買い物中などに、さっきまでそばにいたわが子の姿を見失ってしまう。そんな経験のある人は多いだろう。たいていはすぐに見つかるのだが、不幸にして、目を離したほんのわずかな時間に子どもが不慮の事故に巻き込まれてしまうケースは後を絶たない。子どもには大人とは違う特有の行動心理があり、見ている風景も大人とは異なるためだという。子どもの行動に詳しい松蔭大の深谷野亜准教授に、危険を回避し、事故を防ぐ方法について解説してもらった。
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◆ちょっと目を離したすきに…
厚生労働省の「人口動態統計」(2014年)によれば、全年齢層の死因では「不慮の事故」は5位までに入っていません。しかし、子どもに限って見ると、「1~4歳」「5~9歳」で共に2位、「10~14歳」では3位と高くなっています。「事故」の内容は交通事故や溺死などです。「ちょっと目を離したすきに……」「危ないとは思っていたのに……」など、「まさか」と思うことが結果的に大きな事故につながってしまいます。昨年12月に、福井県越前市に住む3歳の男の子が行方不明になり、今年1月に遺体で発見されたケースがありました。報道によると、父親が男の子を車に乗せて遊びに行く途中、用事があったため、男の子を助手席に一人残して車を下り、職場に立ち寄りました。そして約10分後に戻ったところ、男の子がいなくなっていました。
父親はスマートフォンを男の子に渡してアニメを見せていたので、「1人でも大丈夫だと思った」と取材に答えています。
車の近くには幅約5メートルの川が流れ、雨で増水していました。小柄な3歳の男の子が車のドアを内側から開けて外に出て、冬の川に入るはずがないと考え、誘拐事件ではないかと考えた人もいたそうです。
しかし、その川の約40キロ下流で男の子の遺体が見つかったのです。警察では状況から、男の子が誤って川に転落して流されたもので、事件性はないとしています。
なぜ男の子はわずかな時間に危険な川に向かってしまったのでしょうか。子どもの行動心理の特徴から推測してみます。
◆急成長期は「初めて出来た」の連続
児童学の世界では、子どもの発達を次のようにとらえています。0歳児の頃は自分では何もできなかったのに、1歳になれば簡単な言葉の指示がわかり、2歳で自己主張を始めます。3歳くらいになると、それまで自分の身の周りのことしか目に入らなかったのが、その外に大きな世界があることに気がつくようになります。
今まで自分に直接関係がなかったので気にもしなかった物の名前や使い道など、様々なことが知りたくて仕方がなくなります。いわゆる、魔の“なぜなぜ期”の始まりです。
大人は、自分の子どもが出来る範囲を「直前までの状況」から判断し、「昨日までできなかったことは今日も出来るはずがない」と考えてしまいがちです。しかし、急成長期の子どもの場合、「初めて出来る日」は突然、訪れます。多くの「子どもの初めて」は、何のトラブルもなく終わりますが、偶然が重なって、悲しい事故につながってしまうことがあるのです。
福井のケースと同様に、車の中に短時間、幼い子どもを置いたままにしてしまった経験がある人は少なくないと思います。この時、「うちの子は内側からドアを開けられないから大丈夫だ」と考えていると、そのわずかな間に、子どもが内側からドアを開けられるようになる「初めて」が訪れるかもしれないので注意が必要です。
◆「死」を知らない子ども
もう一つ、子どもが“危険”に接近してしまう理由に、10歳くらいまでの子どもは「死」の意味を完全に理解できていないという発達の特徴があります。アメリカの精神科医、キューブラー・ロスの研究以降、死についての研究が進んでおり、児童学でも子どもにとっての死の受容について、様々な研究が進められています。
大人が行動する場合、死は取り返しのつかない永遠の別れと知っているので、死を避けるように行動をコントロールします。例えば、海で沖に向けて泳ぐ時、「これ以上沖に行けば帰るまでの体力はないだろうし、最悪、死んでしまうかもしれない」と予測できるからこそ、適当なところで引き返します。大人は、やる気を危機管理の観点で抑制しているとも言えますが、もし危機管理の観点が欠落していたらどういう結果になるでしょうか?
