ネットの反応

1
約10年前、重度の知的障がいのある長男と一緒に交流の一貫で小学三年まで通っていた小学校に年4回ほど私も一緒に行くことがあり、当時の給食を食べたことがある。

子供たちが食べる給食を親になってから食べる経験ができたことは有り難いこと。
それは中学二年まで続きました。

食べる量は個人でありましたが、盛る時に残さない量を気配りしたり、たくさん食べられる人には、はじめの量が完食してから盛るなどの配慮をしている学校でした。

私が小学校の時は、給食の量は食べきれない。と分かっている量も残すことは許されず、苦痛でしかありませんでしたが、食育の観点からも体調や胃の大きさなどで食べきれないことを配慮は必要だと改めて思いました。

1 – 1
5時間目が始まる間際まで完食を強要されたのは、体罰に等しい。その頃は好き嫌いも “絶対悪” だった。戦中・戦後の食糧難時代を経験している世代が現場教員や学校管理職にまだ多かったので、余計に食べ物に関する考え方が厳しかったのもあるだろう。
1 – 2
〉今はアレルギー対策のメニューも限られた職員で作って下さっています。全校300人程の生徒数で50人位作っているそうです。当然ながらアレルギー物質は様々で、混入によって重篤なアナフィラキシーショックを起こしたりと私達が子供の頃とは給食を提供する側の環境も変わっている事も理解しなければなりません。〉〉私が小学校通っていた頃は、全生徒が1200人以上いる時代。
当時もアレルギーはあったと思います。
大変な時代でした。
今は認知されていて、有り難いですね。

1 – 3
逆に自分は学校の給食の量で足りたことが一度もなく。無駄に空腹を弄ばれる感じで家に着くやいなや何か食べてました。弟は好き嫌いが激しく学校給食が苦手でしたが食べ終わるまで帰宅させてもらえなく泣く泣く食べてましたよ。今これやったら大問題ですね。
1 – 4
今はアレルギー対策のメニューも限られた職員で作って下さっています。全校300人程の生徒数で50人位作っているそうです。当然ながらアレルギー物質は様々で、混入によって重篤なアナフィラキシーショックを起こしたりと私達が子供の頃とは給食を提供する側の環境も変わっている事も理解しなければなりません。
1 – 5
原油高による移送費の問題もあるが、ウクライナとロシアで小麦が得難くなってる。余ってると言うお米使えばいい。
1 – 6
都内小学校です。
牛肉なし、焼き魚なし(開きもししゃもも揚げ…固いです)
牛乳しかない。
デザートなし(月に1,2度果物がつく程度。)
40年前は週に2回しかご飯は出なかったけれど干物を揚げてカチカチになった魚なんか出なかった。
ゼリーやプリンも普通に出た。コーヒー牛乳も。
パンも恐らく7種類以上あった。
財政難??
不味くて大量廃棄されている現状を問題視すべきでは?
1 – 7
給食費を払わない代わりに給食も食べない選択肢がほしい。弁当の方が良い。
1 – 8
『週1回ほどに減少 パン給食の変化』これも、

『ウクライナとロシアの問題が起因している』

だろ

1 – 9
今のお父さんお母さん(の一部)は給食費を払っているのかな。
払わざるをえないシステムになってるといいけど昭和のおっさん
1 – 10
昔は米が年に2〜3回で
ほぼほぼパンやったよなー
2
今は分からないけど昭和時代は1週間でパンとコメが交互で
パンが3日コメが2日でしたね。

コッペパンなんだけど、旨さが無くマーガリンやジャムで食す感じで
食いしん坊の自分でもパンは残して持って帰っていた程、美味しくは無かった。
小麦を輸入に頼る日本。

ロシア侵攻に伴い、色々弊害が出てくると思うけど
日本には米が有り、倉庫には在庫が多く残り
自分含め、農家としては米を食べてほしい。

それでなくても米の買い取り価格が安くなり離農者が増えている現状。
自給率は下がるのは当然。

0から農業は経費が掛かりすぎるので、補助金が無ければまず無理。
昔から農家をやってる家が、代々受け継いで
農機具を下取りして新しく買い替えるなど経費を抑えて営むのが術。
農家を大事にしないと本当に日本の農業は衰退する。
米を使ったパンも売っているので米を食べて活性化をしてほしい。

