教祖の松本智津夫死刑囚(63)は、刑事裁判で不規則な言動を繰り返すなど、最後まで真相を語らなかった。
1996年4月に東京地裁で開かれた初公判。松本死刑囚は人定質問で「麻原彰晃」と名乗り、本名については「その名前は捨てました」と述べた。
97年4月の公判では、地下鉄サリン事件について「自分は弟子たちを止めたが、結局負けた形になった」と責任を転嫁し、無罪を主張。被告人質問では沈黙を続けた。
99年11月、教団元幹部の公判に証人として出廷した際には、「あまりぺらぺらしゃべらない方がいいぞ」とけん制した。以後、自身の裁判で突然、大声を出すなどの奇行を繰り返し、2004年2月に死刑が言い渡された。
控訴審では、東京高裁が06年3月、弁護人が控訴趣意書を提出しなかったことを理由に公判手続きを打ち切り、同年9月に死刑が確定。その後は、弁護士らの面会でも会話が成立しない状態が続いた。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00050045-yom-soci
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