【重版も決定】平和教材から『はだしのゲン』削除、漫画本の売り上げが10倍にhttps://t.co/mV4jv5ap7o
中央公論新社は「(削除される方針の)報道を受けて、昔読んだ人がもう一度読みたいと考えたり、子どもや孫に伝えたいと思ったりして購入しているのではないか」と話す。 pic.twitter.com/2ZacxEvsQZ
— ライブドアニュース (@livedoornews) May 18, 2023
「はだしのゲン」、教材削除で売り上げ10倍 第1巻の重版も決定https://t.co/z84z9QP0X9
中央公論新社によると、削除方針が報道された2月、中公文庫版「はだしのゲン」1巻の、全国書店での販売数が、通常の月の約10倍になりました。3月も同じ売れ行きで、同巻の重版を決めました。
— 朝日新聞コブク郎 (@asahi_tokyo) May 18, 2023
ネットの反応
30年以上前に広島に短期間住んでいた当時の学校の平和学習は生々しく恐ろしかったです。学校が遺体安置所だった事を聞き、雨の日にトイレに行くのが怖くなりました。
でもその恐ろしさ知った経験は大切なものだと思う。
その後阪神大震災で被災し、当時聞いたような話が身近に起きました。
戦争と地震災害を並べて語るのはおかしいかもしれないけど、自分の身近で死と隣り合わせの事が起きてもおかしくなく、平和に暮らせる事がいかに尊いかを子どもの頃からしっかり学ぶのは大切だと思います。
「平和に暮らせることがいかに尊いか」から一歩進んで、これからの子どもたちには「いかに平和な日常を守るか」を考えて欲しいなと思う。ただ日々に感謝するのでなく、「戦争が起きないために何をするか」「災害に備えて何をするか」が大切な世界になると思うので。
子供のころに連載を読んだ。あまりに悲惨なのとそうなんだろうなという納得感と入り混じった感情があった。ただ、はだしのゲンは、戦争野惨禍のみを表現したものではない、そこから、たくましく生きていくゲンの姿を、多少ユーモアを交えて描いていく。そんなに深刻に構えなくてもよい漫画だったと記憶している。
私も子供の頃、はだしのゲンを読みました。
勿論、怖いなと思う部分もありましたが、結局は漫画・・・と思っていました。
しかし、原爆資料館やテレビで映像をみるたびに、漫画のほうがマシな表現だと感じるようになりました。
残酷すぎるという親は、自分の子どもに戦争の悲惨さを知ってもらいたいとは思わないのでしょうか。実際に戦争を経験することのほうが残酷なんだと気づいてほしいです。
広島市出身で毎年夏休み登校し体育館でハダシノゲンの映画を見ました。
音も大きく毎年怖くてトラウマでした。
絶対に戦争は嫌だと子供の頃から学習するのは大事な事だとは思いますが。
恐ろしさを知り、平和の有り難さは当たり前では無く多くの努力の上に成り立っていると大人になって改めて思います。
日本であれば災害、世界に目を向ければ何処かで戦争や内戦が絶えないのが今の人類の現実で、近年はミサイルや領海侵犯など日本も無関係で居られない状況から、突然緊迫した状況に変わる可能性もある。平和な時代が長く続く様に出来る事は、有権者という立場から、各々も考えないといけない。
誰だって大事な人が傷付くのは嫌だ。
そう、戦争は恐ろしいものなんですよね。
それを実感として感じることは本当に大切なこと。
子供を無意味に怖がらせているのとは違うのに…。私も小三の時の担任が平和教育に熱心な先生で、授業で関東大震災や原爆の被害者の生々しい写真を見せられました。
背中に赤ちゃんをおぶっていたお母さんの、背中だけが白く残った丸焦げの遺体と、そばに転がる同じく丸焦げの赤ちゃんの遺体…。
3年生には早すぎるとクレームも入ったようですし、私も本当に怖くてトラウマになりましたが、トラウマになるくらい恐ろしいことが現実に起きるのが戦争なんですよね。
なので私にとってはとても大事な体験でしたし、そのトラウマこそが大切だと今は思います。
はだしのゲンの物語には、戦時体制真っ只中の憲兵が、善良な庶民をも暴行におよぶ不条理や、当時の軍部が暴走した挙句の大政翼賛賛美に逆らう描写も含んでいたからね。
