文部省(当時)が学校基本調査で「学校嫌い」の統計を取り始めたのは1966年。日本で唯一の不登校・ひきこもり専門紙「不登校新聞」(NPO法人全国不登校新聞社)は2016年、半世紀の節目に「不登校50年 証言プロジェクト」をスタートさせた。

不登校経験者、保護者、フリースクール、医師、教師、研究者ら30人を超える声を集め、今夏、連載を終える。「不登校50年」が問い直した問題は何か。このプロジェクトの統括、山下耕平氏に聞いた。(聞き手・読売新聞メディア局編集部 鈴木幸大)

◆「英語でタイは釣れん」

「だれも中学校をつくってくれと言うてない。英語を教えてくれる? 英語でタイは釣れん」

岡山県の児童相談所職員だった佐藤修策さんは、1947年(昭和22年)に中学校が義務教育化された当時のエピソードを紹介した。

瀬戸内海に面した倉敷市の漁村で、家庭訪問にまわると、中学校に行っていない生徒がゴロゴロいた。子どもに漁業を継がせたい父親は、釣りのイロハは学校では身につかないと主張した。「中学校は英語を学ぶことができるんですよ」。そう言って親を説得しようとしても、鼻で笑われた。

「子どもを学校へ通わせるのは親の義務です」。当時は、こんな立て看板があちこちにあった。「勉強がいやなら、さっさと働け」と言ってしまう教員もいた。

「学校に行かなければならない」という考え方もなく、不登校が問題になることもなかった。

◆「学校に行けない」

文部省は1950年に長期欠席者(年間30日以上の欠席者)の全国調査を初めて実施。この調査によって、49年度の長期欠席者は、小学校で約40万人(出現率4.15%)、中学校で約34万人(同7.6%)。小中合わせて約74万人いることが明らかになった。

家庭が貧しくて学校に通えない。病気がちで通学が難しい。農業や漁業などを営む家庭は幼い弟妹の面倒や家事の手伝いを優先させた。長期欠席は、経済的理由が59.6%を占めた。

ところが、60年ごろになると状況が変わった。はっきりとした理由がないのに欠席が長引く児童・生徒が現れた。

経済的に困窮しているわけでもなく、健康状態に問題があるわけでもない。にもかかわらず、精神科や児童相談所にこんな悩みを訴える子がいた。

「なぜだか分からないけれど、学校に行けない」

学校に行けないのは子どもに問題がある?

◆学校へ行こうとすると足がすくむ

精神医療の問題として議論が繰り返された。

学校に行けない――。その原因として、精神障害の一つである統合失調症、母親と離れると不調になる母子分離不安、自閉症、神経症などが疑われた。

しかし、徐々に、子どもに原因があるとする考え方に疑問符がついた。子どもではなく、学校の状況に問題があるのではないか。

国立精神衛生研究所(現・国立精神・神経医療研究センター)に勤務していた児童精神科医の中沢たえ子さんが1960年に「学校恐怖症の研究」を発表している。これが、日本で初めての不登校についてまとめられた論文とされる。

学校恐怖症は、高所恐怖症や閉所恐怖症といった状態と同じで、学校へ行くとなると思わず身構えてしまったり、足がすくんで前に進めなくなったりする体の反応だ。

◆病院内に「親の会」

不登校は、子どもの問題ではなく、解決には学校を変える必要があると訴えていたのは、元国立精神・神経センター国府台病院児童精神科医長の渡辺位さんだ。

「腐った物を食べたら下痢をする。下痢が問題なのではなく、細菌の繁殖した食べ物を摂取したのが原因であって、排出しようとするのは防衛反応。下痢の原因を見ないで、下痢だけを治そうとしてもだめ」

渡辺さんは1973年、病院の中で同じ悩みを抱える保護者が集まる「親の会」を設立した。

そこに集まった保護者らは、周囲から白い目で見られ、自責の念に悩まされていた。

「母親の育て方が悪いから、甘えた子になった」

「父親が厳しくしないから、子どもがわがままになった」

「自分の育て方が間違っていた……」

そういう見方にさらされながらも、親の会は、子どもの側に立って、学校のあり方を問い直していった。

当事者が語る「なぜ、学校に行けなくなったのか」
◆「自分は悪い子」と泣いた

「不登校50年」の連載には、学校に行けなくなった不登校経験者も登場する。1987年、小学4年のときに学校へ行かなくなった男性が当時の心境を打ち明けている。

「学校は絶対に行かねばならないと強く信仰していると、ちょっとの休みで、『いけないことをしてしまった。もう顔見せできない』と思って、1週間、2週間と休むようになって、それが1か月、2か月となって、どんどん行けなくなってしまう。私の場合は、そんな感じで学校に行けなくなって、『もう人生おしまいだ』と思っていました」

