数々の恋愛ドラマを描いてきた。1988年から雑誌に連載された「東京ラブストーリー」は、鈴木保奈美、織田裕二主演でドラマ化され、大ヒットした。
そんな恋愛の教祖が乳がんと診断されたきっかけは、自治体の無料検診だった。2007年、当時住んでいた東京都練馬区から案内が届いた。50歳になった節目の年。「念のため」と気軽に受診した。
後日、検診結果を聞くために病院を訪れると、窓口の女性の表情が暗い感じがした。封筒を渡され家で開いた。「再検査を要する」。知人の医師に事情を伝えると、乳腺専門の病院を紹介してくれた。
3歳上の姉も40歳代で乳がんになったが、今も元気だ。だが落ち着かなかった。がんのステージ(進行度)、治療方法、再発の確率……。インターネットで乳がんを調べても調べても、「助かるのかしら」という不安は消えなかった。
再検査後、医師から「様子を見ましょう」と言われた。マンモグラフィー(乳房エックス線撮影)で右胸に白い影が映ったが、触診や超音波検査では異常が見つからなかった。
翌年の検診でも、影はあったが問題は見つからなかった。「万歳!」。医師は、原因がはっきりせず納得できないようだったがホッとした。
その後も年1回の検診を続けた。「私はがんにならない」という気さえしていた。病院通いが面倒になってきた10年の検診で、がんが見つかった。
マンモグラフィーで「去年映っていなかったものが…」
「去年映っていなかったものが映っていますね」医師の言葉にはっとした。マンモグラフィー(乳房エックス線撮影)では、それまでの検診で影が映っていた右胸に変化はなかった。ただ、左胸に白い点がぽつんとあった。「机に胸をぶつけて内出血したりして映ることもある」と医師に言われたが、嫌な予感がした。
細胞を採取して異常を調べる「細胞診」をした。検査結果が出るまでの2週間は、とても長く感じた。当時、連載を抱えており、漫画を描いている時は没入できた。でも、朝起きた時や仕事が終わって過ごす夜は、「大丈夫、大丈夫」という思いと、「もう死ぬんだ」という悲観する気持ちが交互にわき上がり、心が揺れた。漫画家という職業柄か、想像はとめどなく広がった。
検査結果がわかる日は漫画の締め切りの日だった。病院に行けず電話した。医師の息をのむ音がして「がん細胞が見つかりました」。手術を勧められた。落胆はしたが、3年前、乳がんについて“予習”していた。「やっぱり」とさほど驚きはなかった。
手術までの間、気持ちを落ち着かせるため、山田風太郎の「人間臨終図巻」を手に取った。偉人や著名人の最期が年齢ごとに収録されている。「どんな英雄も、天才も、皆死んでいる。そんなもんだろう」。そう思うことが出来た。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00010000-yomidr-sctch
みんなのコメント
一病息災、かえって体を気遣うようになり至って健康に過ごしています。がんのことも聞かれなきゃ言わないし、高齢の実父には心配かけるから言ってもいない。同窓会なんて「私もがん」だらけで笑い話になっちゃうし。早期発見早期治療の大切さを説くならいいけど、この記事はただの「がんになって可哀そうな私」だよね。