日本では、女性に求める家事レベルが高すぎます。一方で、その対価や社会の評価は低すぎるようです。夫婦で分担できるよう家事レベルを下げるのも一つの方法です。明治大商学部教授の藤田結子さんが海外の事情も合わせて報告します。【毎日新聞経済プレミア】
最近、“伝説”の家政婦、タサン志麻さんがメディアで話題になっています。フランスの三つ星レストランで修業し、人気フレンチレストランの料理人として15年のキャリアを持つそうです。指名のあった家庭に出向き、3時間7800円の料金で、あり合わせの食材から10品以上の料理を作り置きするサービスを提供しています。
このようなサービスで他の家事代行者が受け取る時給相場は1200~2100円だそうです。最高時給の2100円なら3時間6300円。みなさんは、志麻さんの仕事に対する賃金として適切だと思いますか、それとも低すぎると思いますか。
◇家事代行サービスは働く女性に役立つけれど
家事代行サービスは、女性がいっそう働きやすくなるために、もっと積極的に利用されていいでしょう。多くの親は子どもを保育園に預け、プロである保育士に育児をまかせているのですから、家事だってプロにまかせていいはずです。実際、アメリカやシンガポールなどの共働き社会では、家事代行サービス利用が進んでいます。
ただ、志麻さんの「すごい」仕事の価格について、安いことに価値があるかのようなメディアの描き方が気になります。たとえばNHKの番組では、「7800円で1週間分の絶品料理」と表現していましたが、全般的に、女性がする家事への対価や社会の評価は低すぎるのではないでしょうか。
レシピ本出版やテレビ番組出演など活躍の幅を広げる志麻さんは、安いとは思っていないかもしれません。しかし、家事代行サービスで働く一般女性の大多数は、高いスキルを持っていても安い料金で仕事を受けています。
価格を上げると仕事の依頼が減りますし、利用者は気軽に頼めなくなってしまいます。30代女性の平均賃金は月25万円程度。高いスキルを持つ家事代行者に週1回来てもらうたびにたとえば2万円を払うとしたら、大半の利用者には手が届きません。難しい問題です。
◇ガラパゴス日本、めざす家事のレベルを下げよう
視点を変えましょう。日本では、女性に求める家事のレベルが高すぎます。だから、みんなが高レベルの家事を志向し、「高いスキル」の家事代行サービスを「安い値段」で買おうとします。それよりも、まずは家庭の家事のレベルを下げてみてはどうでしょうか。
ある海外の調査によると、イギリスの母親の大半は夕食に繰り返し同じ料理を出しているそうです。
献立は主に9種類。「ピザ」「ミートソーススパゲティ」「ソーセージとポテト」「カレー」など簡単なもので、スーパーの総菜や「レンジでチン」料理も含まれます。そのうえ、月曜日はピザ、火曜日はスパゲティというように、曜日ごとの料理が決まっているそうです。「いろいろ作ってみたって、子どもは好き嫌いがあって食べやしないし」と、あっさりしたものだそうです。
美食の国でも同じ。フランスでは夕食はパスタ、キッシュ、ロースト、ハム、サラダ、スープなど簡単なもので、持ち帰り総菜もよく使われるそうです。台湾や香港では屋台の持ち帰りや外食が多いようです。
日本のように、女性が毎食「愛情を込めて手作り」「一汁三菜」という風変わりなことをやっている国の方が、実は世界では珍しいのです。手のかかるキャラ弁などはさらに珍奇な風習ともいえます。国によってはランチバッグにりんごとクッキーをいれて「ハイ、できあがり」です。家事のレベルを落としたからといって、女性が罪悪感を持つ必要はまったくないのです。
こう指摘すると、母親の家事、食事作りは日本のすばらしい伝統や文化であって、子どものしつけや学力向上のために必要なものだ、と主張する人が出てくるかもしれません。
しかし、「『家事のしすぎ』が日本を滅ぼす」(光文社新書)の著者で、翻訳家、ナチュラルライフ研究家の佐光紀子さんが指摘するように、平均寿命は外食の多い香港のほうが日本より長い▽経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査では、シンガポールや香港のほうが日本よりも学力順位が高い--ことが分かっています。手作りの食事と子どもの学力向上にはどうも相関はなさそうです。
だったら何のために、日本の女性たちは無理して手の込んだ朝食や夕食を出そうとするのでしょうか。
◇「愛情の搾取」--男性の家事参加は欠かせない
TBSの大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では、女性がタダで家事をすることを「愛情の搾取だ」と訴えるシーンが話題になりました。家事に「愛情」の意味を与えようとする言説がありますが、実のところ、単なる労働です。