男性は「自分は悪い子だ」と親に訴えて泣き、物に当たり、苦しんだという。

◆「学校は行かなきゃいけない」

いじめをきっかけに不登校になったエピソードを語る当事者もいる。

高度経済成長期の1970年代に小学生だった男性だ。高等教育を満足に受けられなかった親世代が、子どもには教育を受けさせ、良い学校を出て、良い会社へという将来を望む社会の風潮があった。

進学熱が高まる一方で、放課後になると、草野球に興じる子どもたちもいる、そんな時代だった。だから、進学塾組と草野球組は対立することがあった。進学塾に行っている子たちは、テストの点数を伸ばし、偏差値を上げなきゃいけないというプレッシャーを背負わされた。自由気ままに草野球で遊ぶ同級生をねたましく思い、攻撃の対象にした。

「帰り道に隠れていて、いきなり6人がかりで蹴られたり、筆箱を隠されてしまったり、定規におしっこをかけられて、それを筆箱に入れられたり、いろいろ陰湿なことをされていました」

学校が安全な場所ではないと思った男性は、小学6年で学校に行けなくなった。それでも、「学校は行かなきゃいけないところ」「学校へ行かないことは大問題」という葛藤をずっと抱えていた。

登校拒否は早期治療をしないと……

◆新聞記事に抗議集会

「30代まで尾引く登校拒否症 早期完治しないと無気力症に」

1988年9月、全国紙の夕刊1面に精神科医ら研究グループの見解が掲載された。登校拒否は早期に治療しないと無気力症の懸念があるとし、カウンセリングだけではなく複数の療法が必要と指摘した。

不登校や登校拒否を病気とする考え方は、本人が望まない強引な治療を招き、人権侵害につながりかねないと各地で抗議集会が開かれた。

一方で、不登校は早期発見、早期治療が必要とする考え方も根強く、学校に行きたくないという子を無理やり連れて行く保護者もいれば、家庭を訪問して子どもの部屋に押し入る教師もいた。自然豊かな専門施設で治療を求める希望者もいれば、スパルタ式の訓練施設へ子どもを送り込むようなケースもあった。

不登校を巡っては、80年代になって市民運動が活発になった。各地に親の会が設立され、全国規模の組織も発足した。居場所になるフリースクールやフリースペースなども増え、不登校の子どもたちが学校以外でも育っていることが実証されるようになった。

◆強硬策も「それでどうなの?」

不登校を取り巻く環境に変化が表れると、文部省(当時)は1992年、学校不適応対策調査研究の最終報告で「登校拒否はどの児童生徒にも起こり得る」との言葉を盛り込んだ。

さらに、文部科学省は2016年、「不登校を問題行動と判断してはならない」(16年9月14日「不登校児童生徒への支援の在り方について」)という通知を出している。

こうした行政の動きを歓迎する一方で、ソーシャルワーカーの男性は連載のインタビューでこう指摘する。

「かつては学校現場でも無理してでも行かせよう、学校復帰させるための努力をしなくちゃいけないというような空気があったように思います。いまはそうは言ってもヌカにクギみたいなもので、現実がもっと先を行っている感じはします。いま強硬策を出しても『それでどうなの?』みたいな感じになっちゃうんじゃないかなと」

統計上は毎年12万人以上が学校を休み続けている実態がある。男性の言葉は続く。

「一人ひとりはいろいろ葛藤があったとしても、不登校の数は毎年積み重なっているわけだから、その数の力というのは、無言の、無形のメッセージになっている」

かつて「希望」だった学校が、今は……
◆偏見は薄れても否定的なまなざし

当事者でさえ、不登校になった理由をはっきりと説明できないことが少なくない。朝、制服に着替えていると頭が痛くなる。玄関で靴をはいても足が前に出ない。

考えるよりも前に、体が反応する。こうなってしまったら、まず休むことが大切だ。いったんストップすることを否定してはいけない。

その後、どうするかはまた別の問題。最近では、不登校に対する偏見は薄れてきているが、平日の昼間、学校以外の場所にいる子どもたちに向けられるまなざしは、やはり否定的だ。

かつて、学校は「希望」だった。新しい知識を身につける。良い成績をとる。そして、良い学校へ合格する。「希望」が、学校の求心力になっていた。だから、ひとたび「学校に行かない」となれば、それは「絶望」を意味した。大問題だった。

しかし、ここ最近ニュースなどで話題になるブラック企業、過労自殺、老後破産といった問題を考えると、良い成績を収め、良い大学に進んだといっても、必ずしも先行きが明るいとは言えない。

