知らずの人に刃を向けれる筈が無い。
1-8
>事件を起こして報道してもらうことによって、本当にやめてほしかったと知ってもらおうと思った」(被告人質問)そんな理由で…
そしてきっと、その成りすましの人たちには
この事件本当の意味では響いてないと思う…

>13年に刊行した著書「解+」では「誰かがいれば、その人のために何かしますから、成りすましらのことは後回しにできます。私にはもう、成りすましらとの関係しか残っていませんでした」と振り返った。

これは言いたいことはわかる。
私も一時期、義父母との関係がイヤで仕方ない頃があった。
その頃は乳児を抱えた生活で世間との関係が薄く、
そこに私が望まない形で干渉してくる義父母が、
当時の私を取り巻く狭い人間関係の中で
目立ってイヤな存在だった。
後回しにできない薄まらない。
早く仕事復帰でもしてればほかに上司だのクレーマー客だのが嫌い!ってなって、義父母なんか薄まっただろうと思ってる。

1-9
ネットに居場所求めてはいけない。リアルでなるべく仕事等、金銭絡まずできる事に夢中なってればそこに本物の居場所はある。
私の場合は動物ボランティアでした。たいした事してないつもりだが…上辺だけでない本物の尊敬される感じはあります。
1-10
別に普通に生きていたって、本音なんかなかなか言えないもんだよ。ネットの世界に答えを求めても、むなしくなるだけ。今時代は成人に限らず、子供たち(小学校高学年くらいからかな?)だって本音なんか、言えないのではないかな?国民性も関係してると思うし。苦しくても「助けて」なんて言えないよ。
2
孤立した成人相手に社会で出来る事ってほとんどないよね。人格形成に大きく影響する幼少期の虐待やネグレクトから保護する事は出来てもね。もっとも日本ではまだ意識改革も法整備も進んでないけど。
現代社会ならではだろうけど、ネット社会に孤独への救いを求めるのは、かなりリスキーだと思う。本音で向き合えると言うけど、必ずしも本音をぶつけ合うのがいいとも限らない。出会いの運もあるかもしれないけど、憎悪の感情を引き出されてしまう事が多い場でもあるから。
2-1
こういう人の考えは、100か0で玉虫色的な考えがないんです。良く言えば真面目、悪く言えば遊びがない。車を運転される方なら分かると思いますが、ハンドル操作時に必要な遊び幅がないんです。F1のハンドルは遊び幅がありません、1cmの違いで大事故に繋がります。こんな感じですから社会という公道を走っていても、常に力が入っていて疲れてしまう訳です。また、見えるものだけは最も簡単に信用してしまうようなところがあるんだと思います。想像力や創造力が極端に少ないので、本音や建前で苦しむことになってしまう訳です。行き過ぎた資本主義によって生み出されてくることなんだと思いますが、悲しいかな、これらの問題は消えて無くなる事はないでしょう。それも踏まえて考えていかなければいけないと思います。
2-2
少数派をはじく、見下しとか陰口、偏見や差別、そういうのが減って、レールからはずれても年齢関係なくやりなおしが可能な世の中ならマイノリティも多少は生きやすくなるんじゃないかな。
問題抱えた成人に社会ができることは何もないと違和感なく言ってしまえる社会はやはり不寛容で閉鎖的な社会だと思う。
どう打開すればとなると本当に難しい問題だとは思うけれど。
2-3
あの時代のネットはいわゆる2ちゃんねると言った「匿名掲示板」での発言が主で特定個人が自分の発言に責任など持たず好き勝手言っていました
今はある程度個人が特定出来るSNS(ツイッターとか)で個人の意見として発言し、横の繋がりを深める事も多いです
一口にネットと言っても今と昔では全く違う物になっている
確かにあの時代にネットを自分の存在を確立する場所として求めるはちょっと酷な時代だったと思う
2-4
人間関係とそれに付随する助け合いは「共助」に分類される.その共助が成り立つには「お互い様」でなければならない.つまり貸し借りのバランスが釣り合っていなければならない.しかも結構短い時間スケールの中で.だから共に助け合うためにはお互いが同じレベルでなければならない.共助の世界には明確な階層が出現します.
結果,自助が厳しい者ほど共助が得られない.それを人は公助に丸投げする.しかし,個人的な苦しみ程,公助との相性がわるい.
キリスト教圏の人たちのチャリティーのような,一方通行な共助は日本にはない.ならば,お互いに支え合うということの意味と意義を,もう一度考え直したほうがいいのではないだろうか.
加藤を何の自省もなく突き放している人が,もしかしたら一番無自覚に一番多くの苦しみを生んでいる可能性がある.私は,身の回りに加藤がいたら,自分も彼の背中を押していたのでは,と考えている.
2-5
無敵の人への対策が多少お節介でもコミュニケーションを取るなら、今の時代に出来る人はあまりいないように思う。
何か目で見て助けが必要な場合なら、かなりの人が手を差し伸べてくれると思うが、心の中まで心配するのはなかなか難しい。
特に絡みづらい人には。
残念ながら、我々は今後もテロに怯えて暮らすしかないと思います。
2-6
torr***さんへ
>孤立って、結果的に自分が招いた事で、それを理由に犯罪侵されたらたまったものじゃない。加藤の場合、対等な関係を作りたかった、心を開いて話し合える人が欲しかったというより、自分が世界の中心になりたかった、山の頂上から他人を見下したかったのだと思うが・・・。本人がそういう風だったら、そりゃあ孤立するのも当然だと思う

