日ソ共同宣言の署名から19日で62年になりますね。日本と旧ソ連、あるいはロシアとの間で領土交渉は紆余(うよ)曲折を経てきましたが、双方の国会(議会)が批准した正式な文書はこの共同宣言しかありません。領土交渉はこの宣言を土台とする以外に、前に進まないのです。
ロシアのプーチン大統領は2000年の就任以降、一貫して共同宣言の有効性を認めています。歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島を平和条約締結後に日本に引き渡すことを明記していますから、ここを領土交渉の入り口にするのは自然のことでしょう。
プーチン氏がロシア・ウラジオストクで今年9月に開かれた「東方経済フォーラム」全体会合で、安倍晋三首相に対し、
「前提条件を抜きにした年内の平和条約締結」を求めたことに懸念の声が上がっていますが、私はプーチン氏の平和条約締結に向けた強いメッセージととらえています。
プーチン氏が共同宣言の枠を踏み外すことなんてありませんよ。安倍首相とプーチン氏との信頼関係は盤石ですから、何の心配もしていません。
こうした両国間の建設的なやりとりは、旧ソ連時代はあり得ないことでした。昭和35(1960)年に日米安保条約を改定してからはソ連側が態度を硬化させ「領土問題は解決済み」の一点張り。
日本側は「四島(即時)一括返還」をスローガンに、領土問題が存在することから強く主張せざるを得ませんでした。
ところが、ソ連が崩壊すると、新生ロシアのエリツィン大統領は平成5(1993)年に細川護煕(もりひろ)首相(当時)と出した東京宣言で、
北方四島の帰属問題が存在することを明確にしました。日本政府も「四島(即時)一括返還」の旗を降ろし「四島の帰属の問題を解決し平和条約を締結する」と主張を変えました。
そもそも日本は、昭和26(1951)年に調印したサンフランシスコ講和条約で、樺太と千島列島の主権を放棄しました。当時の日本政府は、択捉(えとろふ)島と国後(くなしり)島は主権を放棄した千島列島に含まれるという立場でした。
これは調印後、吉田茂首相(当時)をはじめ、外務省の西村熊雄条約局長(同)らが国会で明確に答弁しています。日本政府が取り戻そうとしていた領土は、実は歯舞群島と色丹島だけだったのです。
東西の冷戦が激化する中で、日本は「四島返還」に主張を変えていきますが、当初から「四島」を求めてはいなかったというのが、歴史の事実です。
安倍首相がプーチン氏と信頼関係を築くのは、こうした歴史をお互いに認識しているからです。だからこそ、安倍首相は共同経済活動を織り交ぜた「未来志向の新しいアプローチ」を追求し、プーチン氏も「双方が受け入れ可能な解決策」を求めるのです。
高齢化が進む元島民らが最も望んでいるのも、島に自由に行けるようになること、そして1つでも2つでも早く島が戻ってくることです。忌憚(きたん)なく話ができる安倍首相とプーチン氏で領土問題を解決できなければ、平和条約は未来永劫(えいごう)結べないでしょう。
ただし、安倍首相の自民党総裁としての任期は最長であと3年。再来年の東京五輪が近づけば、落ち着いた外交交渉はしにくくなる。
来年6月に日本で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議の際に平和条約に署名するくらいのスピード感でなければ、安倍政権の間に解決できません。年内に予定する2回の日露首脳会談は、非常に重要な意味をもちます。
外交交渉に「100対ゼロ」の勝利はあり得ません。プーチン氏のいう「引き分け」にどう持ち込むか。
共同宣言を踏まえれば、歯舞群島と色丹島の引き渡しに、残る2島の自由往来や共同経済活動などを組み合わせた「2島プラスα」で交渉を組み立てるのが現実的解決への道です。安倍首相ならば、必ず日露の新たな歴史をつくると確信しています。(力武崇樹、小川真由美)
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181018-00000602-san-pol
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