学校は今、「不安」が求心力になっている。せめて高校、大学くらいは……、となってしまっている。

◆「不登校」から考える

「不登校」は、よく分からないけれど……という状況が実はあまり変わっていない。

ただ、不登校を考えることをきっかけに、精神医療や心理学が問い直されることになった。「子どもがおかしい」という考え方が変わってきた。学校に問題はないのか。教員の指導に課題はないのか。なぜ、学校に行かなければいけないのか。親たちが正しいと信じたことは、本当にそうだったのか。

「学校に行けない」。そう打ち明けた我が子を目の当たりにしたある男性は、自らの会社人生を顧みることになった。「お父さんはどうなの」。そう問いただされていると感じた。これが自分のやりたかったことなのか。このまま定年を迎えていいのか。自問を繰り返し、結局、退職に踏み切った。

学校、家族、仕事、生活……。「不登校」を巡る50年は、当たり前と思われてきた社会のあり方を問い直している。

みんなのコメント

 

名無しさん
いじめなど、色んなきっかけで学校に行きたくなくなる子供たちがいても全然おかしくない。社会人たちだって、就職した後、パワハラやセクハラで会社に行きたくなくなる人たちだっているんだから。でも、社会人の場合、若ければ転職もそんなに困難ではないだろうが、子供の場合、通っている学校が嫌になったからといって、それだけの理由で他の地区の学校に簡単に転校できないのは可哀そうだ。
名無しさん
個性も目的も違いただ年齢が同じというだけで一つの箱に放り込まれるやり方が問題なのか
その中に身を投じて社会性を身につけるための訓練とするのか
学校の存在意義が問われてるような気がします。
名無しさん
教育は大事です。しかし、多方面からその教育の大切さを大人から子どもまで、真剣に考える必要が有ると思います。
まず地域性や親の職業や、子ども達の個々の、個性など、などです。
面倒臭がらずにです。
そうして、学校を決める。
一つの学校にたくさんの子ども達をまとめて、同じ教育は、問題が出てくると思います。
細やかな、教育方針は、これから求められて来ると思います。
どの様な教育が大事か、そもそも頭の良い大人達だけで、決めて行くのでは無くて、中間的な年齢の例えば、現在の、中学生、高校生に幅広く相談してみてはどうでしょう。
大人が及ばない程の多様な意見がたくさん出されそうに思います。
教育は、押し付けがましく有ってはならないと、思います。
学ぶ心を育ててこそ結果も出て来ると思います。
子ども達を大切に育てる基本こそが教育には一番大事だと思います。
名無しさん
引きこもりは、2016年で70万人、予備軍を入れると155万人と推計されるそうです。
それだけの日本人が働かずに親の脛かじったり、生活保護もらってたりしたら、真面目に働いてるこちらからすると、たまったものではない!!(怒)
いじめがどうの学校に馴染めないと言われますが、自分も学生時代は酷いいじめにあい、いつも自殺を考えていました(怒)
実際、衝動的にクラスの皆の前で自殺しようとして止められた事もありました(怒)
就職しても、独身であると言う理由で、セクハラ、モラハラにあい、一時は心療内科に通い、20日ほど仕事を休みました。
今も時々、嘔吐や目眩があり、思うように動けない事もあります
それでも自分は仕事を続けています!(怒)
それは、
「人に迷惑をかけたくない」
「働かざる者、食うべからず」
という考えが根底にあるからです!
なので、引きこもりは自分からすると甘えとしか思えません!(怒)
名無しさん
社会人が会社が嫌になって退職するのと何も変わりない。
社会人は転職先があるが、学生は偏差値の関係で気軽に学校を変えられないから家にいるしかないだけ。
特に問題なし。
名無しさん
どんな理由があろうとも社会から逃げ出した人に同情はしたくない。
abc
反論者の意見も聞かねばならないが、本来新しいものを積極的に取り入れて伝えるのが教育の一つなんだろうが、この世界は凝り固まってしまった教育方針のようなものに犯された教育者によって不変の世界にされてしまったんだろうな。
名無しさん
少子化の時代、少子化じゃない頃に比べ細やかな配慮がなされている。にもかかわらず不登校も増加の一方。ここまで来ると学校以外にも選択肢が必要なのか?
名無しさん
結局どうしたらいいの?
原因は子供一人一人様々だから、学校のせい、環境のせい、親のせい、子供のせい、全部言えるわけだし。嫌なら無理して行く必要ないと思いますが、放置してはダメだと思います。
結局年相応になったら社会に出て独り立ちして、お給料もらって衣食住に困らないようにすれば良いだけ。それか生活保護を貰えばいいのかな。そうすると優しかった周りは、周りは白い目で見ますよね。