もし「高いスキル」を持つ家事代行者に高いレベルの家事を頼むなら、スキルに見合う高い賃金を支払うべきです。頼むことが経済的に難しいなら、いっそ家事のレベルを下げてみてはどうでしょうか。そう、「手を抜く」のです。
私の母はずっと働いていました。子どものころ、友だちの家と比べて片付いていない家や、見た目の悪い手作り弁当を見られるのが恥ずかしく、母を責めたことがあります。仕事が大変で、丁寧な家事が無理だったことは今ならわかります。当時、周囲から働くこと自体を責められ、子どもからも不完全な家事を責められて、母はどれほどつらい思いをしたことでしょう。もう謝ることもできませんが、今は感謝の気持ちしかありません。
女性も男性も、そろそろ高いレベルの家事を求めることをやめませんか。家事の手抜きで自分を責めることをやめませんか。男性が家事、育児を分担することは必要ですが、妻が夫に高すぎるレベルの家事を求めてダメを出し、家事分担の心理的ハードルを上げることもやめませんか。
そろそろ、世界標準でいきましょう。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180609-00000021-mai-bus_all
みんなのコメント
この記事の前半の、海外の食卓事情の部分から推察すると、そういう話に聞こえてくるけど。
もちろん、その時の天気、体調とか、家族それぞれの都合もあるだろうからうまくいかないところもあるだろうけど、だからこそ、やっぱり話し合わなきゃダメなんじゃないの。
家族間の相互理解、コミュニケーションですよ。
自分と他の家族、関わり方なんてそれぞれ違ってきますもの。
だからこそ、腹を割って話し合って、相互理解を深めないと。
家事にしたって、結局家族でやることなんだから。ビッグダディみたいな大家族とか、収入は少ないけど頑張ってる家系とか、そういう人たちの方が、そういう感性は優れていると思う。
真の意味での信頼がないから、お互いに無理をし、またさせなきゃいけなくなってくるんじゃないの。
自分の家は自営業だが子供の頃は住み込みの職人の弁当を毎日、15個
子供の弁当を2個、家事そうじをはじめ仕事まで手伝う。
また近所の付き合いも学校の事も有る。
夫婦でやる事は大事だと思うけど家事を時給に換算するのはどうかと思う。表現はおかしいかも知れないが亭主が働いて金を稼ぎ、妻が
家事育児をやるのは当たり前の事だと思うから・・
タダとか安さに価値を求める人が多いから。
1日朝晩3千円平均の食材代だとして、月9?10万の食材代に、プラス作って貰うのに7千円1週間て言ってるけど、買い物も頼んだらプラス3千円位掛かるみたいだし、それ考えたら、制作費を月4万プラスって考え方だから。
それと、作ったものは、1週間持っても、時間が経つと味が落ちる事も考えないと。
冷凍でなく冷蔵は、ポテトサラダ一つとっても翌日には味が落ちる。
不味いが気にならない、食事は燃料って意識改革しないと、食事に楽しみ云々言わない様にしないとね。
冷凍するにも、日本の冷蔵庫は、1週間分のご飯が入る程大きくない、大型冷蔵庫は、平均的なマンションのカウンターキッチンには入らないとか、問題山積。
たまにならいいけど。
それが当たり前の感覚になる日本。
少し寂しい気持ちです。
もし本当にそうなったら赤ちゃんの育て方の意識も変わっちゃうんだろうな。
お母さんの知恵とかも消えちゃわないのだろうか。でもそれが時代の流れなのか。とても複雑な気持ちになります。
休みの日は私が作ることもある。そんな時は妻の喜びようも異常なほど。お互いが休みで私が夕飯の準備を忘れていると、見事な手料理を振舞ってくれる。月に数回だが、妻の腕は全く落ちてはいない。実に美味い。
我が家は結婚してから現在まで、夕飯は必ず家族で揃って食べる。私が強要した訳ではない。子供が小さい頃言わせると「食事を一緒に取らないと、お母さんが怒るし怖いから・・」そう言って笑わせてくれたことがある。今は成人しているが「一緒に食べれば片付けも一緒に出来るしね。お母さんに負担掛けられないから。」そう言っているようだ。
食事に愛情は欠かせない。
真に受けたらバカ見る
文中に
「私の母はずっと働いていました。子どものころ、友だちの家と比べて片付いていない家や、見た目の悪い手作り弁当を見られるのが恥ずかしく、母を責めたことがあります。仕事が大変で、丁寧な家事が無理だったことは今ならわかります。」
とある
つまりこの人は子供時分に「手作り=愛情」を誰よりも欲していたという事。
今の子供には忖度を求めるのか?