現代の、右傾化、再軍備を止められない世論を見れば、平和学習から排除されてしまうのも、さもありなん。
シンプルに、あの時代に苦労した日本国民を描いた名作だと思うけどね。
50のオレも学んだよ
漫画は読んでないけど子供のころ
映画をみせられた
衝撃的だったの覚えてる
自分ら50過ぎのおじさんでも子供の頃は入学式や卒業式のたびに、、
「あなたたちは戦争を知らない世代です」ってよく言われたっけ。機会があればもう一度見てみたいです…
息子が5歳の孫に、この映画を見せたらしい。
それから何かにつけて、爆弾がどうのと怖がる様になってしまった。
なぜこんな自虐的な映画を、5歳の子供に見せたのと注意した。
まだドラえもんやアンパンマンの方が、孫には向いている。
小さいころから、こんな映画なんか見せると、悪影響しかないよ。
安倍さんがよく口にしていた、戦後レジュームからの脱却。
いい加減自虐主義は止めようよ。日本国民として誇りを持つことが大切。
小学校の時に図書室に置いてあったのを全巻読んだ者の立場から言わせていただくと、
「子供達が是非とも読むべき本だとは思うが、学校教育の現場で、平和教育の一環として『子供達に読ませる』のは違う」
というのが個人的な見解。内容のグロテスクさもあるけど、何よりも「創作物に対する感性は人それぞれ違って当然で、感性は強制できないから」というのが最大の理由でもある。
実際に読んで「平和の大切さを訴えるべき」という結論に至る人もいるかもしれないが、実際に、読んだ人で「こんな酷い事をしたアメリカが憎い。アメリカに復讐するべき」という、作者も意図していなかった結論に至った人もいるわけで、そこをコントロールする事など、まず不可能でしょう。
最初から「結論ありき」の平和教育の教材として「読ませる」のは違う。
読むなら他の創作物同様、本人の自由意思でというだけの話。
配給もろくになく、お腹に赤ちゃんがいるお母さんの為によその池からコイを盗んだんだよ。
最初激怒した飼い主も事情を知って見逃してくれた。
げんもしんじも姉ちゃんもお腹を空かせていたけど、お母さんに食べさせた。
その時、幼いしんじが空腹に耐えかねて、後で魚の骨ちょうだいって耳打ちしたら、お母さん泣いちゃうんだよね。
とても大事なシーン。
削るなんてとんでもない。
盗むという事より、身重の母ちゃんがなぜ腹を空かせてるのか?なぜ、主人公も含めて腹を空かせる事態になってしまっているのか?そこを感じ取ってほしい。
半ノンフィクションなのだから、現在と違って当たり前。今には相応しくない内容もあるかもしれないけれど、あの頃の状況を知れる貴重なものだから、現代用に置き換えたりせず語り継いで欲しいけどなぁ。
有識者からの指摘で鯉を盗むシーンが削除か。
的を得てない感が半端ない。
そのうちルパン三世も何も盗まないように有識者によって改悪される綺麗事だらけの世の中が来るのかな。
この作品の面白いところは大人になると当時の国の動向や軍部がどう考えてたかとかを学ぶ機会ができるから、そちらと当時の異端思想側である市民の視点からどう見えてどう感じていたかの視点の違いも感じられるから面白い
はだしのゲンはたしかにインパクトの強いシーンが多く、そこだけ切り取ると子どもの教育に悪い場面(窃盗、殺人、下品なシーンなど)があるけど、それもこれも全てその時代に起こった事なので、カットなどしなくて良いし汚いモノに蓋をしてはならないと思う。綺麗な物ばかりを見せられた子どもは現実に起きた汚い物事を知らずに育つけど、果たしてそれで良いのか‥。
はだしのゲンの漫画やアニメを見てトラウマになった。と言う人が多いけど当たり前ですよね。
広島と長崎で実際に起こった戦争の出来事を記録した作品なんですから。
人の情けと親の心情を端的に表するよいエピソードだった。
自分が親になってから、このときの母ちゃんの心情を察するとかなりくるものがある。
何が辛いって生まれてきた子も程なく亡くなるというのがなぁ…
昔はあったと聞きますよね……うちの祖父が農大生で結婚相手になっていた祖母にかぼちゃだか芋の苗をあげたんですよ
