ネットの反応

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私の姉は今で言う軽度の学習障害がありましたが、母親が普通学級に入れて欲しいと懇願して、小学校と話しあった結果、普通のクラスに編入したものの、学力的に厳しく、かなりイジメにあったそうです。
親としては、軽い症状だから普通の子と一緒にいればその内馴染むと思っているかもしれませんが、恐らく、余計に酷くなると思います。
他人より出来ない事が多いと、自己肯定感も低くなり、自信喪失に繋がります。
親の希望より、子どもの気持ちを優先的に考えてコミュニケーション能力を高めていけるよう子ども達をサポートする仕組みを具体的に考えていかないといけない。
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保育士とかは結構早めに違和感に気づいていたりするけど、親は認めてくれない(認めたくない)ため、対応が遅れることが多いようです。子どもに合った教育が受けられるというのは本当に素晴らしいことなんですが、”普通”から外れることの怖さに怯えて適切な教育を受けられないことについて、親はもっと知っておくべきだと思います。
30キロでしか走れない車で、高速道路を走らせるようなものです。
時間はかかったとしても、堅実で整備された道路を走ることで、好きなところにいけると考えてくれたらなと思います。

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発達障害についての知識が世間一般的にあまり知られていないことが問題じゃないのかな。
学校や地域の講演会などで正しい知識を教育すべきだし、メディアでももっと取り上げるべきだと思う。
知識や経験がないと、どう接していいかもわからないし、いじめにも発展しやすい。正しい知識を知らないから差別や偏見が生まれるし、療育など早めに対応しておけば改善されるのに放置しておくと取り返しがつかないことになる場合がある。大人になって社会とのつながりが無くなってしまうと、もうどうしようもないし、社会から排除されるだけ。

教育現場が忙しいっていっても、デジタル社会なんだから、デジタル化できることは効率化すればいい。教育現場じゃなく、民間に頼れるなら民間でやればいい。

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子供の気持ちと言っても難しいでしょうね。ただでさえ社会経験が浅いから自分の行動に責任が取れないのに。だから未成年という言葉が存在し、保護者が責任を取るので。
ひとえに発達障害と言っても千差万別。私の子供は療育A判定なので一切迷わず支援校にお世話になったけど、年長から進学の際に迷ってる親御さんは沢山いました。普通級か支援級。支援級か支援校。親心としては上を望みますよね。先生やクラスメート、放課後デイサービスなどとの出会いで変わりますので、正解はないですよ。決めた道信じた道を行くだけ。私の知り合いでも支援級で先生と衝突している親御さんいました。支援級の先生は支援教育の専門ではないですから、なかなか難しかったよう。出会いで変わります。
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こういうのは、昔より、認知されやすいようにはなってきてるんだろうと思うけど、どうしても「障害」とかいう話になると、ネガティブなイメージが付きまとってきますよね…。ただ、ある程度、医学的にも分類できる「特定分野の学習困難」なんかがあったとしても、そもそも「眼鏡をしないと遠くが見えない」なんても、軽度の障害と言えばそうなんだし、こういったものも、あくまでポジティブに捉えるなら「子どもたち一人一人の特性に応じた、より適切な教育を提供をすることが可能になる」ということですから、そこはあくまでプラス面として、これからの教育に活かしてほしいものだと思います。

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子供が、自分の意志で物事を判断できるようになるのは、小学校4年生(10歳)くらいと言われています。 就職してから発達障害に気づくケースも多く、大きな問題が無い子供さんは、普通に小学校へ通う形で良いと思いますよ。
小さな問題が何度も起き苦しんでいる場合は、対応する必要性があると思いますが…
※発達障害でも問題ないケースもありますので

人類が生れた時から発達障害が有ったと思われますし、歴史上の人物でも発達障害と思われる方々は沢山います。
日本では、発達障害が、一般に広まり認識され始めたのは2010年以降と日が浅いく、自分が発達障害であることに気づいていない大人も多いのですから。