やっぱり愛情を形にするのは大事だと思います。
今の若い女の子たちの生活力の低下には愕然としている。そもそも女が出世なんて一昔前ならはしたないことだと言われたもんだが。
愛情を強要するのはどうかとは思うけど、手作り=愛情って呪いのように言うこともないと思う。手作りしている人はしている人でいい、って言えないの?
「手間がかかっているほど愛情が多いわけではない」
愛情とは他人を思いやる行動の事。
無駄を多くすることが愛情ではない。
自身が楽をするかわり、相手を思いやることに時間を使うべき。
と。
そもそも無理する必要はないということ。
記事に右往左往するのはナンセンス。
心がザワザワした覚えはある
いーじゃん、ミスドで
ことはないなぁだいたい何をもって高レベル?
手作り=愛情ではなくて
誰に食べてもらいたいか誰に食べさせたいか
だと思います
主婦だってバカではありません手抜きなんて
言われなくたってしてますよ
所得が減ってきたいま、また、手作りにこだわりたいと思うよ
日本では、子供は給食、夫は500円のランチ
実際に手作り弁当の人は少ないよ。
総菜で食事しようと思うとお金がすごいことに…w
経済的に余裕があった時期はそうしていたけど
夕食と明日の朝と、なんて感じだと余裕で5000円超えてた。
今そんな生活してたら老後破産しそうです~
今はお金はまあまあ、時間はたっぷりな生活なので
手作り楽しんでます。
手作りも適度な手抜きで結構手早くできる。
ドンブリものとか鍋とか。
一汁三菜にこだわらずにやればそれなりにラク。
人それぞれ事情にあわせてやればいいと思います。
作ってあげるだけで十分だと思う
中身は冷凍食品だらけでもいいじゃん
作ってもらえることに感謝してほしい
自分にとって心地よいことなのに
捨てようってなんなんだ?
しかも呪いとか・・・
この記事を書いた人は気味の悪い思考力だね。
夜泣きで寝不足、出来るなら家でゆっくりしいたいけど、子供のために頑張って児童館に連れて行ってあげたいけど、昼食まで手作り要求されて、ハードル高い。
職員に直訴したら、食育云々の理由で手作りしか持ち込みできないとか言いながら、市販品を弁当箱に詰めてきたらOKとか意味不明な事言われた。
もう何年も前から、手作りしかダメなのを改善して欲しいという声が上がってるけど、完全な呪いにかかってる市職員の上役のおじさん達が拒否してるらしい。
対して子育て、家事手伝ってない、現場を知らないような頭でっかちに、影響力ある仕事させるのやめてほしい。
愛してるなら「それ、やらなくていい」と言える優しさを。
…と、一度も結婚できない中年男の俺はそう思うが、残念ながら「そう思えない男どもに限って(既婚云々に限らず)女性からはモテる」んだよなあ。
結局、ニッポンの女性って、恋に恋するだけで男性の「おとこ度」を診る目がないと思う。
じゃなくて、
手作りじゃなくても愛はあるよ、
でいいんではないかな。
手作りは、やっぱ愛だよ。
けど、手作りじゃなくても、
愛はこもってるよ。
料理人の営業をわざわざ毎日新聞がやってあげてるような記事。
「手作り=愛情というのは、呪いであり勘違いです」
「手作りを今日にでもやめて、カネを払って他人にやってもらおう」
と主張している。気持ち悪すぎる。
言うまでも無くコスト削減のためにも手作りをするし、料理には、それが着想され具体化し、継承され発展してきた長い歴史と文化がある。地方が大事にしているもの、家で大事にしているもの、さまざまだ。
試行錯誤しながら身につけてみてはじめて、料理の価値が何かが少しずつわかってくる。料理とはそういう大変奥の深いものだ。
料理をあえて自分でつくる意味と価値を無視したいと真剣に考える人々、カネがあるが料理にまるで関心のない人々だけが、「手作り=愛情の呪い」という著しい偏見を持ちうるだろう。これを書いている記者がそのひとりでしょう。
オレは手作りつづけるよ。何が呪いだよ!
