17日で発生から24年となる阪神大震災の追悼行事を取りやめる動きが、兵庫県内で相次いでいる。背景には被災者の高齢化が進んだことに加え、夜明け前の行事に出席する身体的負担も。行事の減少傾向は近年続いており、関係者からは「震災の風化につながる」と懸念する声も上がる。(林信登)
「百万ドルの夜景」を一望できる神戸市中央区の諏訪山公園・ビーナスブリッジで、震災翌年から毎年行われてきた「早朝追悼のつどい」。実行委員会は昨年11月、震災24年となる今回での終了を決めた。
つどいでは毎年、震災発生時刻の午前5時46分に追悼の鐘を鳴らし、遺族らが黙祷(もくとう)。トランペット奏者、松平晃さん(76)=川崎市=が犠牲者に向け追悼の音色を響かせてきた。
平成19年の十三回忌でいったん終了となったが、存続を望む市民の声を受け、翌20年以降も被災者ら有志の実行委で続けてきた。
しかし、実行委のメンバーの多くが80~90代と高齢になり、健康面に不安を抱える人が増加。冬は路面が凍ることもある暗い山道を登ることも危険なことから、今回で区切りとする。
実行委の委員長を務める安田秋成さん(93)は「街の明かりとともに犠牲者をしのぶ貴重な式だった。追悼の場が減るのが残念だ」と肩を落とす。
高齢化などを理由に取りやめるケースは、兵庫県内で相次いでいる。神戸市の市民団体「市民による追悼行事を考える会」の調査によると、
今年1月17日前後に予定される追悼行事は昨年12月時点で計53件。昨年よりも3件減り、震災20年の節目だった27年の110件からは半減した。
1月17日に鐘を鳴らす寺院などもここ10年で半減し、近年は正午に遅らせるケースも目立つ。同会の世話人、計盛(かずもり)哲夫さんは「この傾向が震災の風化につながらないようにしたい」と話している。
夜明け前の追悼行事は身体的な負担が大きいとして、開催時間を見直す動きもある。
神戸市長田区の復興住宅「フレール・アスタ若松」では毎年、震災発生時刻に合わせ、敷地内の復興記念碑前で追悼行事を開催してきた。
しかし、参加者の大半が80歳を超え、数年前から「寒さの厳しい夜明け前に集まるのは体力的にきつい」との声が上がった。自治会は昨年11月、役員会で行事の取りやめを提案し、全会一致で承認された。
一方で、復興住宅内で毎月開いている交流会「ふれあい喫茶」を初めて17日朝に開催する。住民や若い世代に向け、震災当時や復興の道のりを語り継ぐ内容という。
実行委副委員長の船引康義さん(53)は「時刻にこだわるのでなく、あの日を思い出し、犠牲者をしのぶことが大切だ」と強調している。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000534-san-soci
ネットの反応
風化につながると言われるが、映像記録が豊富に残ってるし、実際に被災した私(出張で三ノ宮駅側のホテルにいた)の記憶にも鮮明に残ってます。また、当時は社内報に被災経験を載せました。
風化につながるって言ってる人は、全く忘れられると勘違いしてるんじゃないの?
もういいと思う
気持ちの問題ですから。
深刻に考えずやりやすい時間帯でおやりになればよろしいのでは。
季節考えたら地震発生時に合わせてやる事じゃないと思う。17日に多くの人が鎮魂の念を抱ける昼か午後でなぜダメなのか。
こういった誰が悪いでもない自然災害で残った人達がその事ばかりじゃなく区切りをつけて生きて行けるならそれはそれで良いと思うけどな。
自分が残した側ならきっとそう願う。
そればかりに縛られずに生きて欲しい、と。
風化させてはいけないのは犯人が存在する犯罪。
数年後には来る次の大地震に備え生かすことが何よりも重要。
参加するほうも朝の3:00やそこらから行くし、吹きっさらしの広場にこれ見よがしに「ボランティアやってます」ったって被災遺族に対しても知らん顔。
風化させることもないけど神戸市の意図が分からないほどピンボケ。1.17はよく考えれば淡路島の北淡が震源。実際にあそこに見に行ったこともないし、広場はあるかどうか?だが、あそこのほうが実際に事の重大性が分かると思う。
風化して何が問題な訳?