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本気で対応するなら、日本式の無条件進級を辞めて、欧米式の小中学校から「留年あり」にした方がいいでしょうね。
席に座っていられないとか記憶障害がある子と、物覚えが悪いだけでじっくり繰り返しやれば学習できる子を、ADHDというキーワードで一括りにして一律特別支援学級というのは逆に子供の可能性を狭める結果になると思います。そもそも発達障害とされていない子でも学習進度にはバラつきがあるのが当然で、究極はどんな子だろうと一生徒あたり複数教師が必要になりますが、どこまでを社会インフラとして負担できるコストなのかはきちんと検討する必要があります。

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まだ親の中に世間体や自分の家から障がい者が出た事を認めたくないとかいう差別主義者がいて子どもに適切な対応が取られていないケースが多くある。
もう障がいというより特徴と捉え生きやすくする為の訓練が必要と思って対応できないものかな。親をはじめとした大人が問われている。上手く対応して欲しいし私たちも対応できる度量を身に付ける努力をしなければね。
1-8
学校側がこの子特別支援だなとか言いませんよ。先生たちも思うところある子もいると思うけど。絶対に先生から言わないと思う。学校がわより親が気づいてない、気づいてるけど、グレーの子ならそのうち大丈夫と思ってるかですよね。子供がかわいそう。きちんと療育とかに行けば大丈夫なこもいるはずだし、多分そんな子は途中から不登校になると思う。子供のために支援学校に行った方が絶対にいいのに。小さい時はいいかもだけど、高校生くらいになり就職するときになって困る思う。
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発達障害の疑いがあっても親が普通級を希望することもありますが、逆のパターンも多いですよ。東京都は発達障害があっても知的障害なければ基本的に普通級。都としては情緒学級を設置しない方針なので情緒学級あるのは極わずか。支援級だって原則数年しか在籍しないことになったし。
親が理解して配慮しても社会の側に問題も多いですよ。
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発達障害は千差万別なんで、本当に一概に言えませんが、保護者がいち早く状況を把握すること、そして保護者の精神ケアもちゃんとすること、その子にとって適切な態度で日常生活を送ること、必要なサポートをしつつ、きちんと理解させるべきところは手を抜かずに甘やかさずに根気強く教えること、は大切なのかなと思っています。
うちの子も軽い発達障害持ちですが、小さい頃から年に何回か専門医のところへ行って、私たちもできる限りサポートして、普通学級に入っています。面談の度に先生とも相談しますが、たまたまとてもいいクラスと先生に恵まれたこともあり、本人も学校が楽しい、と言って、大変な成長をみせて、普通学級のまま進級していっています。
発達障害の子に大事なのは、自己肯定感を下げないようにする、ということなので、難しいですがそこを大事にしながら、本人の力を伸ばすようサポートして促していくしかないのかなと思います…。
2
