自宅などで心肺停止状態に陥ったときに、蘇生(そせい)措置を受けずに最期を迎えたい-。高齢者本人が事前にそう希望していたにも関わらず、救急隊が蘇生措置を実施するケースが後を絶たない。
こうした本人や家族の意思を尊重しようと、東京消防庁は年内にも、かかりつけ医らの指示による心肺蘇生の不実施(DNAR)を導入する方針を固めた。出場現場での待機時間の短縮など、救急隊の負担軽減も期待できるという。
■2時間待機した救急隊
救急隊によるDNARは心肺停止状態になった末期がん患者らに対し、本人や家族の意思を受けて蘇生措置や救急搬送を行わない対応だ。
自宅に駆けつけた救急隊は心肺蘇生の開始後、家族らから事情を聴いて本人の意思を確認。地域のかかりつけ医らの指示を受けて最終的に決定する。
消防法で定められた消防の救急業務は救命を前提としており、DNARは従来と異なる概念の対応になる。
これまでも主治医らによる指示で蘇生措置を中止することはあったが、現行の運用では、救急隊は蘇生措置の中止後も医師に直接引き継ぐまで現場から撤収できなかった。
DNARを希望し、東京都内の自宅で今冬、心肺停止になった末期がんの高齢女性のケースでは、119番通報を受けた救急隊が女性の主治医に連絡を取り、現場での心肺蘇生を中止。
だが、未明の時間帯で医師の到着が遅れ、救急隊は約2時間にわたって待機せざるを得なかった。
都内の救急隊出場件数は過去10年間で約15万件増え、昨年は80万件を超えた。特に75歳以上の搬送者が急増しているという。
出場現場での待機時間の短縮は喫緊の課題で、東京消防庁は今年2月、救急隊の活動指針にDNARを導入する方針を決定した。
導入に伴い、蘇生中止の意思確認は重要度を増す。東京消防庁はDNARを家族などから自発的に要望が出た場合に限り、救急隊側が主導することはしない。
また、普段から患者の状態を知るかかりつけ医か、その連携医から指示を受けることを前提にするという。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190512-00000509-san-soci
ネットの反応
本人の意思が最優先だ
安楽死も早く法整備して欲しい。
日本人には最近生きる事に見切りをつけさせようとする、これが先進国の進んだやり方だと、腎不全患者にあなたは生きる価値、資格がない、と言わんばかりに人工透析をやめさせたりして、その人が与えられた生命を大切にしない社会になりつつある。
生きる自由、死ぬ自由、どちらも本人の意思。
後10年すれば俺含め爺婆最低1500万人消えて行くでしょうその分海外から500万人移民入ってきて治安悪確実。
今後は尊厳死の選択を尊重すべきでしょう。
苦痛が大きい状態で長生きするのは、本人にとっても周囲にとっても負担が大きすぎる。
本人の意思の尊重がビミョーで
医者も家族も迷うわね。
じゃ呼ばなきゃいいじゃない。
人を助けたくて医者になった人にに、助けられるかもしれない人を目の前で見殺しにしろってこと?
その確認を取るため待機していて、この人は拒否してない、と気づいた時には手遅れだったら?
拒否も自由だけど、その場合は救急を呼ばず、きちんと死んでから家族で死体を然るべき場所に運んでほしい。
読み流してしまいそうな記事だが、画期的な方針ではないかと思う。
本人の意思がどうであれ、長生きさせるのが最重要の社会的使命と考えられている現在で、本人の意思を尊重した行政志向は新たな第一歩だろう。
ご高齢の患者さんを見ていて、ナースをしている嫁さんも同様なことを言っています。
私も90歳を越えて透析を受けながら寝たきりの父が居りますが、心停止 呼吸停止になっても延命措置は遠慮させていただいています。
現実に往診してくれる医師はそんなにいない。
蘇生希望しない場合は救急から緩和処置と死亡診断する医師を派遣するシステムが必要。
無駄な医療費、救急の出動も削減できるし自分の家で最期をという意志も叶えられる
蘇生してもしなくても民事訴訟おこされるな
いい方向なんだけど問題は行政機関が決めていること
法律として立法府が決めないといけないこと
例えば介護保険行政は行政の権限が強く、利用者の急変を介護事故とする市町村もある
施設の所在地と利用者の住所が違い、同じことを片方は報告義務、もう一方は電話したら「忙しいのにそんな報告はいらない」とお叱り
こんな状態なんですよ
自宅で心肺停止状態になったときに救急車を呼んでいるにもかかわらず、心肺蘇生処置をするなと家族が言っているという状況が理解できず。
なぜ救急車を呼んだのだろう?