どこからもってきたのかはしりませんせども
曾祖母は庭に植えてお世話したら腕が良かったのか結構なりまして、配給なくて困った時にご近所さんに配ったりもして感謝された話聞いたことがあります。
特にお腹が大きい人には多くわけたって
だからうちの家にその人がお礼にって持ってきた着物がありました。
あと空襲が酷くなった時に火を蔓延させない為にって、酒蔵がお酒を捨てることになった時に祖母達がからの空きビン持って行って分けてもらったとか
名目的には捨ててるフリしてとか。
あのころはあのころの暮らしがあったんだよ
今何も無いから言えるだけで、ミサイル飛んできたり何かあったら分からないよ
ガラス屋さんのエピソードもかなり切ない地雷で片足を失ってなかなか仕事が取れないガラス屋の職人の男性の仕事をつくるためにゲンがそこらじゅうの家の窓ガラスに石を投げて割っていく。ガラスの材料費などが払えなくて借金がかさんでいっていたのが注文が急増してこれで一息つけると安心していたら、実はゲンが自分を助けるために窓ガラスを割っていたのだと知る。
窓ガラスを割った犯人としてゲンは両親からこっぴどく叱られたがガラス屋の主人がゲンの家を訪ねて真相を知る両親。
ゲンがやったことは、他人様の家に迷惑をかけるとても悪いことなのだが、その理由を聞いたゲンの父と母はやったことは叱り、その心意気は褒めていたな。
こんなエピソードも子供のしでかした悪戯を助長するから問題視するのか?
鯉を飼っていたお屋敷のあのオヤジさんは鯉を譲ってくれる時に「死んで化けて出てこられたらかなわんからのう」とか、お化けの真似をして手を前に持ってきておどけて見せたり、いい人だった。
今の時代に合わせる必要なんてないのにね
昔の話なんだから合わなくて当然
実際に自分たちの先祖が体験した話なんだから
過去を無いものにしてはダメだと思う
その辺の判断に誰か忠告できる人はいなかったんだろうか
教科書に漫画「はだしのゲン」を含めることによる問題点は次のように概括できます。1つは、漫画の表現が過激であり、原爆投下や戦争の悲惨さを描いているため、教育現場での受け入れに懸念があります。また、漫画は作者の個人的な視点や体験に基づいており、歴史的な客観性を欠いています。さらに、漫画には特定の視点やメッセージが含まれており、教科書に含めることで学生たちの認識や意識形成に影響を与える可能性があります。教育は客観的で多様な情報を提供し、学生たちが自ら考える力を養うことが求められます。以上の問題点を考慮して、教科書の選定は慎重かつバランスの取れたアプローチが必要です。
最も印象的なのは、焼けただれて剥がれた皮膚が指先から垂れ下がり、それを引き摺らないように両手を前に出して歩く人々の群れ、地獄の光景です。その場にはカメラがないから写真も映像もない。人類史で唯一の核による地獄の光景の記録です。アメリカ映画でときどき核爆発がありますが、全く軽く描かれていますね。今の技術なら、はだしのゲンのリアルな実写版が作れますね。あの地獄の光景をリアルに再現すれば核の抑止になると思いますよ。
コメ主の言わんとする事は大変もっともで、その通りだと思います、自分も大人になってから読みましたが、ショッキングな表現があり、子供が読めば恐怖を覚えてトラウマになるかもしれません、でもそれでも読むべき作品です、これは世界中の子供達に読んで欲しい物語です、教材から外れるなら、授業中に先生が一言注釈を加えて「みんなもし良ければ読んで下さい、図書室にあるから」と言えばいいのではないでしょうか。
>漫画の表現が過激であり、原爆投下や戦争の悲惨さを描いているため、教育現場での受け入れに懸念があります。>教育は客観的で多様な情報を提供し、学生たちが自ら考える力を養うことが求められます。以上の問題点を考慮して、教科書の選定は慎重かつバランスの取れたアプローチが必要です。
言っていることの矛盾に気が付かないのだろうか。
「臭い物には蓋」って、言ってる様なもんだ。
鯉について懸念を示している識者にも「そこでは無いだろ?この物語の論点は。」と言いたい。
何故そんな事、こんな事になったのか?じゃないのか?