元教員です。実際に学校現場で、この程度の割合で発達障害の生徒がいると、肌で感じていました。ただその程度はいろいろで、保護者の対応もさまざまです。はっきり言えることは、診断を受けて、専門家のアドバイスや支援を早期で受けられた生徒の方が、本人も楽だろうということです。ADHDの診断を受け、投薬を開始できた生徒が、「本当に気持ちが楽になった。薬を飲み始める前まで、いつも気持ちが落ち着かなかった。早く診断を受ければよかった」と話していました。薬については体質もあるので、必ず効果があるとは言えませんが、こういう生徒もいるということです。
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息子は発達障害がありました。
早くからちょっとおかしいなと感じていたので、学校も支援学級に通わせました。
とにかく、大人になってから社会で自立できるように考えていました。
高校も支援学校行かせました。
学校で行った、企業の体験実習も同じ企業に2年連続で実習に行き
卒業後はその会社の正社員として働いています。
地元ではそこそこの中堅企業で安心しています。
社会人3年目ですが、今は自分でアパートを借りて自立して生活しています。
2-2
発達障害と、認定してもらえたら、保育園では加配と言ってクラスの保育士とは別にその子専属で保育士を配置してもらえる。けれど、保護者によっては、それを子供や自分にとって不利な事と感じるのか、診断を受けようとしない人達も多くいる。自分の知ってる限りでは。専門家の指導を早めに受けていた方が、集団にもなじみやすいし、その子に合った対処法も早めに見つける事ができるのに。。その決定権は親で、保育園とか学校側から強く言えない所が、難しい。
2-3
発達障害って軽度も含めたらもっといると思う
グレーゾーンまで含めたらさらに増えると思う
そしてそれに理解を示さずそういうレッテルを張って差別したがる連中も当然当てはまると思う
自分たちは違うんだ、自分の大切な人は当てはまらないんだなんて勘違いをして相手を色眼鏡で見るのはもうやめたらいいと思う
後黒に近いグレーゾーンが一番きついと思う
限りなく近い特性はあるけど支援や治療は受けられないって言うのはある意味本当にきついと思う
特に日本は規格を決めてその枠にはめたがる傾向が強いから枠に入れない人たちはすごくつらいと思う
2-4
薬が効かないって意見もあるけど検査して投薬してみなきゃ判らない。
本人が少しでも気が楽に社会で過ごせる可能性があるなら検査もして投薬もしてみれば良い。
合わなければ止めればいいし、違う手段を考えれば良い。
何もしないことが1番将来本人が困るんじゃないかな。
2-5
障害というのはその人の内にあるものではなくあなた(社会)と私の間にある壁の事をいいます。発達障害自体に問題があるのではなく発達障害のによって周囲と軋轢が生じ、鬱病など二次障害が出る事が問題です。
例えばADHDで遅刻等を頻発してしまう人は鉄道会社等時間に厳しい会社では毎日怒られ自己肯定感も失い生きづらいと感じるでしょう。しかし定時の概念が無く求められる成果物を出せば良い職種等では活躍して周囲からも認められ幸せに生きる事も多いです。
要は周囲の環境に馴染めるかどうかが重要であり、定型発達は自分を環境に合わせることができるが、発達障害者は自分に合った環境に身を置かなければ不幸になります。
環境を変えられない場合投薬治療によって周囲に合わせられるようになり本人も救われますが、居場所があり本人が特に困っていないなら発達障害の診断が出ても投薬は必要ありません。
2-6
そもそも発達障害という疾患はその機序すら明らかになっていません。当然治療薬もありません。あるのは症状を緩和するための薬で、言うなれば風邪に対する風邪薬と同じです。風邪と違うのは免疫力や自然治癒力では治らないことです。現段階ではそのような状況なので、昔は個性として扱われていたものを疾患として分類しただけとも言えます。

