金ピカ衣装で「おぼっちゃま」キャラを貫き、赤いハンカチをかみ「すまんのぉ~」。ほら吹き漫才の第一人者、漫才師横山たかし(本名・山高考)さんが1日午前3時ごろ、
大阪市内の病院で亡くなっていたことが2日、分かった。70歳だった。昭和の上方演芸界を代表した漫才師、故横山やすしさんの弟子。
たかしさんは昨年1月、腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)の手術を受け、療養した後に、同5月の興行で車いすながら、舞台復帰していた。
復帰後も、足や腰のリハビリを継続。親しい関係者によると、その後、再び腰の痛みなどを訴え、治療を続けたが、再起はならなかった。
最後の舞台は、昨年12月24日、大阪・阿倍野でのイベント出演だった。
たかしさんは48年10月6日、愛媛県生まれ。同じ愛媛県出身の相方横山ひろし(72)と68年にコンビを結成した。故やすしさんに師事し、駆け出し時代を「数えきれんぐらい殴られた」と振り返ったことも。
当初は、たかしさんが女性を演じた「おかまどつき漫才」で個性を確立したが、後に路線を変更。たかしさんが「大金持ちのおぼっちゃま」「藤圭子が愛人や」などと、荒唐無稽なホラを吹くネタが受け、独特の漫才スタイルを築き上げた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-06020230-nksports-ent
ネットの反応
莫大な財産の相続が大変やな。
最後に見たのは4年ほど前の角座やったなあ。
金色の車椅子も近場で見ると張りぼて感満載でワラけた。
昭和の漫才師が消えていくのは寂しいです。
楽しませて頂いてありがとうございました。
お悔やみ申し上げます。
「生きいよ」って言ってたのに亡くなったか…
本当の大物がいなくなるのは寂しいなぁ
アメトークで披露されていた、分けるはずのお金持ち逃げからのみんなで無視エピソードが印象的で面白かったです(^_^)
ご冥福をお祈り申し上げます。
ご冥福を。っていうかひろしさんの方が年上?
次は我が身だな
ご冥福をお祈り申し上げます。
本当に、人を純粋楽しませる良い漫才だったと思います。ウーマンなんとかもこういう漫才こそ見習えよ。権力批判するのは芸を確立してからだよ。
関係ないがやすし、きよし師匠が吉本なのに、この二人松竹なのなんでなんだろう?
「すまんの~う。生きいよ」と言っていた師匠が残念です。
僕にはたかし師匠が俺は浪花の漫才師と思える人でした。
ひろし師匠は辛いでしょうね。あの世でやすしさんに来るのが早いんじゃとハンガーで叩かれているのかな。合掌。
子供の頃から拝見させていただきました。
あの口調の面白さと人の良さが現れているのが、子供ながらに感じていました。
復帰を願っていただけに残念です。
痛みに耐えるのは大変でしたね。
天国でゆっくり休んで下さい。。
舞台ではいつも笑顔で、愛機のあるホラ吹き漫才は、観ていて面白かったです。
やすし師匠と談笑されてるかも知れませんね。
ご冥福をお祈りします。
いろんな病気があるもんですね。腸腰筋膿瘍とか聞いた事が無かった。
笑えんな…合掌
大好きだったのに!毎回同じ流れの落ちなのに、いつも大爆笑。ご冥福をお祈りいたします
すまんのぅ?
(´・ω・`)
合唱
葬儀が終わるまでおぼっちゃまカラーを貫いてる。
めっちゃカッコいいホラ吹きおっさんやん?笑
純金の車椅子芸も見たかったなぁ!
えー!たかし師匠そんなに若かったんですね!もっといってるかと思ってました。南無阿弥陀仏。
見ないと思っていたら。。。寂しいです。
この人初めて知りました。
温かい笑いをありがとうございました
本当におもしろい、よい芸人さんでした
あの漫才が聞けない寂しさはありますが、今までお疲れさまでした
金箔で覆われてた豪華な棺で焼かれて埋葬されてや~
ひろし?すまんの?
合掌
まじですか・・・・
また、一つ大阪の名物が、なくなりました。
さみしくなります。
ええとこ、お参りしてください。
なんか一瞬桂、桂三枝と見えた!
昭和の漫才がまた終わった…
不謹慎ですが、訃報にも関わらず芸を思い出すと笑ってしまいます。いつまでもテレビで流してください。ご冥福をお祈りします。
医者やのうて石屋に行ってしもたんや
ありがとうございました。。
ごゆっくりお休みください♪
吉本じゃなかったのか。
名漫才コンビでしたね。 ワンパターンなのにいつも大笑いさせていただきました。 私は「わしはな、いしゃのむすこや~」が「医者じゃなくて石屋の息子や~」のオチが好きでした。お年寄りから子どもまで笑わせてくれる漫才コンビが一つ終わったと思うと親戚を失くしたように寂しく悲しい。
今までどうもありがとうございました。痛みが辛かったようですがゆっくりとおやすみください。 心より御冥福をお祈りいたします。