阪神の震災から概ね30年、東日本も一回り。
何時までも後ろを向いてちゃ駄目だって正論は良く解る。被災関係者や遺族にとっては埋まらない心の大穴。周りとのギャップと、風化して行く様は関係者としては正直辛い。
ぼやける目的 震災伝承施設に警鐘 2023年3月11日 https://t.co/7utloDGTeh
— himajin (@imajin15) March 11, 2023
ネットの反応
宮城県在住の者です。幸い津波の直接的な被害はうけなかったものの3.11経験者です。
この時期になると、地震と津波の悲惨さを忘れない為か、被害とその後の苦労を語る番組や記事にあふれます。終戦の日に似ていると感じます。でも、地震は天災。戦争と違って、人の力では防げない。いくら反対を念じ祈ってもまた来ます。
必要なのは、また来た時どう命を守るか、原発事故をどう防ぐか、地震後に被災地はどんな対策を行い、まだ不足している所、改善すべきは何なのかを人々に知らせる事だと思います。
私は、3.11は、関東圏で経験…
正直…東日本地震が衝撃すぎて、テレビでやらなくても、あの時…と思い出します…
でも、他にも長野、新潟、福島でも大きな地震があったと思いますが、そこでの被災の状況をテレビで取り上げないのは、視聴率しか考えないメディアによって、記憶を刷り込まれている気がします…
出来れば、視聴率抜き、後追いでも良いので、日本全国で地震が起きた被災地での復興映像等を、ながしてほしいと思いますね…
そうですね。今度同じ災害があったときに、同じ被害を出さないのが目的ですよね。残念ながら、3.11が近づくと、日本のマスコミは被災した個人の「お涙ちょうだい話」を掲載し、未来への警鐘が薄らいでしまっています。本人らは辛いでしょうけど「今も亡き妻のことを考えています」みたいなドラマ仕立ての記事は新聞やニュースではなく、書籍かドキュメンタリーでやってもらいたい。
仰る通りですね。
私は阪神淡路大震災の経験者ですが、同じ様に感じています。こういったものは、様々な理由から時間が経てば風化していってしまうのは致し方ない事です。
そんな中で、後世に残なきゃいけないものは教訓。そこにお金をかけた方が良いのではないでしょうか。
昨日今日、震災の事を忘れないみたいなコメントを大量に見ました。
私は九州民ですが、あの震災以来災害に備える事の大切さを知り、ある程度の期間は支援が無くても生活できるように食糧等を備蓄してます。
ただ、九州には毎年来る、ましてや1週間後に来ると予報してくれる台風ですら直前にスーパーがカラになるニュースを毎年の様に見ると、何も先人に学ばない人が多いなと感じます。
「此處より下に家を建てるな」の石碑も3.11以降に有名になった。
これは、昭和三陸津波後に出来たもの高き住居は兒孫の和樂想へ慘禍の大津浪
此處より下に家を建てるな
明治廿九年にも昭和八年も津浪は此處まで來て部落は全滅し生存者僅かに前は二人 後に四人のみ幾歲經るとも要心あれ
碑文は「明治29年の津波で村の生存者はわずか2人、昭和8年の津波では、4人だけだった」と過去の大津波で村民がほとんど全滅した悲惨な状況を伝えたうえで「大津波の悲劇を記憶し、何年たっても用心せよ」と戒め「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」と警告する石碑。
明治や昭和なんて、そんな昔でもないんだけど
先人は後世を思い残したのに、忘れられていたんでしょうか。
そのとおりかと思う。
「お涙頂戴」で被災者に毎年取材が入るのはどうかと思うが、またあのような地震が起きたときにどうすれば生き残ることができるのか、という観点で、後世の方に伝えていくことは必要だと思う。
ボクは東京で経験し、交通機関がマヒして「帰宅困難者」になりました。
他地域は信じられないと思いますが、電車が動かず、タクシーも拾えないので、5-6時間歩いて帰りました。
帰るのをあきらめてオフィスビルのロビーに泊めてもらった人もいたと思います。
3.11になるとその記憶がまざまざとよみがえります。3.11は経験のしかたが人それぞれだと思いますが、なにかしら思い出す人は多い気がします。
2010年の東京マラソンの時にチリ沖地震がありました。
沿岸沿いを走る東京マラソンは無事に開催されました。
あの時に少しでも潮位が目に見えるくらい動いていれば、少しは怖さを思い出したでしょうね。三陸の津波は東日本大震災前はチリ沖地震のことだったので。
過去の三陸沖の津波の恐怖が薄れて、海沿いに住宅地を作って、堤防に過信したことは被害増加と関係ないんですか。河川水害だって、あんな川沿いに住宅地を造るから云々とコメントしている人たちいるじゃない。
15mの津波を想像しても想像が追いつかない。
でも現に3階建の鉄筋建の建物を飲み込んだという事実を忘れないように生きたい。
こういう施設をいつまで残せばいいって考えてるんだろう?未来永劫?