長期的に増加しているのだとすれば、診断基準の変化や医師数・受診数の増加、社会の変化などが考えられますが、この記事にあるように短期で増加しているのであれば、社会的変化が主な要因ではないかと思います。ただし、統一的な基準で診断されることが前提です。

2-7
結局、本人に他人と違うと思わせてしまうことのデメリットと、自分の特徴と向き合うやり方を教えてあげるために専門家を利用することのデメリットの兼ね合いなのだろうけど、俺的にはデメリットの方がメリットを上回るようにおもえないんですよね。もちろんそれも、個人の環境や障害の程度によってどっちが高いかは違うと思うのだけど、ここのコメントにせよ、学級担任にせよ、取り敢えず往診ありきで進めるのは無責任な気がする。

単に、メモを取るとか、記録するとかの方法論なら本人にそれとなく習慣づけることもできるわけで、往診は軽度なら避けた方がメリットは高いと思うんですよね。

現に俺は今も診断は自分の判断で受けてないし。
色々調べてみたけど必要性を感じなかった。

2-8
自分の子どもの障害って認めたくないんだろうな。
うちの子も一人目が若干グレーな感じで、集団をみてる保育園の先生から3歳半健診で相談してきてくださいと言われた。
子どもってこんなもんじゃないの?なんでそんなこと言うの?って最初はショックを受けたけど、沢山の子どもを見ている先生から見て「こんなもん」の範疇から外れてるってことだと思い直した。
保育園やセンターと連携して対応していった結果なのか、学校では普通級で、個人面談などで先生に聞いても今のところ上手く過ごしているようなので大丈夫なんじゃないかな。
先生からの助言があったなら、早急に受け入れて対応してあげた方が子どもも生きやすくなると思う。
2-9
NHKスペシャルでやっていましたが、発達障害の方達の中にはある種の特別な才能を持った「ギフテッド」と呼ばれる子供達がいるのだと言う。欧米ではその優れた「特殊な才能」を早期に見いだし、社会に役立てる仕組みが出来ているとか。
全てが満遍なく出来て平均点が良いタイプを日本社会は重宝仕勝ちだが、他は零点でも一つの事に秀でている特技を認めて社会に貢献して貰う仕組みを日本も早く構築した方がいいと思う。
「ギフテッド」の確率は僅かかも知れないが、今の日本の教育システムは「障害者の持つ特殊な才能」を見いだす努力を怠っていると思う。

2-10
子供のクラスにも3人ぐらいグレーの子がいる。というかマンモス校で毎年クラス替えがあるけど、毎回数人いる。
授業妨害、奇声、物を叩く、授業中に席を立つ。
なので8.8%いるというのも納得できる数値
1人は来年度から支援級に行くのが決まっている。でもその子とは1年生の時も同じクラスでその時はそういう子では無かったからびっくりしたと言っていた
環境って大切だと思う
今迄、環境がよくなんとかやってこれても、環境が合わなくなると発達障害が露呈する子も沢山いる
発達障害の子もそうで無い子に対しても環境作りは大切だと思う
3
発達障害の人はこのくらいはいると思いますが、発達障害という概念もなかった時代、昔は本人が血のにじむような努力をして周りに合わせてきた人も多かったのではないでしょうか。学業を終え、就労し、結婚もしたけれどうまくいかないからシニアになって診察を受けて発達障害と診断されて納得したという人が私の周りに何人もいます。本当なら支援が必要な人だったと思います。でも反対に、社会生活に適応しようと努力、努力、また努力をしてきたがために、プライドが邪魔をして配慮や支援を受け入れない人も存じ上げています。自分の生きづらさや周りとの違和感を乗り越えようと必死で生きてきた同年代の仲間を思うと、「支援が必要な人」でくくれないと思います。
3-1
障害と呼ばれるにはそれなりに理由があって本人の努力で乗り越えるにも限界があると思います。
昔と比べて発達障害の診断を受ける人が増えてるのも単に発達障害という言葉が広がったからだけでは無く、社会で求められる能力が変化したからです。
障害というものは当事者の中に存在するのではなく当事者と社会の間にあるものであり社会の在り方が変わると障害を感じる人の数も変わります。(極端な話目が見えない人が多数派になればインフラもそっちに合わせて作られるため不便を感じる事は無くなります。)
現代は技術の向上により単純作業の仕事が減り調整等コミュケーションが求められる仕事が増えています。発達障害の知識を得て若いうちからできる事できない事を分けて子どもの伸ばす事ができる教育が求められて行くと思います。
3-2
支援学級の教師曰く自分が何が出来て何ができないか把握し、周囲からどんな支援があれば健常と同じかそれ以上の成果をあげられるか。それを本人が周囲にキチンと説明して理解して貰う事が将来の最終目的。
と、小学校就学時に高機能自閉症の長男は言われました。
結局合理的配慮を受けて普通級に小1から在籍してます。それが情緒支援級の目標ならば普通級で揉まれた方がいいと私は思いました。本人も普通級希望でしたし、今まで大きなトラブルはありません。
幼児期から療育はしてましたから、どこをどうしたら伸びたのかはよく分かりませんが早期療育は非常に重要かと思います。
必ずも療育で伸びるとは言い切れませんがね
3-3
他の回答の方と同じように
私もそれなりに就職 結婚 子育て
を経験しています。
最近思い返せば発達障害なのでは?と思っています。人間関係や仕事を人一倍努力し、大変でしたが
でも振り返ればそれなりに人生は順調で幸せだったと思います。