先日亡くなられた歌丸師匠が重度の呼吸器疾患で酸素マスクをつけられた状態で、苦しさのあまり『殺してほしい』と言われていたのを思い出しました。
私自身も過去に二度、喘息発作で死にかけた経験がありますが、私が死にかけた時は『まだ死にたくない!助けて!』と強く思いました。
何年生きたか、また、治る見込みがあるかないかでその違いがあると思いますが、僅かしか延命できないと明確で、耐え難い苦しみが伴う方に関してはすべての人に延命処置をするかしないかを選ばせてあげてほしいと思いますし、なぜもっと早く導入できなかったのか、とも思いました。
最後は法律の問題になるので、その大切な議論をするのが政治家の仕事だと思います。
大胆さと慎重さを兼ね備えた、本当に命の大切さを知る人に政治家をやってほしい、とも思いました。
臓器提供と同様,意思表示カードへの事前記入が必要だね。
素晴らしいですね。
救急の学会が救急隊にみんな蘇生処置するようにって言った時はどうなるのかと思ったけど、やっと実情に合った状況になってきましたね。
看護師をやってた姉が母親の為に心肺蘇生をしない看取りで済む施設を探してます。大抵は救急車を呼ばれて最後の最後に心肺蘇生で大騒ぎになり、下手すれば蘇生して更に苦しみながら次の死を待つことになるのだけは避けてあげたいそうです。
もっと、シンプルな仕組みを作るべきです。
免許証への臓器提供の意思表示に近いシステムでいいと考えます。
例えばですが、保険証に、蘇生拒否の有無を自署してもらい、拒否する方が心肺停止した場合は救急要請せずに、かかりつけ医か警察に連絡、もちろん、迷った場合は救急要請してもらい、救急隊が対応する。
これで、望まない蘇生はだいぶ減らせるのではないかと思います。
ある日突然、胸の痛みを自覚し、救急搬送される。病院で急性心筋梗塞だと思うから検査(CAG)と治療(PCI)をしましょうと言われる。検査は約3万円、治療は約34万円かかる。
でも全て後期高齢者医療保険のおかげで自己負担は7万円。残りの63万円は国民の税金から支払う。数日中に亡くなる平均寿命を超えた高齢者に、これだけの税金を使うのが日本という国だ。
赤字になるに決まっている。
2月に亡くなった末期ガンの母。
子供を学校に送る15分の間に亡くなり、警察・消防に電話。
消防に電話したら心マを指示されて
と言っても聞き入れられずとりあえずやれと怒られた。
救急車の中、一生懸命心マしてくれた隊員には感謝しているけれど早く導入して欲しい。
わがままだけど生きて欲しいような
頭の中の葛藤が凄かったです。
これでは救急車の意味がない。蘇生拒否するなら救急車を呼ぶなと言いたいね。
長寿日本創られた捏造、胃道植物人間、精神病、認知症、死刑犯罪者共に重度は安楽死推奨。
ドナーカードと同じ様に、延命措置に対する意思カードを持つべき。
救急の考え方からすれば、延命措置を取ることが当たり前な事であり、本人の意思を普段から周りの知人や他人に伝えてあったとしても、家族や周りの人々は決して家族や知人の死を、何の対処もせずに受け入れられるものでは無いと思う。
本当に延命措置を拒否できるのは、本人だけで有るからこそ、延命措置拒否の意思カードは今後必要になって来る。
本人や家族がDNARを希望してるのに119…?
近所の人か介護の方かな?
いずれにしてもこれはかなり複雑で、
地方の地域に密着した医師なら対応は早くミスも少ないと思うが、都会で他の患者の診察をしてる医師の連絡待ち、他多数者のケアスタッフが本人の意見の共有が必至。
1つどこかで怠れば裁判沙汰や大事になりかねない。
打開策がみつかればいいが…
全くの他人なら「個人の尊重」は良いが自分のパートナーや愛する人だとやはりたすかって欲しいと願うのもありなんじゃないだろうか? また死期を悟り周囲に伝えていたのなら救急車を呼ばず医師を呼び判断をしてもらうなども良いかもしれない。
これこそ臓器提供意思表示カードみたいにできないものなの?今はまだ元気だからかかりつけ医なんていないよ…
「治らないなら延命して欲しくない。」そう希望されても治るか治らないかは家族では判断出来ない。いらんかったら呼ぶなと言うけど、完全に心配停止状態で呼ぶとは限らない。
安楽死の制度は導入すべき
どうにもならない状況になることはある
運だよ
救急隊の人が、救急車の要請があって現場で蘇生しなくて良いと言われても、後になって救急隊が何もしてくれなかった!と言い出されたら困るね。
そういう人は、救急車を呼ばなければ良いのでは?