過疎化で住民も激減して支える住民もいないのに施設は残ったじゃ意味無いような気がする。
千年前の津波は石碑で残された、和歌山の津波は民話として残された。
どう残すかも含めて考える必要があるんじゃないかな。
あまり想定してないかと思います。
費用や技術を投資し、莫大な労力をもって建てますが「終わり」までは考えず実行しているように感じます。作ることが目的というか。
過去や他県にそういった負の遺産は山ほどあるのに、学ばないですよね…
管理やメンテナンスにも手間がかかりますし、壊すときに費用もかかるのに。
避難場所や貯蓄倉庫に利用するほうが未来に繋がる気がします。
伝承という言葉は過去の事柄を残すという意味となっていますが、復興自体は現在進行形で未だに終わっていません
復興事業が完了した時点での、過去の記録として残すための資料館建設ならまだ分かるのですが、伝承館の周辺の復興が震災当時からまったく手付かずなままの場所もあり、費用の使い方と順番があべこべだと思います
そういったこともあって、個人的には伝承館という名称にも非常に違和感を感じてしまいますが、当事者の気持ちを第一に考えてほしいものですね
記念館みたいなのは金はかかるが誰も興味がない施設になるからねぇ。
地元民に啓発する施設だとして誰が行くかよ?そんな辛気臭いもんって話だよね。
イベントなどで利用する公園で震災の名を冠したモノにし、目立つ記念碑を設置するとかじゃないと存在すら忘れられる。
造るときから、風化させないようにとか見るのもつらいとか意見が分かれていた。できたらできたで何十年かのち維持するかどうかで分かれるはず。
ただなぁ、今後30年のうちに7割の確率で次の震災遺構ができるんだろ?3.11でなくとも震災自体の恐ろしさは上書きされながら伝わるのではないか。
騒ぐ連中が維持費を出す訳でもないのだから放っておけと思いますよ。
確かに大震災でしたがあちこちにあると結局行かないものです。
老朽化も考えると期限は必要だと思います。
広島ドームみたいに募金や助成金があれば違うけど
維持費は高いから
一県一施設で県が集中管理。
災害教育の施設として活用。
残さないと被災地を無視しているとか騒ぐ連中が必ず出てくるからね。
復興予算余ってるから無理して使うんだろ 復興増税やめたくないからな
本来は原爆ドームのような象徴が必要だったんだよ。
「見たくない」を優先して、片っ端から排除していったらやっぱりダメになる。風化しますよ。
東日本大震災の追悼は大切なことだが、こと政府や地方自治体はハコモノを教訓として作りたがる。それはテレビやYOUTUBEの映像で十分にわかってるし、私自身も映像ファイルで保存している。すごく過去に遡れば、徳川家などの大大名は芝大門・増上寺とかも祭られてるが、そこそこの大名ですら、一般のお寺の境内に飾っている小さいものになっている。多くの維持費をかけないようにして、保存していく方法、例えば市・区役所の追悼ルームとかなど、それなら地方自治体が機能している間は必ず残す部屋になるから、現実的に運用できる施設にしていったらいい。
YouTubeで見れるものが全てじゃないんだけどね。地場の施設にはそこでしか見れないものがあるんだよ。被害状況も千差万別なのに、十把一絡げで津波被害としか見てないようじゃ、どう残すかも考えられるわけないし、どう対策を取るかも考えられないよ。
でも維持費ってバカにできないしなんで県で1つにできないのか驚きです。
多過ぎると誰も来ない場所も増えるのでは?