今は落ち着いていますが、子供の頃は明らかな多動でした。両親や周りには、ただのおてんば娘としておおらかに育ちました。

個性を活かした技術職の国家資格をとって、社会にも微弱ながらそれなりに貢献していると思う。

これって小学校の時にもし自分が発達障害として診断を受けたなら、獲得できた幸せだっただろうか?とふと思います。

その技術職の学校にも受験で入れてもらえただろうか?知能は高めだったので高校もそれなりの進学校に行ったけど、受かったのだろうか?
就職や結婚もできただろうか?

今時代の親は難しい選択だと思う。

3-4
そもそもひとクラスがあまりに人数が多く、クラス単位で動くような行事ばかりだからちょっと集団からはみ出てしまうと問題児とされ、診断が下りなくてもグレーとか発達障害とか言われてしまう。
そうなる前に適切な指導と療育をしていくことが大事。集団からはみ出ることは子供にとって相当な劣等感になり、ずっと引きずってしまう。それを就学前後に適切な指導者の元、療育することで問題行動をうまくコントロールしていくことが大切なはず。ゆっくり教えれば理解できることや工夫して注意散漫なことを少なく出来ることもある。
低学年は20人ほどにして、就学前にプレクラスを作ってまずそこである程度見て、適切な療育を受けさせる。就学年齢も1〜2年幅を持たせ、主要教科は習熟度別にして落第、スキップを認める。テストも習熟度別にする。出来る子はより高度に、少し理解に時間がかかる子はより丁寧に。
ただそれを差別という人がいるから難しい。
3-5
小学校6年生の段階で2学年以上の学習の遅れを示す子どもは昔から2割以上いた。文科省のデータで数十年前から示されており、発達心理学や教育心理学の教科書にも載っている。
当時は、それらの原因は努力不足や躾の問題とされてきたが、近年は発達障害の概念が浸透し、その中の半数程度は発達障害が背景にあるということが分かってきた、という事であろう。ちなみに、文科省は発達障害の定義の更新が遅く、未だに10年以上前の発達障害の概念である「高機能自閉症」「注意欠陥多動性障害」「学習障害」を使っている。
調査を重ねるには同じデータを使用する必要があるのもわかるが、そもそもの概念が古くなっているのならば、調査の意味をなさないので、できれば次からはDSM-5の基準を使用するようになってほしい。

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本人の努力もありますが、同じくらい、本人が適応できるようになるまでに傷つけられてきた周囲の健常者もいるかと思います。
私自身も難しい幼少期を過ごしてきて、今は平和に過ごしていますが、それまでには多くの屍を乗り越えてきた感も否めません。失った友人も多いですし、たくさん迷惑をかけてきました。難しい問題ですね。
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自分をいわゆる「健常者」と思っている人が、「発達障害」の人を「社会生活に適応しようと努力を重ねてきたがためにプライドが邪魔をして配慮や支援を受け入れない人」と評するのは随分と上から目線のように感じます。「発達障害」の3つの類型に属する可能性のある人が1割弱、その他に「健常者寄りのグレーゾーン」があって、「発達障害」以外の知的障害や、虐待などの発達を抑制する因子もあります。自分が間違いなく「健常者」だなどと言える人は何割居るでしょう。

それぞれの状態に即した支援が受けられるようにすることは非常に大切ですが、それと同時にどんな人でも生きやすいような世の中を作るという視点も欠かせないと思います。

3-8
時代が違えば働き方や求められる能力も違うので、同じ特性を持っていても本人の抱える困り感がかなり異なるはずです。
例えば、昔は人々もおおらかで多少苦手なことが多くても「これも個性だね」と受け止めてもらえた部分もあったでしょうし、人付き合いが難しくこだわりが強い子でも「この子は職人向きだ」と評価され、職人に弟子入りするなど、働き口もあったでしょう。
現代ではそうではなくなったので、”社会との間に”障害が生じやすくなったのです。発達障害の難しいところは、”本人の特性と社会との間にある障害”がどの程度生活に支障をきたしているか、という点が診断に影響するところです。
現代でも、フレックスタイム制度でクリエイターとして才能を活かしているな凸凹特性が大きくても診断は不要な人もいます。

