支援会を立ち上げた中田さんと上田さん 21年間にわたり日本と韓国で訴訟を支援 先月30日、最高裁で勝訴判決を直接聞く 「生きていたらどんなに嬉んだか」
日本人の中田光信さん(64)は1997年、日本で開かれた初めての裁判で、故ヨ・ウンテク氏が発言した内容を今も覚えている。
「当時賃金を受け取っていたら牛6頭を買っただろうし、もしそのお金を持っていたら、私の人生は変わったでしょう」。ヨ氏は日帝強制占領期(日本の植民地時代)に日本製鉄(現新日鉄住金)の日本現地工場に強制動員された。
今月30日、日本の戦犯企業の強制労役被害者に対する損害賠償を認めた韓国最高裁(大法院)の判決が出る前に、中田さんと上田慶司さん(60)はソウル瑞草洞(ソチョドン)の最高裁判所前に立っていた。
中田さんはヨ氏の遺影を、上田さんは故シン・チョンス氏の遺影を持っていた。ヨ氏とシン氏は、イ・チュンシク氏(94)とともに、新日鉄住金を相手取って損害賠償訴訟を起こしたが、裁判が遅れ、この世を去った強制動員の被害者たちだ。2人の日本人は同日、亡くなったヨ氏とシン氏の代わりに、
最高裁判所大法廷で勝訴判決を直接聞いた。中田さんは「2人が生きていたら、どんなに喜んだだろうと思うと、本当に残念だ。でも、イ・チュンシクさんがご健在で本当に良かった。ありがたく思っている」と話した。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00031996-hankyoreh-kr
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