無駄金使うな
早朝からトランペットって、逆に迷惑だわ!
もうあれからそんなに経つのか…
親に連れられ、ボランティアに行ったことをよく覚えています。
子供の背丈ほどの高さに家の屋根があって、瓦礫だらけの中を歩いたこと。
豚汁を配って、たくさんの人に「ありがとう」と言われたこと。
自分の子供にも、ちゃんと伝えていきたいと思います。
自分自身の亡くなった親族の法事、何回忌までやります?
二十歳前で経験した震災の私ももう40代、当時は大変だったけど、今はね~
何をもって風化なのか?…というより過去に一々縛られてもね、当時よりは目覚ましく進歩してる
何処かで区切りをつけるのも有りでしょう
どんなに早くても、情報番組が生中継しやすい78・9時台で十分では。
暗いうちでは照明や警備や費用もよけい掛かりそうだし。
平成最後の今年か、震災25年になる来年か、1.17が日曜日になる再来年が一つの区切りかもしれないですね。
あれから24年も経つんだな12x2で同じ亥年
猪突猛進とテレビに出てたやつが言っていた
必ずしも、同じ時間にやる必要はないのではないか。
悲しみを乗り越えて追悼が続いたことに敬服。ゆっくり休まれてはどうか。
タダでさえ真冬の夜明け前は辛いから、時間には拘らなくていい。
私は、東日本大震災を経験しましたが、
追悼取りやめとか風化と言う記事には違和感を持ちます。
もし、私が記者なら、言葉を選びます。
そうでなければ、生存者に失礼だと思います。
ただ、事実を書くのでは無く、配慮が必要だと思います。
当事者としてはその日になると思い出すのは当然だよな、でもいつまでも引きずるのはどうなんだろ。仏教じゃ死者を弔う法事はだんだん間隔をあけて行うけど同じやり方でいいんじゃないかな、歴史の積み上げとはそういうものだろ。
たかだか地震ですからね
戦争で300万人亡くなって、飢餓にあってもう戦争は懲り懲りだと反省してたはずなのに、1世紀も経たずに、アメリカと中国に踊らされ、朝鮮に翻弄され、第二次はとっくに風化しましたね
地震や津波は防げないけど、戦争は起こるべくして起きるんだろうね
バカなやつらがバカの一つ覚えで
「風化する」「風化させてはならない」
するか!バカ!
追悼の仕方はそれぞれでいいお思う。
大切なのは忘れないこと。思い起こすこと。亡くなられた方々の死を無駄にしばいこと。
誰もが、どこにいてもできることです。
ある程度仕方ないと思う。
それより、最近は関西ローカルですら、マトモに中継しないことの方が気になる。
自分がそうだからかも知れないが、神戸を離れて生活している人はせめてテレビを点けながら黙祷したいのに。
昨年の北海道の地震であれば、仮に毎年行われた場合、必ず午前3時に追悼式をしなければならなくなるのかな?
これまでは被災者が中心になって行われていたと拝察いたします。しかし、これからは次世代に伝えていくことを重視して、若い世代の方々に参加しやすく変えてもよいのではないでしょうか。体験が語り継がれれば、風化しないと思います。
ルミナリエとかもそうだが、もはや亡くなった人への追悼よりも、とりあえず続けること、やること自体が目的になってるよな。
法事の33回忌みたいに、ただの記念日に風化してしまった感じやわ。
当時は小学三年生だった。
月日はハクタイノごとく。
あっという間に24年ですね。バブル崩壊後の日本に追い討ちをかけるような災害でした。
そりゃ誰でも1月の早朝に布団から出たくないよ。
同時刻の追悼はやれる人がやればいい。
復興もかなり進んだ現在、リアルを優先するのは仕方の無い事。
昔と違い、当時の映像はパソコンやスマホでいくらでも見られるので、多少の風化はあっても大丈夫と思う。
だからといって高齢者に鞭を打つ事がよしとはならないでしょう。