終戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も政治的な意見を首相に伝えようとしていた。
宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。
田島元長官の遺族から文書を提供されたNHKが19日、一部を毎日新聞などメディアに公開した。
文書は「拝謁記」と題された手帳やノート。48年から宮内庁や前身の宮内府のトップを務めた田島元長官が、就任の翌年から5年近くにわたって昭和天皇とやり取りした内容を記録していた。
文書によると、昭和天皇は、独立回復時に国民にメッセージを出すことを望んだ。草案作りが本格化した52年1月11日に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島元長官に述べ、
同年2月20日には「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と語ったとしている。
「下剋上」とは、戦時中の軍に統制が利かなかったことを表現したとみられる。
「反省」の文字が宮内庁内部の検討で削除されても、戦争を悔恨する一節を入れようとしたが、吉田茂首相(当時)から反対され、最終的には受け入れた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190819-00000020-mai-pol
ネットの反応
戦後天皇制を守るためにも、象徴としての政治的発言はそれくらい禁忌だったのですよ、秋篠宮さま。
まあ戦国時代のように
100年~400年もたてば世界大戦のことなんてスッカリ忘れ去られてしまう
戦国時代も合戦場には死体がゴロゴロ転がってたし
首をはねてお持ち帰りしたからね
世界大戦の時は耳をお持ち帰りしてたでしょ!
未来では懲りずに宇宙戦争が始まって
世界大戦よりもっとたくさん人が死ぬだろうね
本当に反省しているなら、意思を通せるはずだと思う。反省では足りない。心から詫びて土下座しても足りない。中国、アジア侵略、インパール作戦から特攻隊まで人を人とも思わない戦いを黙認してきた責任を一つも取っていない。原爆を二つも落とされて、やっと降伏した。
先日のNHKの番組で、昭和天皇が陸軍と海軍を下克上と称しており、制御できなかったごとき様子を戦後宮内庁長官に述べた事実が公開されていたが、まるで他人事だ。命をかけてでも戦争を阻止して欲しかった。それだけの気概も覚悟もない。国民には何かあれば自決を強いていたのに、、
それが最高指揮官の実相だ。本当なら戦争犯罪人として審判が下されるだろうが、取り計らいを受けたのだから責任を取って退位して民間になるとか、天皇制を廃止するとか、、、見直すいい機会であったのではないか。
再軍備…
明治憲法下での統治権の総覧者、軍の最高指令者。戦争と敗戦、米軍による占領と国民生活の破綻。現行憲法下の象徴天皇。この激変の中の苦悩は想像を絶するものだったことでしょう。
だから今のロシアの台頭が目につく。日本弱体化の原因が何か分かった様二思ふ。
宮内庁関係者の遺族ってさ、金銭的に切羽詰った人ばっかなの?
まず当時は政治家が軍より下だったのだ!
位が低い、政治家がなに言っても無駄だから東条英機が選ばれたのだ
昭和天皇の1番の大罪は愛人制度を無くしたことだと思う
「天皇が政治に関われないという新憲法の理念を理解していないような発言から__」
良識のある普通の日本人なら、この一文にひっかかり違和感を感じたのでは?
延々ともっともらしい長文記事を書き連ねているが、毎日は結局ここが言いたいだけなんじゃないの?とまで思う。
この記者の私見やんかそれ。そしてこの文言にOKを出した編集長しかり。
昭和天皇に対してよくもまぁ上からそんなこと言えるねぇ。
よっぽど自分らマスコミが偉いとお思いのようですねぇ。
あ~やだやだ。
昔から知られていたことを初めて知ったかのように報道するのは
一体何をやりたいのか分からん
天皇陛下に政治的権能認めたいの?
民主主義国家だから立憲君主の昭和天皇は内閣の意志に従っただけの話じゃん
残念ながら今も変わらず野蛮人日本人。アジア人。
恐怖心に支配され否定的なことを受け止める余裕もなくすぐに敵対心。
動物から脱せよ、尊き日本人よ。
昭和天皇は戦争責任を取りたかったんだろうと思う戦前も拡大する陸海軍の軍人に「利用」された面が多い
そもそも日本人は天皇陛下を本当に敬う気持ちがあるのだろうか?
明治維新から天皇制を明治政府にいいよう利用された
国民をまとめる為といいように利用された昭和は戦争反対する陛下の意見を聞かず勝つ見込みがない戦争に邁進した
戦争末期は玉音放送を阻止しようと陛下を捕まえて拘禁しようとした
今現在は、陛下皇室がなにかする一挙手一投足国民は監視している女性天皇の問題や眞子様の結婚問題、そのようなことは皇室と陛下が考えて決めればいい問題だ
税金が支払われてる?