どんなふうにはだしのゲンを引用していて
なぜ削除をしたのかを調べたほうがいいと思います。はだしのゲン自体は(一部を除き)図書館等で生徒が読める
ことは引き続き変わらないと思います。(いまのところ)
今まで良かったものを外す理由がコメ主のコメント通りだったら日本の歴史、真実なんてフェイクだらけにならないか?
真実を曖昧にして考える力を養うより
真実に直面して考える方が良いと思うが。
どうなんでしょう?
過激️
過激で有るからこそ、ソレを見て戦争は悲惨なものだと感じる事が大切だ思いますが。
過激??? それが戦争の現実なんじゃないの? だからどんな理由があっても戦争はいけない。
そもそも教科書に載ってたわけじゃないっての。
AIにでも答えさせたかのような文章
そもそもコイを盗むや歌ってお金稼ぐシーンしか教科書に載ってないからコメ主の見解は検討違い。
コイを盗んでも原爆の悲惨さは伝わらない。
逆に伝わらないから同じスペースで伝わる内容に変えるだけだよ。
40年以上前の小学生の頃、友人の家で何気に漫画だからと読みましたが、
衝撃でした。今でもその時の衝撃は覚えています。
恐ろしいけれど引き込まれて読み続けました。核の悲惨さは実際に体験しない人には想像を絶するものです。
この事実をもっと世界中の人に知ってもらいたいです。
核の脅威が身近になりつつある今、核を落とされた後の人々に暮らし、社会を想像できる人が多くなる事で少しでも核の抑止力へとなるのではないかと。
24ヶ国語に翻訳されているそうですが、政府が買い取ってもっと多くの言語に翻訳し無料配信されたら良いのに。難しいか。
中盤から最後にかけて、反戦ではなく反政府、反天皇制が主題の漫画を政府が世界に配布するわけないでしょう。
なるほど、なにしろ読んだのが大昔だったので後半部分の記憶がありませんでした。
確かにないですね。
無料配信は諦めるにしろ何かしらの方法で広まって欲しいです。
>>中盤から麻生太郎が絶賛してたが?