子どもは2歳頃から、「死ぬ」という言葉を使いはじめますが、睡眠のような活動の一時的停止としてとらえています。
6歳頃になれば、「死んだら二度と生き返らない」という仕組みを理解し始めますが、「自分も含め、全ての者は死ぬ」といったように、死を自分にも及ぶ危機として理解するのは10歳頃と考えられています。そのため、好奇心が活発に働き始めた3歳以降の子どもたちは、自分の好奇心の赴くまま、やる気を抑制できず、恐れることなく何にでもチャレンジしてしまうのです。
◆6000人が見落とした子どもの視点
こうした危険を予測するには、子どもの視点で考えることが必要です。ただ、大人が子どもの視点を容易に想像できる、と考えるのは危険です。
1994年12月、沖縄県名護市で7歳の男の子と5歳と4歳の女の子の計3人が行方不明となり、20日後に駐車したトラックの荷台にあったふた付きの箱型のタンク(縦横1メートル、高さ90センチ)の中で遺体となって発見されたケースが、それを示しています。
子どもたちが見つかったタンクを載せた車の周辺は、以前から遊び場所の一つでした。捜索は延べ6000人を動員して行われ、車の周辺も調べましたが、タンクに入ったことを想像した人は1人もなく、捜索の対象外でした。子どもたちを発見したのは、たまたまこのタンクを使おうとした一般の人でした。
◆子ども視点で危険を予測
では、子どもの視点や目線で危険を予測するにはどうしたらよいでしょうか。
まずは、文字通り目線を合わせることです。目の高さの違いだけでも、見える世界が大きく変わります。平均身長の違いから、大人の場合は160センチ、子どもは100センチくらいの高さから見ているのですが、見通せる範囲が大幅に変わってしまいます。大人が地面や床に膝をついて見える範囲が、おおよそ子どもの目線の目安になります。
さらに大人と子どもでは、視力や視野も異なります。子どもの視力は3歳くらいになればおおよそ0.8くらいであり、6歳頃になってようやく1.0程度になります。また視力と同じように、視野も発達します。6歳頃は、大人と比べて縦横6割程度の視野しかないというスウェーデンの児童心理学者、サンデルス氏の研究もあります。
◆子どもの視点を体験する
こうした子どもたちの視点を理解するために、NPO法人「CAPセンター・JAPAN」(大阪市)が作ったチャイルドビジョンという体験メガネがあります。同法人のウェブサイトからダウンロードした型紙を使って簡単に作ることができ、使い方も書いてあります。できればこれを使い、膝立ちになって目線の高さを子どもに合わせ、いろいろと見てほしいと思います。
筆者はかつて、学生とこのメガネを使って、大学の教室内や野外を見てまわったことがあります。大きなボールでキャッチボールをしても、目の前にくるまでボールがみえないために捕球できないことや、よく知った校内を歩いても、教室名などの文字情報が視野の外にあるため、どこも同じように見えてしまい、迷子になりそうだと驚きました。
逆に、狭められた視界の中で新たな発見もありました。アリやミミズといった小さな生き物が道の上で動いていることに、学生はとても興味をひかれたといいます。
また、ある学生は、綺麗きれいに見える教室の中で、いつ誰が書いたかもわからない古い落書きが机の下に残っていることや、棚の裏の隅にカビがあることを見つけました。子どもの目線で見ないと、目に入らないものや気がつかないものがあるのです。こうした大人の気がつかないものに興味を引かれ、導かれるように動くことで、子どもが“一瞬で消える”可能性があるのです。
◆親が安心できる時間を社会で作る
私たち大人が予測しにくい子どもの行動について、子どもの発達や目線の特徴から説明をしましたが、事故を防いだり、姿を消した子どもをすぐに探したりするには、どのような方法が有効なのでしょうか?