その100倍お仕事されてますよ
敬う気持ちが本当にあるなら、陛下や皇室のお言葉は尊重するべきだ
毎年240億円が宮内庁予算にあてられている。
天皇の役目は戦後復興をもって終わりました。
今の皇族が本当に必要なのか民意を問うべき。
皇族解体を心から望みます。
広島、長崎、沖縄の犠牲は、天皇の責任は多分におありですから。。。
ソ連がと言いつつ、アメリカに原爆投下され戦争終結。
被害にあったのは、国民。
先ずはこの手記が正確にそのまま出ているのか?原発事故では朝日新聞が吉田メモをそのまま伝えないで真逆に捏造してた事も有るので、同じ穴?の毎日新聞の事ですから疑ってみるのも有りなのかなと思ってしまう。
天皇も人間、現人神ではないですから
大変な人生だったと思います。
負けるとわかっていながら戦争を続けて、多くの人が犠牲になった責任は大きい。原爆を落とされて初めて降伏した。戦争をやめさせたいなら、どんな方法でもいいからやめさせるべきだ。
出来なかったという事はそれだけの力が無く、天皇とは形式だけの物だったという事。国民はそんな政府や天皇に踊らされ、訳の分からない世論が出来上がり、戦争に向かって行った。昭和天皇もA級戦犯扱いで良いのでは。
暴走する軍部を止められなかったという「反省」だそうで…。
1番権力を持つ自分が何故止められなかったのか、と…。
そのせいで無辜の国民が多数命を落とさねばならなかった、と…。
昭和帝、さぞ心苦しく、また心残りだったでしょうね…。
先の戦争への反省と、今後のための軍備は矛盾しないのだろうと思った。
自分が責任者として第二次大戦で各国を侵略しておきながら、ソ連を侵略者と考え、象徴天皇の立場を理解せず再軍備を求める。
バカなんだろうな。
やっぱり無自覚なバカが一番の悪だな。
>なぜ天皇が戦争への反省を言ってはならないのか
安倍さんが「反省」を拒んでいるのは、彼自身と支援する日本会議など、あの戦争は正しい戦争だったと思っている人たちがまだいるということ。
正しい戦争と思いたいための言い草は、国の為に戦死した者を無駄死にという評価から救いたいからと言ってるが、それは方便。本当にそう思っている遺族の思いを利用しているだけ。
真実は、国や国民を思って開戦否定を拒んでいるのではなくて、支配層の戦争責任を逃れたい一心。
支配層である「上級国民」を守ろうとする暗黙の動きは、昔も今もあるということ。
しかし、昭和天皇の思いを継承した戦後のお二人の天皇陛下は、夥しい多くの人々の苦しみと焼土と化した日本の敗戦に対して真摯に向き合い、「深い反省」というお言葉を使い続けている。
それとは対照的な安倍首相は、祖父で戦犯だった祖父の岸信介の名誉を護ことに全力を傾けているのだ。
昭和天皇って、人間宣言された方ですよね。
天皇が神のように崇められていた時代に。
私は神ではなく人間です、と。
随分と誠実で賢い方だと思い、好感を持ちました。
遺伝なのか、令和の徳仁天皇陛下を思わせますね。
川嶋紀子はこの昭和天皇に結婚を反対された人です。
これ程の方が結婚に反対されるとは余程のこと。
しかも昭和天皇の喪中に婚約をした秋篠宮と紀子。
それは裏切りと当て付けの大変無礼な行為です。
絶対に秋篠宮家に天皇を継がせてはなりません。
反省という言葉も天皇という立場からなのか個人の立場からなのかによって
波紋広げるから表明は、どう考えても無理だよね
政治に影響が出てしまう
今もそうなのであろう。
天皇の想いを伝えようとしても、宮内庁や政治家が言葉を曲げたり抑えつけ、何かにつけて政治的発言は…と言った言葉で公表せず、葬った大切な言葉は多いのでは?
だから平成天皇も体の無理を伝えても、あの年齢まで無理やり付かせていたのではないのであろうか。
吉田茂 のイメージが少々ダーティーな方向にシフトしてしまった・・。
この記事には、「反省」の一節を削除した理由が、天皇の戦争責任が問われ昭和天皇の退位論が再熱するのを吉田が危惧したからだと謂う説明が抜けている。作為的か?
朝日新聞と毎日新聞が世界の中心でいるような目で記事を書くな。
変な思想団体に刺されたりしたら大変なので誰も言わないが、同じ人間ですからね。
これで南京大虐殺が事実であったと言うことが確定したんだが・・・
なかったと言ってた人は残念だったな
戦争に負けて主権が天皇から国民に移った訳で、「反省」を国民主権になってから表明してしまえば、戦争責任論が沸き上がった場合に今の「天皇制」は消滅していたかもしれない。それを防いだのだと思う。
実際、「あの天皇のせいでこんな悲惨なことになったんだ。」と言う人が沢山いたのは事実。