「どの時代であれ許されない」北海道帝国大(現北大)理学部の男性教授(故人)が1930年代、旧満州(現中国東北地方)で旧日本軍が捕らえた中国人から摘出した睾丸(こうがん)を使い、染色体を観察する実験を行ったことが、北大図書館の保管資料などで分かった。
男性教授は日中戦争開戦直前の37年6月、実験結果を基に論文を米国の科学誌に寄稿しており、専門家は「被験者の承諾がなく、どの時代であれ許されない人体実験だった」と指摘する。
戦時下の大学の研究者による人体実験を巡っては、九州帝国大医学部で45年、米軍捕虜を生きたまま解剖し、殺害したことが分かっている。道内の大学研究者による人体実験は、ほとんど知られていなかった。
男性教授は小熊捍(おぐま・まもる)氏(1885~1971年)。生物学や遺伝学が専門で、30年に北大理学部教授に就任。37年から6年間は理学部長を務めた。
資料は小熊氏が39年に行った講演の速記録「人類の染色体」。旧厚生省発行の「民族衛生資料」に収録された。当時、染色体は遺伝を担う存在として注目されていたが、まだ人間の染色体の本数も分かっておらず、盛んに研究された。
小熊氏は講演で、遺体や病人から摘出した睾丸は染色体の観察に向かず、若く健康で生存している男性の睾丸が適していると指摘。「匪賊(ひぞく)(抗日武装勢力)を材料にしたらどうだろうか、どのみち匪賊は殺してしまふのだから」と述べた。
満州・奉天(現瀋陽)に渡り、軍に協力を依頼したところ「非常に良い材料を手に入れる事が出来たのであります。捕へた匪賊の一人です」と説明。得た試料によって染色体を明瞭に観察できたとして「匪賊を一人犠牲に供しました事は決して無意義ではありません」と語った。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00010000-doshin-hok
みんなのコメント
匪賊を一人犠牲に供しました事…
そもそも匪賊とは何者か?
匪賊と中国人の関係は?
匪賊と日本人の関係は?
欧州でも医学の為に罪人を解剖した事例はいくらでもありますね
さて匪賊とは何者でしょうか?