台風21号の影響で、利用客や従業員ら約8000人が孤立した関西国際空港では、5日早朝から取り残された人の輸送運行が陸路と海路で行われた。フェリーは110人乗り3隻が対岸の神戸空港へ。バスは約50人乗り10台以上が、連絡橋がつながる南海電鉄泉佐野駅へ、それぞれ往復した。
午前10時から運行された臨時輸送バスは、孤立の原因にもなったタンカーの衝突による連絡橋破損の影響でスムーズな輸送が行えず。
片側1車線のみの通行となった連絡橋付近では、空港を出入りする関係車両などで大渋滞となり、通常片道15分程度の道のりがこの日は2時間以上を要した。
泉佐野駅で下車した利用者の表情には、疲労と安堵(あんど)が入りまじっていた。
ハワイ・ホノルルに1週間、卒業旅行の予定だったという名古屋から来た男子大学生4人は口々に「これから1週間…どうしよう」とスーツケースを片手にたたずんでいた。
4日早朝、まだ関空が晴天だった頃に彼らは車で到着した。地元セントレアではなく、格安航空会社(LCC)を利用するために関空を選んだ。
高校からの同級生で、このメンバーでは初の海外旅行。飛行機と現地のホテルだけを自分たちで押さえ、1週間で1人7万5000円の思い出作りだった。
「最善の策を探して来たのに、それが全部消えた。お金が無い中、必死にためたのに…」
航空会社からは「遅延」の連絡が繰り返し送られてくるだけだったという。彼らが一夜を過ごした第1ターミナルは停電、断水、食料不足と厳しい状況。電波もわずかでネットなどは使えず、情報も遮断された。
冷房もない屋内で、トイレは流すことができず、「コンビニはアトラクションみたいに100メートルは並んでいました」。そんな彼らの空腹を満たしたのは、旅先で少しでも食費を浮かそうと忍ばせていた粉末のコーンポタージュと味付のり、
そして空港内でかろうじて購入できた京みやげの白菜の漬物。ポタージュは飲料水で溶かし、冷製スープにして流し込んだという。
広い空港内では、情報も行き届かず。この日乗車してきた臨時バスも、貼られていた張り紙にたまたま気づいて初めて知ったという。
「朝の9時から並んで4時間。やっと乗れたと思ってから2時間。やっと着きました」。さすがに疲労の色は隠せなかった。
空港まで乗ってきた車は、置いてきたままで「また名古屋から取りに来なくちゃ」。ただ、いつになるかは分からないという。
散々な目に遭ったと話してくれた彼らは「しょうがないですけど、何で今日なんだと。ただ、誰も悪くないですから」と自然の脅威にはお手上げ。「リベンジはしたいと思っていますが、もう関空は使わないかな。今度はセントレアを使います」。半分開き直った様子で苦笑いしていた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180906-00321694-nksports-soci
みんなのコメント
9月4日にUSJで遊ぼうとする連中は明らかに理解不能だけど、空港にいただけで叩かれまくるのも気の毒。
その日しかとれなかった人や外国人だって多数いたわけだし。
何しろ4日は到着便で定刻に着いた飛行機もあれば、昼前まで普通に出発して行った飛行機もある。
危機管理は今回勉強になったと思う。
しかし空港側も早めに閉鎖し、到着便は他空港へ誘導するぐらいはすべきだった。
ターミナルビルを閉鎖して「バス等で島外へ出てください」とはっきり言えていれば全然違った。それで頑なに居座るような人は放っておいたらいいわけだし。