アナウンサーの渡辺真理さん(51)は4年前、父の半三(はんぞう)さんを88歳で亡くしました。現在は母、美智子さん(86)を自宅で介護中です。計18年に及ぶ介護の経験から「人生の終盤こそ幸せであってほしい。介護職の方々が強い味方になってくれています」と話します。
1998年12月、母と2人で外出し、帰宅すると、父がベッドで横になっていました。様子が変だと感じ、部屋を見回すと、ドアのはめ込みガラスが割れていました。父が転んだのだと察しました。
私たちの問いかけに、父は「大丈夫」と返事をするものの、ろれつが回っていません。救急車で総合病院を二つ回ったのちに、脳神経外科医院に搬送されました。
小脳の脳内出血でしたが、院長の夜通しの手術で、父は一命を取り留めることができました。
父が倒れた衝撃 使命だと受け止め、それに応えようと…
《半三さんは祖父が創業した会社を経営し、美智子さんは航空会社の元客室乗務員。一人娘が生まれたのは、それぞれ41歳、35歳の時だった》両親は、私が幼い頃にも赤ちゃん言葉で話しかけることはありませんでした。
当時としては年を取ってからの子どもだったので、親子一緒に過ごせる時間の短さを意識し、自立心を育てたかったのでしょう。大学受験も就職も、TBSを退社した時も、事後報告でしたが、父はいつも娘の判断を信頼してくれました。
大黒柱の父が倒れたのは、それまでの人生で最大の衝撃でしたが、一番つらいのは父自身のはず。父が私を信頼して課した使命なのだと受け止め、それに応えようと思いました。
父の入院はフリーのアナウンサーとして新しい番組に移った時期と重なったため、夕方に出勤し、深夜に帰宅する日々が始まりました。
東京都内に借りたマンションで仮眠をとった後、午前中に1時間ほど車を運転して横浜市内の病院へ。途中で母と自分の弁当を買い、洗濯物があれば実家で済ませてから、テレビ局に向かうのが日課でした。番組の先輩や同僚も、この状況を理解し、支えてくださいました。
介護保険制度がスタートした2000年4月、父は退院し、自宅へと帰ることができました。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180718-00010001-yomidr-soci
みんなのコメント