2-7
日常の雑談相手がまず必要ですね.
結局,彼が困ったとき助ける者が周囲にいなかったのかもしれませんね.それで抱え込む.
みんな,あとになってから抱え込まず相談してくれたら,といいますが,実際に相談されて親身になれるのは,普段からの仲がいい人だけです.それ以外の人に擦り寄られても困るわけで,人によっては不快感すら感じます.なので,普段の良好な人間関係がなければいざとなったとき詰むのだと思います.
一方でそれでも詰まない社会というのも大事です.普段の人間関係は,追い詰められる程におろそかになります.
彼らにとっては,良好な人間関係自体,余裕のある貴族同士の上級サロンに見えることでしょう.人間関係も余裕を融通し合う資本主義です.
あと,ネットも一つの社会なので,タコツボにはまらなければそれはそれで救いの場になりえます.ネットが無くとも,リアルで偏ったグループに入ってしまえば,同じことですしね.
2-8
いや 出来ることはあるでしょ!
積極財政に大きく舵を切って、経済を復活させて、賃金を上げていきながら、人々の身分を底上げしていく。
精神的なものは着手しづらくても、経済的に困窮している人間を縮小し、家庭を持てるチャンスがある人には躊躇せずに家庭を持てる状況にしていく!
結果 守るもの生きる目的がある人間が多くなるので、この手の無敵の人的な犯罪は少なくなっていくように思う。
それには 少なくともメリットがない勤め人サイドの人間が自民党支持を辞めなければならない!
2-9
こういう人達は声をかけられるのを嫌うのでは?例えば町内会の寄り合いとか、会社の催しとか。ボランティアでもいいでしょう。

でも彼らは「なんで自分の時間を割いてまで参加しなきゃいけないんだ」とか言いそうな感じです。

そのくせ、孤立、孤独感を感じるなんて、身勝手にもほどかあります。

「孤立」したくなければ「参加」するしかないのに。

なのに、二言目には「格差が」「派遣が」。

お金がなくても参加できるコミュニティならいくらでもあります。

2-10
現実社会が「ホンネ」で成り立っていたら、逆に社会として機能しなくなるだろう。建前と本音を使い分けることは、他人とコミュニケートする上で重要なこと。
それは決して悪い事ではない。

・・・という当り前のことを学ぶ機会が無かったんだろうな。その点では不憫だと思う。

3
でもまぁやっぱり、育った家庭環境って大事だなとは思う。
昔ながらの育て方がダメとは言わないが、凶悪事件を起こす犯人のうち、幼少時代に暴力や育児放棄を経験してる人の割当が高いように感じる。幼少期に暴力を受けて育つと、問題解決方法として武力行使が正当化されてしまう。
全員がそうだとは言わないが、小さい頃の環境が成長しても尾を引くことは多いと思う。

こういう輩を生まないためには、子育てに対する支援や、場合によっては行政の介入も必要だと思う。

3-1
子供が育つ環境が日本は総じて陰湿傾向あり、それに順応できない子供は他人をいじめたりいじめられたりするし、そもそも順応すること自体難しい。
本当は大人がそれを予防・察知・解消することで子供の軌道を修正するべきなのだが、当の大人もなかなかの陰湿環境(家庭環境、教育者の職場、行政、人間関係)にいるもんだからそれが出来ない。
まずは大人が心に余裕を持てるようにならなければならないし、人は心に余裕がなければ、他人に優しくすることは困難だから。
3-2
加藤も山上も同世代だけど、今と比べて育児は悪い意味で適当な部分が残っていて、子供に対して人権意識なんてなかった。親は皆婚世代で今の時代なら結婚できないような人でも結婚しているからね。