一言で言えば、「常に子どもの視点で考えろ」ということです。
事故を防ぐ究極の対策は「子どもから一瞬でも目を離すな」ということになりますが、忙しい子育ての際にこれを実現するのは不可能でしょう。
子どもに不慮の事故が起こったとき、安易に親の責任論を口にする人が多いと思います。しかし、共働きの増加で孤立しがちな子育て環境の中で頑張っている親に、そこまで求めるのは無理があります。
最近、「アロマザリング」という言葉が使われるようになってきました。これは、親以外の人が積極的に子育てに関わり、負担の軽減を目指すという考え方です。
子どもは、「その家の子ども」というばかりではなく、社会全体にとっても「宝」です。子どもが安全に暮らしていけるように手をさしのべるのが、地域社会を作る大人の義務でもあると思います。周囲が育児を支援し、「親が安心して目を離せるゆとり」を作ってあげることも、大切な子育ての支援の一つなのです。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180325-00010000-yomonline-life
家の子供は今年小学4年生です。色んな事を被害妄想かと思う位想定してやってきました。でも親のそんな思いとは裏腹に子供は自由を知り自立していきたがります。心配性が自立を奪うのは駄目だし、9歳は不慮の事故も多い年代だし。
周りの人の目も大切ですよね。他人の子の行動に口出すのは気が引けますが勇気を出して見守っていきます。
外出する際には、常に子供と手をつないているべきだ。
私が電車から降りてホームを歩いていたら、どこからともなく3歳くらいの男児が無意味に走っていて、私の足にぶつかった。親は遠くからその様子を見ていただけ。子供がぶつかった相手が人間だったから、この子は無傷だったが、これが車とかだったらその子は死んでいただろう。
田舎はしっかり教育してるから、そんな事、少ないわ。
メディアも過剰に煽りすぎやわ
今の時代、あまり他人に接することを遠慮してしまう傾向がありますが、子供、障害者、老人など危険を感じれば積極的に声をかけ、防いであげられる社会が望ましいと思います。
子供は小さい頃に優しく、好き勝手にやりたい事をやらせるのではなく、小さい頃にしつけ、教育をしっかりさせて、少しは大人の考えも身についてきた高校ぐらいから、好きなようにやらせるもんだ!
スーパー等で子供を野放しにしてる親は
どうにかしてほしい。
子供が何をしているのかも解らないで
子供だから仕方ないとか
誰にも迷惑かけてないとか
注意しても逆ギレで言い放つ。
そういう親は
子供が死ななければ解らないのかもと思ってしまう。
コタツ台の上で妻がミシンを使い始めました時、
子供が針先に手を置き、あっという間に小さな指先を
貫きました。
瞬間、後遺症も覚悟して、ゴメンと心の中で何度も叫びました。
幸い指の先端部であったことで、骨もなく、消毒と絆創膏で
治療は終了しました。
不幸中の幸いでした。
子供が攫われても知らんぷり
親が大人になりきれずに頭ごなしに物を言い
子供からのSOSを見逃して
事が起こってから・・・・・なんで?って
こんな世の中にしたのは政治家のせいなんだけどね
車の出入りが多いので、心配になって傍にいたが、
10分くらいして若い夫婦が悠然と車に現れた、こいつらバカかと思った。
他者の見守りも大事だが親の意識の持ち方の方が大事
単なる能無しの危機感の無さが理由だという事以外に何がある?
この手の文章によく使われる、美しい結語だけど、
それでも失敗することは、あるんだからね?
「善意・厚意」で見守りを引き受けてくれた他人がいた、
でも不孝にして子供は死んでしまった、
こういう場合でも、その他人は責任を問われない、という社会的合意が現代日本社会にあるかな?