私自身も当事者でおそらく親もそうです。親はとても苦労もしたでしょうが、なんとかなる時代だったのだとも思います。

3-9
せっかく入社してきたのにいつまでも仕事を覚えられない。どんどん同期に差を付けられる。業務量が増えるにつれミスも増え続け絶えなくなる。それが2~3年続くと会社側から病院で心身ともに精密な検査を受けるよう指示が出て、結果発達障害と診断され、至極簡単な事務職に降格されて、そこでもミスが絶えなくて諭旨退職となる者が毎年のように出ます。
つい先日も診断書届いたばかりの者もいます。
確かに面接程度の日常会話ではちょっと変わっているというか、癖の強い人程度にしか感じないし、緊張していると思ったらそのレベルでしか違いは無い。
業務となって細やかな配慮、先を見越した動きが必要などになると急に露呈するようです。
どなたか教員だと言う方が仰ってましたが、学生生活の段階で気づくというなら、そこで何かしらの対応をしてくれれば、本人にとっても無駄な時間を費やす必要がなかったのではと思わずにいられない。
3-10
社会人になってから発達障害がわかるケースもあります。
私の部下がそのケースでした。
本人は健常者として学生時代を過ごして、社会人になり入社してきましたが、ある程度の学力はあっても、実際に業務をこなすことで、ミスがたびたび発生して、本人も悩んで病院で診断を受けたそうです。線引きは難しい問題だと思います。

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この数値は結構重要なことだと思うけど、だからこれからなにをすべきかは、専門家も難しいようで、人によって対応が180度異なる。分かりたかった、分かりたくなかった

という基本的なことや、分かったとしても、どのように周りに伝えるか、教育していくかなんかはほんと難しいと思う。

個人的には、白黒は良くないこともあるが、しっかり病気という診断をしてもらった方が、周りも動きやすいのではないかと思う。

4-1
本人の特性にもよりますし、教師の知識にもよります。発達障害といっても多様ですが
発達障害を、障害と捉えて
冷たくあしらう親御さんもいるし

緘黙なのに、前に前に出させようとしたり
無理に返事をさせようとしたり。

みんながみんなにどんな特性があると説明するのも親からして嫌ですが
知り得てないのに試されたりと、困ることも本当に多いです。

4-2
子供の頃は勉強が出来ないとか、友達とコミュニケーションが取りにくい位で、それでもかなり悩んだり大変だと思う。
でも一番困るのは就職してから。自分の特性を理解せず働き始めると、自分も周りの人も悲惨。
友達なら謝って済むけど、仕事で謝り続けても結局、出来ない事は変わらないから、自分が出来る事、自分の特性にあった仕事を見つけないと生きていけない。
「発達障害」と診断が出るレベルの人は、出来ない理由が分かる方が救われると思う。
4-3
これはあくまで海外の統計データですが、
性犯罪に関わり有罪判決を受けた者の7割が発達障害の兆候が見られたとのこと。一括りにはできませんが、発達障害の方に対しての教育やサポートを手厚くできれば安心安全な社会の一歩になるんではないでしょうか。

