国営諫早湾干拓事業(長崎県諫早市)をめぐり30日、福岡高裁(西井和徒裁判長)は、潮受け堤防排水門の開門命令を無効とする判決を言い渡した。干拓地の農家や、堤防が持つ防災機能の重要性を訴えてきた地元住民は、歓迎の声を上げた。裁判に翻弄されてきた地元関係者が、思いを語った。(村上智博)
■弁護団に振り回されている
「今回の判決で、住民の悲願だった安全・安心な暮らしが実現できる」
諫早市自治会連合会の古賀文朗会長(78)は、災害に悩まされてきた過去を振り返り、しみじみと語った。
堤防閉め切り前、諫早では数年に1回、市内を流れる本明(ほんみょう)川などが暴れ、水害が発生した。「高潮と洪水は諫早の宿命だった」という。
昭和32年に発生した諫早大水害では、500人を上回る死者・行方不明者を出した。「床下から迫り来る水は恐怖だった。部屋のカーテンを破ってロープ状にし、隣の家の屋根に逃げようとしたところで、水が引き出した」。鮮明に覚えているという。
平成9年、全長約7キロ、高さ7メートルの潮受け堤防が完成し、高潮や水害の危険性は低減した。
堤防内側の調整池(約2400ヘクタール)は、干拓地やその後背地で洪水が起きないよう、ダムのような機能を持っている。
古賀氏は、諫早干拓事業が持つ防災機能を熟知しているだけに、開門には絶対反対だった。
「潮受け堤防ができ、高潮被害はなくなった。排水も改善され、洪水被害もほとんどなくなった。諫早市民の悲願だった安全・安心な暮らしが実現できたのです。排水門を開けるなんて、冗談ではない」と強調した。
堤防閉め切り前、諫早市内には雨水などを川や海に流すための水門が、各所にあったという。
「水害を防ぐため、見張り役が始終、開け閉めをしていた。危険な作業ですが、こうした水門の開け閉めも、今はできる人はいないんです」
ただ、開門派は今後も法廷闘争を続ける可能性がある。
「諫早市民の思いや、これまでの経緯を、原告側の漁業者は知らないのでしょう。弁護団に振り回されているとしか思えない。開門すれば有明海は何とかなるというのは、妄想です。今回の判決をきっかけに、原告団には『自分たちは間違いだった』と気付き、考え直してもらいたい」
■「漁業者VS営農者」じゃない
「期待はしていたが、正直ほっとした」。干拓地の農家、荒木一幸氏(41)は、福岡高裁判決に安堵(あんど)の息をついた。
「農業で生き残るには、大規模経営しかない」。熊本・天草から10年前、営農が始まったばかりの干拓地に入植した。一番の古株であり、諫早湾干拓環境保全型農業推進協議会の代表を務める。
36ヘクタールの土地で、加工用キャベツを年2400トン作る。ここに来るまでは大変だった。
土は粘り気があり、日照りが続けばガチガチに固まった。土の改良に、大量の草をすき込んだ。草は積み上げると、家の天井の高さにもなった。「設備投資に億単位をかけた」という。
土には苦労したが、水の条件は良かった。潮受け堤防と干拓地の間に広がる調整池の淡水を使う。畑には約30メートルおきに蛇口があり、「ひねれば必ず水が出る。水不足にはならない」
それだけに、開門を命じた平成22年の高裁判決はショックだった。
開門すれば調整池に海水が入る。台風などで強い風が吹けば、干拓地に塩水が吹き飛び、塩害で土地も水も使えなくなる。そんな可能性がある。
「その判決を菅直人首相(当時)がうのみにして上告せず、確定させた。あの行動から、開門をめぐる問題がごちゃごちゃしたんです。国の事業で営農したはずなのに、国に裏切られた気持ちだった」
その後、政権交代があり、政府は、開門せずに和解を目指す方針へ舵を切った。この対応に安心した。
メディアの一連の報道にも不満がある。
「『漁業者VS営農者』という単純な構図で報じてきた。多くが開門派に立ち、その結果、営農者を悪者のように報じてきた。私たちは何も悪くはない」
「開門派は不漁になったのは全て、堤防閉め切りのせいだと決めつける。だったら、ノリ養殖で使う酸処理剤の影響はどうなのか。国は、原因追及を進めてほしい」と語った。
ただ、開門派が引かない限り、問題は尾を引く。
「有明海が再生すれば、私たちの考えに、漁業者も納得するでしょう。農業も漁業も日本の食を支える産業です。こうして争うのはおかしいのです」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180730-00000569-san-soci
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