こんな優しい笑顔を見られるとは思っていなかった。巨人担当時代は「恐い顔」しか記憶にない。久しぶりに清原和博氏を取材する機会があった。8月中旬だった。佐々木主浩氏が甲子園大会準決勝で始球式を務めたが、その前に練習パートナーとしてキャッチボール相手を務めた。「俺たち、キャッチボールしたことないよな。オールスターでもなかったよな?」。そう聞きながらボールを投げてくる佐々木氏に、清原氏は笑顔でうなずいた。50代になった大男2人は童心に返ったように見えた。
2人の出会いは高3だった1985年秋の国体。佐々木氏が甲子園のスターである清原氏に「一緒に写真を撮って」と頼んだことがきっかけだった。プロ入りした翌86年、共通の友人を介して食事をするようになり、付き合いを深めていった。
親友であり、ライバル。清原氏は「ササのときはお手上げ。ほとんど三振じゃないですか」と苦笑いすると、佐々木氏は「俺、フォークしか投げないもん」とニヤリとした。
公式戦の対戦成績は、8打数無安打で2四球6三振。オールスターでは3打数2安打で92年には本塁打を放っているが、清原氏は「ストレート勝負と決まっていたので」とまた苦笑いし、こう続けた。
「2分の1の確率なんですけど、凄く分かりづらい。直球、直球と来たら、もうフォークが来るんじゃないかと。それが直球、直球、直球で終わったりとか。
まるでこっちの心が見透かされているんじゃないかというような、三振の取られ方をした」。つい、興味本位で打席からフォークの握りは見えなかったのかという愚問をした。現役時代だったら激怒されるところだが、優しく答えてくれた。
「いや、分からない。見えたらボール球を振らない。ストライクからストライクに来るフォークもあるし、三振を取りに来るフォークもある。インコースに流れてくるのもあるし、アウトコースに流れてくるのもある。
当たったら、もうけものみたいなところ」。現役時代には聞けなかった「解説」。横にいる佐々木氏はうれしそうに聞いていた。
清原氏は16年に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受け、情状証人を務めたのが佐々木氏。深い友情を感じた。現役時代に2人がケンカをしたという話を何度か聞いたことがあるが、ぶつかり合って絆も深まったのだろう。
振り返れば、05年の佐々木氏の引退試合で対戦相手を務めた清原氏の方が大泣きしていた。情に厚い清原氏のことを、佐々木氏は誰よりも分かっている。キャッチボールの後だった。佐々木氏は「始球式が終わったら、また飯行こ」と声を掛けていた。(野球コラム・飯塚 荒太)
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180902-00000080-spnannex-base
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