4-4
うちの息子は学校の担任から勧められてWISK受けたがグレーゾーンだった。
ついでにIQ145のギフテッドってものもわかったけど。
本人もそういう気があるという事、見えている景色が違うことを理解してからはまわりとの付き合い方もうまくいくようになった。
うちの子に限ってと思わず疑念は潰した方がいいと思う。
4-5
発達障害だなんてレッテル
貼られたら、反対に
いじめられかねない。
その事実を子供に伝えるのも、
本人が余程困っていない限り、
憚られる。
本人に伝えたら、
弱者になった気がして、
甘えて努力しなくなりそう。
また、結婚する時の
障壁になりそう。
そう心配すると、
親にとっては、
物凄く、絶望的な気持ちになる。
4-6
結果論になりますが、甥っ子がアスペルガーで3、4歳からだいぶ他の子と違い(自傷行為、チックなど)姉はいち早く専門家のところへ行き、4歳から専門の施設に通っていました。グループにも通っていました。
姉は息子が一般の人に馴染めるよう努力しました。
早く通えたことで友達も多く出来ました。今は22歳ですが、就職し、彼女もいます。アスペルガーと言われても全くわかりません。
早く気がついて専門家のお世話になった方が、本人の長い人生で苦労を少なくさせてあげることが出来るようです。
4-7
むしろ、学校や社会が、
完璧な人を求め過ぎている
弊害なのではないでしょうか。
グレーゾーンの人も
そうでない人も、
得意不得意があるでしょう。
それを余程じゃない限り、
発達障害かを判断するのは、
パンドラの匣を開けるような
ものだと思います。
そんな優劣がわかったら、
その子の結婚にまで響きますし、
結局のところ、
優生思想を助長する事に
なると思います。
4-8
まあそれも本人と家族の困り具合に因るからな。
一方的に型に嵌めてどうにかなるようなモンでもないし、助けて欲しい人が助けてもらえるだけの認定を受ける形で良いと思うがね。
4-9
病気じゃないよ。特定分野の能力が年齢の割に低い人をそう呼んでるだけだから、診断基準の作り方で対象は変わりうるし、治ることも無い。

落ち着きが無く騒ぐとかなら、衝動を抑える薬が効いてる間は大人しく出来るとか、その程度。

4-10
アスペルガーの様に
自分に困り感がない場合は周りにASDじゃない?と
言われても
自分ではよく分からないかも

大人だと職場や家庭で
周りの人が困ってる事の方が
多いのかもしれないね

5
特別支援教室や、医療機関への受診をすすめられる保護者の中には、もう少し様子を見たいと言う方がいます。発達障害と分からぬまま大人になり社会人になったとにきは、自分の障害や特性を理解したり対処するのに手遅れになることが多いです。引きこもりや、自死をされる方もその一部だと言われています。

義務教育期間中は、選択すれば特別支援教育を受けられたり、支援学級に入級しなくても、医療機関の助言と教員のサポートでその子にあった指導を受けられます。
逆を言うと、中学までしかその子の特性にあった教育を受けられないのです。
支援学級は親の意向で、抜けることも可能です。
まだ小さいのに早く声をかけられたと受け取るよりも、社会に出るまでに本人が自立できる準備ができた。と思うようにしていただけたら、幸いです。
本人がどうか生きづらい人生になりませんように。

5-1
最近はスクリーニング的に評価を行っているので割合が増えてるのも有ると思われます。自治体に寄りますが、私の住んでいる自治体では専門的知識の薄い市の職員(講習を受ければ得られる程度の資格)がチェックシートを使い評価を行っていました。その評価をもって支援学級に通う事になった子を数人知っていますが、通う必要の無いと思われる子も混ざっています。
評価運用の方法を十分に考えないと危険に感じます。人、一人の人生がかかってるのですから。
5-2
認めて直ちに取りかからないと極めて高い確率で、将来不利益を被る可能性。社会生活を送ることが極めて困難な事態に直面することが否定できない層にのみ重点的に対応すればいいのでは。コロナと同じ。かかったら重症化しやすい層を重点的に対応する。という案にはほぼみんな賛成なのに、全く同じ発想を発達障害に当てはめると途端に思考停止して、極めて重くなくいわゆる軽度な人たちにも手厚いサポートをやろうとする。