子供を持って思うのだけど、作る以上それ相応の心構えを持つべきだと思うんよね。

毒親傾向のある親が割といるし、氷河期世代だしなかなかしんどい。

3-3
加藤は後輩でした
気配りの出来るとても良い子で、誰も彼を嫌ったり、馬鹿にする人は少なくとも私の周りではいなかった
気持ち悪いだとか、そんな感情一切なかったし、大人になってどこかで見かけたら必ず声を掛けたかった彼の行った事は全く同情出来ないし、死刑で当然だけど、あの優しさの裏に辛い家庭環境があったなんて、とても悲しく、悔やまれます

卒業して何年も会ってないけど、こうして自分の事を好きというか、大切な仲間だと思ってた人間がいる事を何とか伝えたかった

次は優しい母親の元に生まれて愛情を注がれて欲しい

3-4
>子供が育つ環境が日本は総じて陰湿傾向あり、それに順応できない子供は他人をいじめたりいじめられたりするし、そもそも順応すること自体難しい。海外の学校と日本の学校の両方か子供を通わせました。海外もいじめはたくさんあり陰湿です。でもその後の対応に日本と海外の差があると感じます。

日本の学校は小6でも嫌なことを言われたくらいですぐ親や担任に言いつけ自分で対処できない子が多いんですよね。そして学校は「あなたの子はこんな悪口を言いました」と親に言う。

海外だとたいてい子供は自分で言い返すし親も助言に留まることが多いように感じました。

日本は小さい頃からもっと嫌なことに対し受け流したり自分でやめてくれと主張させるようにした方がいいと思う。日本はやられた側の返し方も陰湿にみえる。だから海外にでても主張できないんですよね。親や学校がやってあげすぎ。

3-5
育つ環境は結び付くと思う
反面教師でやらない人もいるから一概に言えないけど、幼い頃に虐待されてた経験がある人がもう暴力しないは信用したらいけないし、最初から暴力しない
それを言うと
賛同してくれない人か多かったけど
なぜ?って思う
3-6
子供が虐待されたり、重圧かけられてるのは可哀想と言うけど、そのまま成長すると憎まれてしまう。
年だけ取れば健全育成された人と同じになるわけではないのだから、早く見つけてどうにかしないとね。
3-7
行き過ぎた教育強制は性格に歪みを生じさせた。自分の為じゃなく、その子にあった進路や教育方法を考えてあげないと。
3-8
何してもこういうのは無くならないと思う
3-9
「昔ながらの育て方=暴力
じゃねーけどな」だと思うよ。

3-10
犯罪心理が専門という先生がテレビで言っていたけど、恵まれない境遇で育つと、自分はこんな酷い目にあっているのだから社会は代償を払ってくれて当然と思うようになったりするのだそうです。
世の中は厳しい。ほとんどの社会人は役に立たないお荷物な人間には社会は冷たいと感じだことがあるんじゃないかな。子供ならまだしも、いい年した大人になるまで人生を切り開けるのは自分だけと気がついてほしかった。
4
たまたま私は人受けが良く周りも助けてくれたから、加藤さんみたいにはならなかったが、ひとつ間違えば同じ事になってたかも知れない。
幼少期からの虐待や挫折で塞ぎ込むのは私も経験あるから解る。
昔は良く解らないが、今の世間は自分の事で精一杯で身近な人への関心が薄れてきていると思う。
ただ、どんな理由があろうとも人を傷つける行為はやってはダメ。
そこは人間として理性を保って欲しいと思う。
4-1
自分は加藤より少し年上だけど加藤と似た境遇で派遣してたり中々正社員になれなかった。親を頼れず孤独な時もあって、夜にこのままどう生きていくのかって不安だった。無関係の人間を攻撃したのは絶対良くないが、自分も一歩違えば加藤になっていた。とても無関係とは思えない。これからの日本は格差がより広がって行くと思うし、安定の仕事なんてないのかもしれない。このような事件が発生しない社会を考えるのが大切だと思うよ
4-2
戦後、激動の昭和を肌感覚で過ごされた人が少なくなってきているから理解されにくくなっているかもしれないが、昔の方が自分の事で精一杯だったんじゃないかな。だからこそ、辛さや悲しみを分かち合って乗り越えようとする人心が社会全体で育まれていったと自分は思うけどね。