2 – 1
地域にもよりますが、概ね昭和終盤から米飯給食が始まったので、今の40代後半以上位はパンしか経験無い方が多いと思います。
2 – 2
確かに昔の給食のパンは恐ろしく不味かったですよね。自分は学校帰りに川の鯉に給食のパン食べてもらってました。そんかし家に帰ってお腹が減ってるんで夕飯狂ったように食べて親に『給食食べてないのか?』ってツッこまれて参りました。今の給食美味しそうでいいなぁ。
2 – 3
35年前でも毎日パンでした。ソフト麺なら大喜び。
ただ、当時でも美味しい給食だったなぁ。
2 – 4
私の時代ではお米の給食は一度も食べた事がないです。
50年も前ですけどね。。
2 – 5
農家さん大事だし米粉パン良いですね
2 – 6
同じです。
私は果物苦手だからジャムが食べられなくて苦戦しました。
2 – 7
ご飯の給食は年に数回でした。
3
現在、小学校で給食を作っています。今は月に数える程しかパンは出ません。麺も一回くらいかなぁ〜。今は給食で出された物は昔みたく持って帰れません。

パンも最近では給食室で捏ねて作る手作りパンもしています。パンを納品してもらうよりやはり安くできるし、出来立てあったかいのを食べれるので子供達も喜んで食べています。

ちなみに、ずっと同じ市に住んでいますが、私の子供の頃はセンター給食だったので揚げパンは出ませんでした。今は作る側になって微妙な揚げ加減で美味しく食べれるよう努力はします。

ただ,皆さんにお願いですが,給食のおばちゃんはやめてほしいかなぁ調理員さん位でやめて欲しいです。女性だけでなく男性もいたりまた、若い人達もいたりするので…定年までまだまだですが美味しい給食がこの先も出せるように頑張りたいと思っています。

3 – 1
ただ,皆さんにお願いですが,給食のおばちゃんはやめてほしいかなぁ調理員さん位  でやめて欲しいです。女性だけでなく男性もいたりまた、若い人達もいたりするので…定年までまだまだですが美味しい給食がこの先も出せるように頑張りたいと思っています。

これって、そういう言い方はやめてほしいということ?しばらく意味がわかりませんでした。おばちゃんたちは仕事を辞めて、若い人や男性に給食の仕事をしてほしい、と解釈してしまってから、読み直した次第です。

3 – 2
学校現場で働いています。県内でも地域によってパンの出る頻度が違います。異動前は火曜日と木曜日がパンの日でしたが、隣の市に異動したらパンの日は水曜日のみでした。私はパンも好きなのでパンの日が多いと嬉しいですが、男性はパンではお腹が膨れないと言っています。
3 – 3
安全な給食を出していただいていつも感謝しています。手作りパンすごいですね!
子供達の学校では給食主事さんと呼んでいるようですよ♪
3 – 4
パンまで手作りとは、最近の給食は凄いですね。今後も美味しく、安全な給食お願いします。
3 – 5
調理員ではなく、コックさんで良いと思いますけど。
スクールコックさんという名前を今後流行らせようと思っております。ご協力頂けたら幸いです。
3 – 6
私が子供の時は本当におばちゃんしかいなかったんだけど、今は若い方も多いですよね。
3 – 7
給食に文句言う人は、毎日弁当持たせりゃいい。
毎日250円くらいで栄養を考えた食事を食べさせて貰えることに感謝しなきゃ。
3 – 8
私は給食の先生って呼んでました!
大人になると、給食が恋しくなりますね。
3 – 9
mim
栄養士さんが献立立ててるから大丈夫だと思いますよー
3 – 10
パンを持ち帰るのは大変懐かしい。いつもお世話になりありがとうございます。給食のおばちゃん言ってごめんなさい。
4
小学校はパン給食が主力 (中学校は給食はなく弁当持参) だった時代。確かに当時の給食のパンはおいしくなかった。それに比べるとなんと手間の掛かった “イイモノ” を食べているなぁ、と。

あと終戦後にアメリカがパン食を推進したのは自国の余剰小麦の消費という理由の他に、小麦の一大消費国に仕立て上げて小麦の輸出先にしてアメリカの農家を儲けさせようという考えもあったはず。

同様に肉食を推進したのも栄養事情の改善という意味と、牧畜を産業として育成すると同時に穀物飼料の輸出先にしようという意図があったと思う。(直に精肉の輸出先にするのは冷凍技術の発達が進めば、

程度にはあったかもしれない) なにせ当時のアメリカは「日本人が貧相なのは米と魚ばかり食べているからだ」と和食をさげすんでいたくらいだから。今では和食が自国でも評価を上げまくっているけれど。


注目ニュース