結果として医師や病院や専門家は極めて重い層への対応ではなく、軽度な人に時間を割かれて、重症化しやすい重い発達障害を持つ人が軽視や素通りされる。

まずは、教師が自己診断した層の何%が本物の発達障害なのか。そのうちの何割が将来自立不可能な程の支援を要する人なのか。そこにのみ焦点当ててやればよい。

5-3
> 発達障害は先天的なもので、脳のつくり的な部分が健常者と少々異なるため、
子供は保育園0歳から入ってましたが発達障害児です。
どちらかといえばSSTのようなものを集団生活の中で多少獲得できたからか、他害はなく周りとのトラブルも発達障害と呼ばれる中では少ない方と思います。返信ありがとうございます。
きっといい保育園だったんですね。
保育園が自然と療育という意味にもなり子にとっていい環境だったんですね。
我が子は幼稚園に入ってから気付き
年少から療育に通って一年経ちます。
早いうちから集団に入れてあげた方が良かったのかと罪悪感でいっぱいになります。

5-4
ちなみにこれ文科省のHPから
はっきりと医師の診断によるものではない。と明記してる。はっきりいうと専門知識のない素人が独自主観に基いてやりましたと明記してるのに、マスコミは文科省の裏付けあるような報道する。こんなインチキな数字無視していいのに。平成24年に文部科学省が実施した調査では、通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある児童生徒は6.5%。

(注)この数値は、学級担任を含む複数の教員により判断された回答に基づくものであり、医師の診断によるものではないことに留意が必要。

5-5
認めたくない、辛い親の気持ちは分かるが、それが子の将来に本当に為になるのか?ということを第一考えるべき。
これは性格だ、個性だと思うことにするのはいいが、子の適正にあった将来を考える、子にとって何が一番必要なのかを見ないとね。
親は子よりも先にいなくなるんだし
5-6
発達障害の子供たちへの特別支援は、勉強ももちろんやりますが、それより大事なのはコミュニケーションについての学習です。相手に嫌なことをされた時に、暴力を振るったり倍にして仕返したり、突然学校を休み家に引きこもったりしないように、なんと言えば、相手に伝わるのか、どんな行動を取れば相手に嫌な事を言われないのかを学んだります。
当たり前の事を、時間をかけて、静かな少人数の場所で行うととても効果があります。
5-7
これ絶対夫婦間でも揉めそう。早くから早期療育させたい母親とそんなもんに、いちいち目くじらを立てるのを嫌がる父親で分かれる。ぐうの音が出ないほどの証拠があれば父親も大半は納得するが大半はない。私なら複数の病院と医師に診断させて、それ以外の判断では導けない。それ以外では説明できない。

放置しおくと将来自立することが不可能な事態になることが極めて高い確率で予想される。っていう動かざるを得ないほどの圧倒的な証拠が出てから初めて療育とか療養とか検討させるけど。大半は何も考えずコンビニ行く感じでやるんだろうな。

早期療育って一言でいうと「脳の書き換え」親のエゴで安易にやるのは人権侵害そのもの。

5-8
発達障害というネーミングが、誤解を招くのかと。
発達障害があっても、一つのことに卓越していて6大学に行った教え子が2人いました。
自分の特性、苦手な事、小さい頃から訓練していたおかげで、今は自分に合った職場で働いています。高所得ではないけれど、毎日が楽しいと言っていて、あの時、保護者の方に声をかけてよかったと思いました。
5-9
>特別支援教室や、医療機関への受診をすすめられる保護者の中には、もう少し様子を見たいと言う方がいます。私の事かなって思いました。
息子が担任の先生に発達障害だと言われ、医療機関等の受診を勧められました。いわゆるグレーみたいな感じで程度としては軽度なんだと思います。今でもそうですが、認めたくないんですよね。これは病気じゃなくて性格だって。第三者の立場ではないから非常に難しいでよ。

5-10
>発達障害への差別をなくすことと理解を進めることが第一だと思う。
差別がある限りは、隠そうとする人、診断されるのを恐れる人が出てくる。差別がなくなっても、区別はされると思われる。
その区別を「差別だ」と言う者も出てくるだろうし、区別されるのも嫌だと思う人もいるだろうから、隠そうとする人はなくならないのでは?


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