昨日の記事では、文科省が全国の国立大学などに弔意表明を求めていたのに、今度は自主判断?
教育基本法14条は、特定政党支持などの政治教育は禁止している。ならば初めから自主判断でいいはず。
税金の無駄使いでもあるので、この件に限っては前例主義打破してほしい。https://t.co/hD3yqDmn3K— 凡人エリック (@No_Zey_2020) October 15, 2020
ネットの反応
私は最初からそう思っていましたが、皆さん、菅は期待した通りではありませんよ。菅は管理的に従わせる手法を官僚だけではなく、民間、国民に対してもやろうとしているのです。
一部の頭の良い国民はすでに菅にノーを突き付けていると思いますが、皆さんそうじゃないので…。携帯電話の料金が下がれば、支持率が上がるなんて極めて単純なことが起こりえますから。気付いたときには国民も管理されたガチガチなんてことになりかねない状況です。
自己主義、解釈変更、官僚人事に睨みを効かせる…やっぱり期待しても駄目そう。。支持率低下はもう始まってますね。。
しかし、加藤官房長官を良く見るようになりましたが、前厚労大臣でのPCR検査基準について国民を馬鹿にした発言と態度を皆さん忘れてはいけません。
あの時と同じように見えて仕方ないのは自分だけでしょうか…
総理をこの国の王と思ってるような振る舞いだな。政治家とは国民の代理人として政治を行う者であり、国民に使える公僕なのだ。だから弔意を求めてもいいと考えること自体が危険すぎる。
王と同様の権限を国民から与えられているが、自らを王と思ってはいけないのだ。ただちにクビにすべきだろう。
日本という国が、激動の21世紀で勝ち残っていくためには、
色々な意味で強い国にならないといけないと思う。強い国になるには、大きく2つのやり方があると思います。
1つは、独裁国家として強権を持ち、国民に強制を強いる方法。
もう1つは、多様性のある民主的な国として、強国を目指す方法。
私は、これまでの歴史を見て、後者が良いと思います。
今回の政府のやり方は、前者の方法に近いように思えますが。
そもそも内閣ー自民党合同葬なる仕組み自体、憲法・法律上いかがなものかと思う。1980年に急死した大平正芳首相への同情が強く、しかし国葬とするにはさすがに実績が少ないことから、便宜的に内閣・自民党合同葬なる仕組みが作られたのではないか。こうした仕組みを続けていること自体が自民党の政権私物化だと思う。
まして国立大学にこうした要求をすることがおかしい。「国立大学」と称しているが、現在は「国立大学法人」であって、純粋の政府機関でもない。都合が良い時だけ公務員扱いするべきでない。
自主的というのなら、通知を出す必要がない。わざわざ出したとしか思われない。大学補助金を出しているからこその判断だろう。従わなければとの間隔が働く。学術会議でも問題の方向性を変え、大事な点がうやむやになりそう。
政府への反対意見が見えるとこ、ことごとく浮かばれそうにない。形式的に民主主義になっているような、どこかの国と内容的には、何ら変わらないのでは?と心配する。
国から要望されれば後で何をされるかわからない。忖度して弔意表明をするだろう。弔意表明を「強制」するならば、国立大学だけでなく私立も、
義務教育の中学、小学校も通知すべきではないのか?なぜ「国立大学」なのか?ここでも「募集はしていないが募っていると承知している」論法ですね。アベを踏襲している。?、前例は踏襲しないのではなかったっけ?写真の加藤の眼が怖いです。
自主判断なら通知出す必要はない。政府という大きな権力から通知が来れば実質強制のようなもので、なのに判断は自由にどうぞというのはヤクザの手法そのものでとんでもなく悪質です。
国家答弁や記者会見の発言は、議員や記者に対するものではなく後ろにいる国民に対するものという意識が見られません。
俯瞰的に判断という回答で国民の何割が理解出来るのでしょうか?