責任を取れないことを引き受けないのは、むしろ責任感と常識のある大人として、当然だと思う。
綺麗な言葉で人をそそのかすのも、一種の罪だと、自分は思います。
スマホでアニメ見せていれば大丈夫なんて事はない。
まあ、自分も車の中で一人でいたら勝手にエンジンキーかけて、車をどぶに落としたりしたけどな。
ゲームの影響か
教会行って祈りを捧げれば
また生き返るとか思ってる子
多いんだそうですよ。
ちゃんと教えられないものでしょうか
死というものを。
若い者は、怖いもの知らずの無鉄砲。
年を取るほど、臆病になる、先の事を思い煩い冒険的な事が出来なくなる。
サルの群れでもそうらしい、新しい道具を使い出すのはいつも若いサル。年取ったサルは、おっかなびっくり見ているだけ。生物学的にそういう風にできているのかもしれない。若い個体は、ある程度消耗品。
企業とか、国家も同じかも?大きな会社ばかりになれば、社会は膠着する。
その気づきを無視すると、だいたい失敗する。
でも、ものすごく道路を歩かせるのが怖いよ。まず、目線に信号機が入らないみたいで、ちゃんと止まって左右の確認はするんだけど、信号機の存在に気づかないから赤でも渡ろうとするんだよ。
通いなれた道なら、信号機の場所を覚えてるから大丈夫だけど、初めて道だと高確率で歩行者信号を見落とす。
急に飛び出したり、危ないことするタイプの子ではないんだけど、視野の狭さが本当にこわい。
大人の1時間くらいのものだと思う
当たり前のことですよ
喫煙所に行くことで子供から目を離すことになる。
だからタバコをやめましたよ。
死んでからじゃ遅い。
ペットリードの類とか
スマホ連携のアラームタグとか
万一を防ぐには仕方ないと思う
もっと多いかと思ってた。
今の子供は人の死をゲームあたりから認識するようになっている気がします。生き返ったりまだあと何匹いるというゲーム感覚を先に知ってしまっているように思います。
そういう意味では好奇心を満たすメディアは時には残酷な現実も子供に伝えるべきではないかと思うのですよね。
私が小さいころ親とはぐれれば不安で泣いて動けなくなっていました。
好奇心より恐怖心が勝っていたのだと思います。
また小学校高学年くらいで他人を罵倒するのに死ねというワードを使う子はいなかった気がします。
死に対する認識は昔はもっとシビアであったのではないでしょうか。
しかし、パパは座って自分が読みたい本を読み始め、女の子は放置。
とても人懐こい女の子で「絵本の読み聞かせ」のボランティアさんに
楽しそうにくっついて歩いていた。
ちょっとうまく誘えば、すぐ連れ去られそう。
パパは「図書館に連れて行くオレ。面倒みてる」と思ってるんだろう。
そして、学校など公共に委ねる時間はどうしようもありません。予想外に起きる事故事件も。ただ諦めるのではなく、せめて親の手元に居る時は、大事な命を一秒たりとも目を離さない。この意識を強く持つ事が大事だと思っています。
戦時中子供だった人が親となり子育てしていた頃は、模擬体験(川遊びや山歩きなど)を子供たちにさせて教えていたが、今はほぼ皆無と言ってよいくらいだ。
共働きや経験不足などの理由もあるのは承知しているのを踏まえて、このようなスキルのあるご年配の方々に実践体験指導をしてもらうような制度を考えてみるのも良いと思うが如何ですか?
昔は、車は少なく、ネットもゲームもスマホも有りませんでした。
だから、屋外で冒険的な遊びをしてスリルを楽しんでいました。そんな遊びで何が危険か何が危険でないかを観念的に覚えたような気がします。
車が少なかったせいで、近づいてきた時のスピード感が怖かった。だから道の端に避けたものです。
しかし、時代の流れでしょうか、今は全く逆の現象が起きています。
これは時流の宿命でしょうか、どうあがいても防ぎようがありません。
子供はいろんな怖い目や痛い目を経験して学習成長するもの。
危険なものを排除してしまってはそれこそ危機管理能力が養われないのでは?って思ってしまいます。
それに昨今の除菌殺菌ブーム。これもどうなんだろうって思う。
清潔なのはいいけれど、菌にたいして耐性の無い子多くないですか?
