101歳で波瀾万丈の生涯終えて天国に 残った日本軍性奴隷被害者は27人のみ
また一人の日本軍「慰安婦」(性奴隷)被害者が、日本政府の公式謝罪を受けられないままこの地を後にした。これにより生存日本軍性奴隷被害者は27人に減った。慶尚南道道立統営(トンヨン)高齢者専門病院は1日午前4時、日本軍性奴隷被害者のキム・ボクトゥクさん(101歳)が持病のために病室で息をひきとったと明らかにした。これに先立ってキムさんは、2013年に自宅での単独生活が難しいほど健康が悪化してこの病院に入院した。
キムさんは1918年、慶尚南道統営市で生まれた。21歳の時の1939年、慶尚南道巨済市(コジェシ)の叔母の家に行こうとしたが、工場に就職させるという徴用募集人の話にだまされて船に乗り、中国の大連に行った。
大連におりると、フィリピンに連れて行かれ日本軍慰安婦としての生活を強要された。様々な苦労の末に1945年解放後に故郷に戻った。
結婚もせず、辛い記憶を胸に生きたキムさんは、1994年韓国政府に日本軍「慰安婦」被害者であることを知らせ、日本政府の公式謝罪を受けるために国内はもとより日本の名古屋や大阪に通って、日本を糾弾するデモに参加し日本軍が運営した慰安所と慰安婦が存在した事実を証言した。
一方、キムさんは市場で魚の商売をしてやっと貯めたお金を社会に寄付した。2012年、統営女子高に奨学金を寄付し、2013年には慶尚南道日本軍「慰安婦」歴史館建設基金として2千万ウォン(約200万円)を喜んで寄付した。
慶尚南道教育庁は2013年、キムさんの一代記を整理した本『私を忘れないでください』を出して、歴史教材として使用するようにした。同年、統営の南望山(ナムマンサン)公園にはキムさんを象徴する少女像「正義の碑」が立てられた。
旺盛な社会的活動をしたキムさんは2013年秋、慶尚南道道立統営高齢者専門病院に入院した。一人では立ち上がることも難しいほどに気力が弱まったためだ。
病院でもキムさんの真実に向けた闘いは続いた。朴槿恵(パク・クネ)政府が2015年12月28日、日本政府から10億円(約97億ウォン)を受け取り日本軍「慰安婦」問題に対する拙速な合意文を発表すると、キムさんは2016年、韓国挺身隊問題対策協議会が提起した損害賠償請求訴訟に原告として名前を上げた。
キムさんは昨年1月、この問題と関連して論議の中心に立ちもした。韓日政府の12・28合意により、2016年7月に設立された和解・癒やし財団がキムさんに1億ウォン(約1千万円)を支給したが、キムさんが「分からなかった」として保護者である甥を通じて返還の意思を明らかにした。キムさんの遺族は「和解・癒やし財団がまだ1億ウォンを受け取らずにいる」と明らかにした。
キムさんの葬儀は慶尚南道道立統営高齢者専門病院葬儀場に用意された。3日が出棺だ。日本軍「慰安婦」被害女性と共にする統営・巨済市民の会は、統営室内体育館に焼香所を用意する計画だ。今年亡くなった日本軍「慰安婦」被害者は、キムさんを含めて5人にのぼる。キムさんの甥のKさんは「故人が生前に日本政府の謝罪を必ず受けたいと言っていた」と伝えた。
釜山/キム・グァンス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180702-00030992-hankyoreh-kr
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