学校に置いてあるからこそ、気軽に手に取り、軽い気持ちで読めた(実際は結構重い)けれど、家でじっくり一人で読むとなると…
精神的に参ってしまいそうな内容ではある。これからも明るい学校に置いてて欲しいな。
読んで気持ちが沈んでも、チャイムが鳴ったら切り替えて、のびのびしながら戦争と平和のことも少しだけ考えて欲しいな。
小中学生に気軽に手に取れる存在であって欲しいなと、広島県出身のオバチャンは思っております
埼玉の中年です。1994年の小6の時、地元が新興住宅の増加で新たに作った小学校に転校となったのですが、この学校の図書室にはだしのゲンが置かれ、貸し出しでは中高学年の一番人気でした。
いつも全巻が出払っていてなかなか読めず、たまに戻って来ていた巻を昼休み同級生数人で読んだりしましたが、戦争の様々な生々しさは刺激的なのと、私は戦争経験者の祖父母も同居の世帯だったので、彼らの話とこの漫画に通じる部分を感じました。
わかります。
10歳違いのいとこの家にあって、母が帰省するときにいとこ宅に泊まって借りて読んでました。
当時は何も知らない少女だったので、戦争を教えられた最初の教材です。
当時、自宅にあったら怖くて手にとらないと思います。
期間限定だったからこそ、いとこ宅ではずっと読んでましたね。
そして、その内容も、ずっと記憶に残っています。
筆者に思想があるということは、大人になってから知りましたが、作品とは切り離して考えてほしいです。
子供だからこそ、さほど考え込まずに「こんなことがあったんだ、怖っ」程度で読めるんだと思う。
漫画としてよくできているから、何度も読めて刷り込める。
子供の頃、学校にも児童館にも置いてあって散々読んだけど、今は手に取れない。
でも、原爆の悲惨さはしっかりと覚えている。
家に30年前に買って全巻ありますけれど、何度もも読みました。戦争って怖いなぁと思いましたけど、それとは別にゲンが強くたくましく生きていく姿に勇気付けられました。昔、自分が挫けそうになってその時の状況が何ともチッポケなことで悩んで苦しんでいる事が、このマンガの中のゲンの境遇に比べたら大したことではないと生きていくのに挫けそうになった時に何度も読んで勇気づけられたマンガでした。
確かに学校や図書館に置いてあるから何となく手にとって読むのですよね。
かくいう私もそんな出会いでこの漫画を読んでいました。大人になった今でも内容の端々を思い出すことが出来る程に衝撃的なものですが、だからといって子どもの目に触れさせないでおこうというのは違うと考えます。
今は広島、長崎以外の学校では原爆や平和学習がかつてほど熱心ではないと聞きます。
この漫画にはそれのきっかけとして残り続けてほしいものです。
小学校の図書室にありましたよね。最初は漫画だと思って軽い気持ちで読んだら、あまり生々しい内容に恐ろしくなりました。ただ、不思議と引き込まれて読んじゃうんですよね。その後の戦争教育で白黒の写真を見て、より戦争の恐ろしさを感じたものです。
テーマがテーマだけにどうしても原爆投下直後の
酸鼻を極めた状況の描写ばかりがクローズアップされがちで
そこの部分が批判する側の燃料にもなってしまうんですが
実際読んでみると、当時の生活や広島の子供たちの遊び、
戦中戦後を苦しいながらもたくましく明るく生きようとした
ゲンたちの様子が克明に描かれている素晴らしい作品
若干イデオロギーが偏っているかなと思う箇所を
割り引いてもそこは間違いない
ギャグ漫画としてもバイオレンス漫画としても一級品
私も学校の図書館で借りて読んだ記憶があります。
中学の時は担任が社会科だったので、教室の隅にも置いてあったような気がする。
いつでも目に触れる状態にしておかないと、子ども自身がわざわざ購入して自宅で読む事って、まず無いと思う……。
2014年に戦後70周年記念、りぼんプロジェクトの
絵本「続、戦争のはじめかた。」を
子供がおこづかいから購入していて、子ども部屋に置いてあった。タイトル見ただけで、中身も読まずに
子どもに
「戦争なんかはじめるものではない」と叱った事があります。
しかし、ロシアとウクライナの戦争が始まり、巻き込まれた場合、どう生きるか?
どう捉えるか?と言う思考は
いつの時代も必要だと戒心しました。
奢っていたのは平和ボケした
大人なのかもしれないですね。
精神的に参ってしまう内容は数あれど、個人的には画家の男性が被爆して全身に大火傷を負ってしまい、同居していた兄家族から邪険に扱われて介護されずに放置されていた話かな。
子供ながら家族の絆について考えさせられた記憶がある。
被爆者は被害者である前に加害者であると認識すべきだ。真珠湾攻撃で亡くなった若い米兵やその遺族の無念さを思うとアメリカの原爆使用は当然の権利だと思う。プーチンが脅しで言ってる核使用とは根本的に違う。