すぐ風邪ひく、すぐかぶれる、アレルギー体質児が多すぎ!
泥まみれになり傷だらけになり、そうやって遊んで成長した子のほうがやっぱり強い体になっていくと思うんですよね。
とか言ってる私も、自分の子供には、危ない遊びしちゃダメ、ばっちぃものに触っちゃダメ、あれもダメこれもダメ!
ってなっちゃうんだろうな。。。
コレをやったら、大怪我をするとか、
死ぬとか、そういう事を隠し過ぎなのではないかと思う。
手を繋がないなら絶えず後ろにポジションを取る、気が散る状況なら手を繋ぐ、手が繋げられない状況なら座らせるとか、何か対処方法はある。
調理中に台所を離れれば焦げるか、下手をすれば火事になるのと同じ。
スマホを与えるのは、親が注意義務を放棄した瞬間、得てしてそうした親は、子供が悪さをしてても注意しない、既に責任を放棄してる。
下手に他人の子を注意すれば、どんなとばっちりがあるのか知れない世の中。
今の社会は「子供は宝」ではなく「触らぬ神に祟りなし」というのが現状では?
なんでも学校に押し付けるくせに外で子供がいたずらしていて地域の人が注意すると「他人がうちの子に構うな」
これでは立派な子供が育つわけがないです
確かに最近は通り魔や子供狙いの犯罪が多いので親が神経過敏になるのは仕方ないと思いますが
両親共働きでは24時間見ることは不可能でしょ
うちの子はしっかりしてるからで万事うまく行く世の中ではないのです
だから親同士の連携を密にしなければならないのです
関心を持ち、必要に応じては関わることが
大事だとおもいますが、善意で手をさし延ばしても、
不審者と思われてしまうことも
あるとききますからその辺を踏まえつつですかね。
ありがとうが言えない子供が多い。残念。
私はバイクに乗ってて勉強したのが、自分の走行が法規的に正しくて間違いなかろうが事故して痛いのは自分だし、死んだら御終いってことです。
そして車に乗ってて思うのは、何も考えずにボーッと運転してて運良く事故を起こしてないだけの人が多いという事。だから街中を走る自動車を、人間が運転しているからと盲信して身の安全を委ねてはいけないということ。
川に流されるというのは、親自身が川の危険性を忘れているのでしょう。
もっと自然と向き合わなければいけませんね。
自転車も安全に走れないし、歩けない。安かった理由が分かりました。
乳母車に子供を乗せて、歩道もない道路を歩いてる母親がいました。
こんなところで小学生を一人で通学させるなんてあり得ないと思いました。
子供の行動に注意するのは当然ですが日本の道路インフラは酷過ぎます。あまりに子供のことが考えられていません。
それが理解できずに言い聞かせたんだから大丈夫と勝手に納得する親がガチアホ。
目を離したスキに消えないようリードしとけ。
言葉を消化しきれない以上、犬もガキも変わらん。
死ぬよりマシだろ。
家に置いて夜遅くまで
平気で共働きしていますが・・・・
海外では異常です。
保育園保育園と騒ぐも
小学1年生になったら
知らん顔・・・・
また、ヨチヨチ歩きの子供に
ハーネスをつける事を批判したり
公園へ付き添う親や
塾の送り向かえを
一部の老人や親はバカにしています。
子供が15歳になるまで
生きるか死ぬかは親の責任です。
しっかり、自分の子供は
自分で守るべきですね!!
工場潜入とか重機の底とか沼遊びとか。。。
目を離す云々など大昔の話です。
放し飼いにされた子猿は店舗の商品を触りまくり、汚しまくり。
それらの財産を壊しても謝罪も何もせずただ、店舗の陳列が悪いなど
と難癖・因縁付ける親猿など最近の話ですか?