ホント胸糞悪くなるような低レベル記事!!!
不愉快な書き方だね
文句言う権利無いですよ!作ってくれた人には無条件で監視して当然でしょう。
僕は自分で彼女の分まで良く作りますよ!
普段は彼女が作ってくれるから
出来るときは僕が作ります。
勿論、掃除も洗濯もやります。
毎日、感謝感謝ですよ。
体調が悪い時も
気分が乗らない時もある。
無理をすることはない。
やって欲しい人がいて,それに応えたいならやればいい
そして,してもらう人は「してもらって当たり前」ではないことを
正しく理解する必要がある
よそはよそ,うちはうち
キャパ超え要求されても快諾,実行できる超人ばかりじゃないからね
『男も家事を手伝え』と口では言っても、本音は『男が台所をウロウロする姿は見たくない』というのが実態なのだ!!
会社での役員数でも、政界での議員数でも女が少なすぎると非難するが、そもそも女はやりたがらないのだからどうしようもない!!
女よシッカリしろ!!!
毎日でも利用したいです。
私はこれだけやった、それに対してあなたはどれだけやってくれるの?ってね
でもそれは「愛」情ではない。
この藤田女史はどうも見返りを求める事を前提とした話をしているように見受けられる。
見返りを求める内はギャップが埋まらない事に苛立ち続けるだろうね。
家事代行の前に考えるべき人間関係があるように思える。
家事にかぎらずほとんどの仕事は20%の手間で80%の成果が得られるという。80%を100%にするのが結構大変で、残りの80%の手間をつかってしまうのだとか。たしかに、たとえば大学のセンター試験などでも、ちょっと勉強すれば8割は簡単にとれるが、全教科で満点を取る子はいない。
無理して満点を狙わないのが家事。満点を狙うのはプロ(仕事)。
スーパーの惣菜売り場を横目に見ながら、この値段出したら家で作ると3~5倍は増量して作れるな。なんて、中高生のいる我が家では考えてしまう。
外注は総じて高いから、最初から選択外です。
我輩的には、愛情を貨幣価値に変えてることが不自然だろ。
何がなんでも手作りが素晴らしい。とは言わない。
でも、色々考えると、手作りに辿り着くことが多々ある。
子供の好き嫌いは、外食では解決できません。試行錯誤して作って食べさせてみるしか無い。
給食着や運動靴を入れる袋。
既製品なら早いけど、みんな同じだと、どれが誰のかわからなくなる。だったら不格好でも作ったほうが、子供の好きなアップリケとかつけられるし、見分けがつく。
なんでも、ドラマみたいに完璧にこなそうとするから限界が来る。
ドラマは所詮作り物。あんなの無理。理想を追いすぎては駄目。
家事・育児、完璧じゃなくていいじゃん
どうしてもこだわり過ぎた(キャラ弁とか)人が目立つから、愛情=そのレベルじゃないとって思ってしまうのだろう。
手作りが悪いわけではなく、他所は他所、家は家の教育(大人も)が必要なんだろうね。