ちなみに犯罪者はいつの時代も存在するが、過去と今の社会ではその性質がかなり変化していると思う。

4-3
まぁ亡くなれば皆仏さんとの考えが日本にはありますからね。
仏教の教えならあの世の行き先は仏さまの元じゃ無いでしょうけどね。記事では勉強が出来ないように書かれてますが進学校へ入学出来るだけの学力はあったんですよね。
でも仕事のほうは今一だったようで…派遣ならある程度仕事出来ればそんなに居心地悪くまでならないはずで休みがちとか色々自分の立場作るのが下手だったようですね。
確かトヨタ系だったはずだから作業レベルの辛さはトップレベルだろうしもう少し軽作業ならこうはならなかったかも知れません。
そういった意味では選択を誤ると自分もって考えるのは不思議じゃないです。

仕事先の選択は何かしら結果出るまで失敗か成功は分からないのが厄介ですけどね。

4-4
ここのスレッドを見ても
一つのコメントに対して
それぞれの意見や読み方があるなと感じる。ネットの中の発言は私も含めて
現実の中より
さまざまな人の声を聞くことができるので
良いこともあるとは思うけど

かなり正直で率直。
傷つくこともたくさんあると思う。

いろんな意見があって良いと思うけど
そんな意見を気にしてしまうと
自殺や他殺につながるということですね。

ネットの闇の部分がトリガーになってしまった
事件なのかなと思います。

4-5
別記事にもコメントしましたが、私は加藤死刑囚と同い年です。
過保護な両親と何かと面倒をみてくれる先輩や上司に囲まれていたこともあり、30半ばくらいまで苦労らしい苦労はせずに過ごしてきました。
一人前になったつもりで5年前、上司や先輩の元を離れましたが、人間というのはこんなに孤独なのかと言うことを知りました。歳を取ってからの初めての孤独なこともあり、ダメージが強くメンタルが不安定になったり、自暴自棄になったりもします。
人間孤独に耐えながら生きてんだよ甘えんなよと責められたこともあり、ごもっともだと思いましたが、人間はこんなに辛い思いをしなければ生きていけないのかと思うことも少なくありません。
4-6
私も似たような事を思います。
明日は我が身。
先日、安倍元首相を襲った犯人のプロフィールが出て来た時は特にそう思いました。
犯人と同じ歳。
同じファイナンシャルプランナーの資格持ち。
彼は更に色々な資格も持っている。
ハッキリ言えば、私よりずっと多才。
なのに…何故ああなった。
ホントに、一つ違うだけで人生は大きく変わるものなのだな。
4-7
厳しく禁止されていた製造業の派遣解禁竹中平蔵がセーフティーネットを作りたかったが作れなかったとか
いいわけ言っていたから、セーフティーネットが必要だったんだろうけど、作らなかったんだろうな。。。それも原因の一つにあると思う。

4-8
人に関心を持つことは大事だけれど、同性に限るかな。異性の場合は、仮に相談を受けた場合でも、最低限度に留めないと、理不尽な目に会うこともある。

4-9
コメ主様に、完全に同意します!
私も本来の性格は陰キャだと思うのですが、周りの人たちのおかげで毎日笑って暮らしています。
自分を支えてくれている人達に、感謝・感謝・感謝! この気持ちを忘れちゃダメだぞ、自分!
4-10
人受けがいいと言うのは言い換えれば「自分は人から好かれるタイプ」ってことですかね。自分に自信あるんだなぁ。

5
ある年齢までは今この時、少し先の未来を考えて生きる。中年になると昔の事ばかり考える。いい事もあったけど辛い事も多かった。それでも昔は良かったと思ってしまう。近所の関わりもそうだし、希望も持てた時代だったのかもしれない。見たもの聞いたもの以外入ってこなかった時代と今を比べると、便利になったし世界中の方と誰でも繋がりを持とうと思えばできる。すごいけど気持ち的には生活し辛い。誰かに見られているかもしれないし、自分の知らないところで何かのターゲットになるかもしれない。この方のした事は関係のない人を傷つけただけ。それは意味のない事。何のメッセージでもないし自己満足。だけど少しだけ可哀想になるのは何故だろうか?
5-1
いかなる家庭環境で育っても、親元離れてからの人生の方がはるかに長い。
自分の人生は自分の物で、育った家庭環境のせいにして、良くない方向に進んだ言い訳にはならない。
長い自分の人生は、自分の物だと自覚して、自分が幸福な人生を送れるように努力するのがいいんじゃないのかな。
本当に劣悪な親であったなら、自分から縁を切って、交流を断ち切ればいいだけの事。
自分の非行を家庭環境のせいにしても、なにも始まらない。


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