子どもを愛するなら放し飼いにしないことです。
パチンコ屋店内から連れ去られて不明になった事件、何年前です?
学習能力が無いのでしょうねぇ・・・
そんなことも分からないのか?
~繰り返し~♪
ホントコレだわ。
それを考慮して複数子孫を作るわけです
例えば人間なら比較的安全だから1人~3人です
もちろん1人の場合はリスクも大きいので最低2人は作ることをおすすめします
魚は死んで当たり前なので何千~何万といった卵を産みます
生きていてリスクのない生物はいませんし死亡を0にすることもできません
なので複数の子孫を残すことでリスクマネージメントをすべきなのです
適度な淘汰が働くのが健全で公平な競争社会と思う。
この少子化の中、未来ある若者を何とか助けてあげたい。
親の責任。
ただそれだけのこと
だから子供は、何が危険か分からないまま
高いところが危険だと分からないから高層マンションの高層階から落ちる、川がなぜ危険か分からないから平気で近づいていって落ちて流される
ベランダなら網や柵を設置したり、エアコンの室外機を床から離したり、
洗濯機なら内側からも開けられるものを使ったり、
車だったらチャイルドロックを掛けたり、
現時点でも出来ることはあるはず。
防げるものから防いでいかないとですね。
左に歩いていると思った直後に右へ走り出す
スーパーや道路で子供から目を離している人を見ているとどうしてそんなに子供を放ったらかしにしていられるんだと思う
急がば回れと似たような感じだな。
好奇心旺盛のままでいいですし、事故は時の運だと思います。
踏切待ちで車から父親と園児位の男の子が狭い道路の端を
歩いているのが見えました。(縁石やガードレールなどは無し)
ヨタヨタ歩いたり走ってる子供をただ同じペースで歩いて見守るだけ。
父親が手を繋ごうとしなくてすごくヒヤヒヤしました。
性差もあるだろうけど普段の子供の様子を見る時間が母親より
圧倒的に少ないのも原因だと思う。
自然で遊ばせることは賛成やけど、自然をなめる遊びをさせるなとブチ切れてた。
子どもってチョロチョロチョロチョロし過ぎる。
駅のプラットフォームで白線から出るな!ってアナウンスがあっても身を乗り出すし
ファミレスでも座席の回りをバタバタ走り回って従業員の妨げになっている。
落ち着かせるためにリードをつけるなり対策を取るべき。
頭では分かっていも、どんなに心掛けていても、実際に完璧にそれをこなすのは不可能です。
本当に、目を離したつもりも無い一瞬の隙で子供は消えますから。
幾度肝を冷やしたことか。
それでも何事も無く過ごせたことは奇跡でしかないと、つくづくに思わされます。
それでもほんとに一瞬でいなくなるから
風にさらわれたかのように、車にぶつかりそうになったことも。
その度に、車にぶつかったら死んじゃうんだよ、もう2度とママと父さんに会えなくなるんだよとか、息子が怖がる鬼さんのところに連れてかれちゃうよなどと説明しても、やだとは言うけれど完全には理解できてないです。どうしたら死の怖さをわかってくれるんだろうと悩んでいます。
いつなんどきどう動くかネコより予測できないから。
とにかく目を離さないこと。これに尽きる。
うちは幸い、臆病で聞き分けの良い子だったから
助かったけど、そうでない男のガキだとすっごい
苦労するみたいだな。
ペットでももっと大事に扱うわw
悪さしてるから叱れば、叱ってるこっちが悪いかのように睨みつけたり、「怒られるからやめようねぇ・・・」とかって、叱ってるこっちが悪いかのような言い草。
他人を散々迷惑扱いしておいて、こういう時は「しゃかいでーーー」とか言い出されたって、知らんわ、そんなもん。
ハーネスを使用したことはないが、いまなら間違いなく使う。
あの時ほど千手観音が羨ましかったことはない。
お会計の時なんて追いかけるに追いかけられないし、買い物一つでもう必死。