県に空港をって日本中空港だらけだけど活用できてない場所も幾つかあって維持費が大変なの知らないのかな?
そんなことをしてもどこかの市民団体かそんな規模でしかやらないのは被災地を見下してるのかーって文句垂れてくるわ
ハコモノを残したがるのは民間団体ですよ。
いくら伝承だけしたって結局家を建てるなって土地の伝承を無視して家を建てて流されて来たんですから余り意味が無い。
勿論それは産業や居住可能な土地が無かったという理由もあって止むを得なかった面も多かった。
しかしこれからの日本は違います。地方は被災地に限らず衰退途上、残念な面もありますが結果として津波に呑まれる可能性が高い土地に無理して住み続ける理由が感情以外に無くなっています。今こそ意味のある伝承、意味のある復興を行い、感情だけで負債を次世代以降に残さないで欲しいですね。故郷あっての人、ではなく人あっての故郷です。思い出だけならメディアにいくらでも残せるので命を守る街づくりをしてください。
その土地に戻りたいと願う人たちの思いに寄り添うこともなく切り捨てるくせに、自分たちの負債を何とかしろって言ったって、周りの人たちは、あなたの願いよりも自分の願いっていうふうに、何の関心も示さないよ。
100年前の関東大震災 死者10万人、東日本の3倍なのに特に語られることも特番やることもありません。今日、あれから12年番組やってますが、その内テレビでやらなくなるでしょう。
まさにそれ。伝承できてないよね。いいことおっしゃる
>いくら伝承だけしたって結局家を建てるなって土地の伝承を無視して家を建てて流されて来たんですから余り意味が無い。ふざけるな
災害の伝承という施設の目的を考えるならその期間は地域が続く限りということになり、それ以外はない。当然維持費用はかかるが、それは施設を造った時に分かっていたことであり今さら泣き言を言うべきではないし、それをケチって伝承の目的を疎かにするなど施設の存在意義と子孫への心を忘れた行為と言えるだろう。
カネと子孫への伝承を天秤にかけ、それでもカネが大事というなら施設は早々に畳んでコストのかからない石碑と慰霊祭、学校での課外授業等にシフトすれば良い。対外的には道の駅に「震災コーナー」でも作れば良いだろう。ただそれも10年もすれば「あのスペースがもったいない」として売り場に変わるかもしれないが…
冷静に考えて造りすぎでしょう。
そんなに維持費を捻出できる人口いますか?
県で一つなら交通の便のいい所に地区分けした被害状況とか提示してそこ行けば県の被害がわかるってなるのに。頭使って「建てるからにはたくさんの人に見て欲しい」って工夫しなかったんでしょうか?
5年後にバタバタ閉鎖しないよう頑張ってください。
各々がどういう経緯でハコモノを建てたのかは解らないけど、勢いみたいなものがあったのでは。街を復興していく中で、◯◯ではハコモノを作ってようだ。ならばこのエリアも甚大な被害を知ってもらう為にも作って貰いたい、と要望だしたら、点数稼ぎたい議員たち(本部)はすんなり予算だしたのかな。
但し、維持費は市町村で負担してね、とか。
維持費までは現地民は頭が回ってなかったのでは。
ハコ作って維持費がかかるのはわかってたことで
維持費が嫌なら石碑にでもしておけばよかったものを。
どうせ次にこの規模で来るのは千年先なんだし千年先まで残るのは石碑くらいなもの。