車が大好きなのはいいけれど、本物の車は全部自分の思い通りに動いているわけじゃ無いとわかるのはいつだろう。
ついこの間、うちの5歳児が、迷子になったばかりで、「何でこんなにスっといなくなるんだろう?」と考えていたところなので。
視野も時間軸も、「見通す力」が大人のように備わっていないから、「今ここ、目の前のもの」がすべてなんだね。
オイラの幼少期は○チャンの袋ラーメンが常備品にあり一人で食べていたけど、今風なら瓦斯の使い方も判らぬお子様たちだから、親が帰宅するまで食事を与えないという虐待も日常化しているべな。
日本は親に親権があるのに責任を与えていないことが多いと思います。
普段子育てに協力的でない男親が一緒の
時に多いと感じる。
家族の在り方が核家族化や地域の繋がりが
大人たちで子供を見守るといく事から
薄れたりしているんだと思います。
もっと子供を社会が見守る環境になり
大切に育ってもらいたいですね。
つけているじゃん。日本だと虐待だと言って首輪
つけさせないじゃん。日本ももっと実用的な考えに
改めるべき。
複数人載せてふらついて走ってるご婦人が原因なのは少ないのかな?
ママさんが行員に教えてもらいながら書類を記入しているときに、外に見えたレスキューカーか何かカッコいい車を追いかけたらしい。
自動ドアから外へ出かけていた男の子を、案内係の行員があわてて連れ戻したけど、まさかの事故って起こりうるなと、つくづく思う。
あと女子&女性は性犯罪についても同じく他人事だと思いすぎ、ちゃんと危機意識を持ってほしいと思うよね。
心身への虐待やネグレクトを厳罰化するともに、親はもちろんのこと大人の教育・周知が必要。
小中高での学校教育に盛り込むべき。
ほんとに小さい子の行動には目を離せないと思います。
遠ざけりゃ済むと思っている
必要悪っていう言葉もあるんだがな
今の世の中
排除の論理ばかり
清濁併せ呑むココロとか
人々同士の間合いとか
そんなんがあって
人間なんだけどな。
何か
違った方向に
行ってるよな。
室内で赤ちゃんが火傷をしないように、赤ちゃんに、熱いとビックリするけど火傷しない程度の熱さのストーブややかんを触らせて、危険なものだと認識させるといいというけど、やはり子供は、色々な経験を積めるよう、できるだけ外に連れていって、少しケガをするのは当たり前ぐらいの気持ちで遊ばせたほうがいいんだろうね。
気を付けてても見逃してしまうときがあるので本当に怖いと思う。
初めて子供用ハーネスを目にしましたが預かる側としてはこんなに安心するものはない、と確信しました。
好奇心だろうが子供の行動心理だろうが行動学だろうが
死ぬ時点で生きる方死ぬ方で遺伝子による選り分けと淘汰が行われている
神隠しだの何だの大人の精神衛生上都合のいいように解釈されるが、つまりはそこで選別される
縛り付けておくわけにもいかんなら、なるようにしかならん
必要以上に関わりを持ったらどんなことで訴えられて逮捕されるか分からんよ。出来るわけがない
だから七五三なんてものがあったんだし。
手を離すな
心を離すな
まさにこの言葉が浮かびました。
年代によって、守ってあげられることがあります。かけがえのない大切な命、
守っていきたい。
こんな事が子供に危機感覚を教えていたのだと私は思います。
そもそも職場に立ち寄るくらいなら子供連れてくけどね、普通は。
なんだかねぇ~
それさえも気づかず話にまだまだ夢中でした。
知らんぷりして帰って来ましたけど…
こんな母親は大切な子供の命を失くしてさえも運転手のせいにして反省さえしないんだろうから。
目から鱗の記事であった。
大人のこういう考え方も問題かと。
見栄えと子供の安全。何を第一に優先すべきか考えたら両天秤にかけるまでも無いとおもうけどな・・・とその時思ったものです。