無責任だなと思う。
学校が子供を学校に(集団生活の輪に)戻そうと働きかけ、家庭訪問するのは、そうせざるを得ない役割だと思います。
引きこもりのニートになったら親はその子が死ぬまで困らないようにお金を残してあげるしかないですかね?知的障害のあるお子さんの親は、自分らが死んだ後、施設に入れるよう蓄えてます。
病気等を抜いた広義のひきこもりが69.9万人いるそうです。
結局は自分の尻は自分でふける子を育てるしかない。
名無しさん
登校拒否から不登校に変わりました。
不登校は誰にでも起こり得ます。
子供は変わってません。大人の側の見方が変わっただけです。
名無しさん
人様々の理由があるとは思いますが、当事者になって初めてわかる気持ち。周りの反応。なったものしか味わわない忍耐。などあります。優しすぎる子が多いとも感じます。苦しむ子や家族が減りますように願います
名無しさん
学校行けない子が居ても良いと思う。
イジメとかで死なれるより、学校行けなくても学べる場所は沢山あるしね。
不登校50年も良いけどさ、イジメは何年になるんですかね‥w
名無しさん
理由にもよるが、いじめなら自殺するより不登校のが絶対にいい。学校以外で新しい友達が出来て、社会に慣れていく受け皿がもっとあればいいのかなあ。
名無しさん
朝起きれないって病気は有るそうです。
又、いじめられて、誰にも救われない環境の中で丸腰で戦えとも言えません。
親を責める方もおりますが、親だって辛い。育て方を間違えたのか責める。
親の背中をみる子供も辛い。
実際、同じ目線の子供同士の方が解決策を見つける事ができる事もあります。
本人の勇気とちょっとした後押しで小中なら柔軟に変われる。
…と思う事が最近あったので、参考までご報告しました。
名無しさん
マスコミやメディア関係、芸能人もそうだけど、まともに学校行ってない人が多いよね。行ってても嫌われ者してそうだ。
文科省の役人もそうだけど、イジメとかすごそうだし(^_^;)あんな開成や森友学園に通学するくらいなら、不登校してる方が立派な人間になれそうなんだけど。
なんでそこまで学校にコンプレックスがあるのかね?。コンプレックスがある人ほど教師になりたがるしPTAにも参加したがる。
私は不登校じゃないけど学校が大嫌いでした。
コンプレックスもないから学校に関わらずに生きていきたい。
学校より社会の方が楽しいよ。
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不登校=子供が問題提起してるってことじゃないの
学校制度から解放されて清々してる社会人のほうが多いでしょ
名無しさん
まさに今不登校になる前の微妙な状態の小学生を育てていますが、最近思うのは自分の子供さえ良ければいいと思っている親が多い事です。
クラス替えの時、担任にうちの子と◯◯ちゃんを同じクラスにして欲しいとお願いする親がとても多いのです。
そして実際同じクラスになるのです…。
不登校にならないように、何も問題ないうちから親が先に手を打とうとするこの状態を変えて行く必要がある気がします。
実際にケアの必要な子供に先生の目が届きません。
名無しさん
不登校は心配なことではあるけど、悪いこと(犯罪)ではない。
現に、不登校経験者でも社会で活躍している人はたくさんいる。
ただ、心配は掛けるので、元気だということは周りの大人に伝えて、あと家で勉強していれば大きな問題はないと思う。
名無しさん
私も中学2年の時に不登校になった。
そこそこ問題のあるクラスに割り振られて、いじめにあって、保健室登校してたな。
3年には友達が多いクラスにしてもらえたけど、受験の成績に響いたよ。
不登校は甘くみないでほしい。無理に行かせる前に、行ける環境を作って欲しい。もしくは、自宅学習とか保健室や別の場所を用意して欲しい。
私はその頃精神を病んだのか、今でも情緒不安定で通院してる。
同窓会も行きたくないし、今でもいじめた奴らを恨んでる。
こういう子供は増えてほしくない。
名無しさん
名無しさん
最短でも1年間は同じクラスで過ごさなくちゃいけないのがダメだと思う。
長くても6か月程度でクラス替えしたほうがいい。
1年間同じメンバーで過ごすのは、クラスになじめない人にとっては地獄。
同じメンバーと長く過ごせば過ごすほど
強い人、弱い人がはっきりしてくるし
いじめが発生しやすくなる。
名無しさん
厳しい言い方だけど社会に適合できないダメ人間。
ゆっくりでもいいから若いうちに自分の足で歩くことを覚えないとどうしようもない。
まりも
なんだかんだと専門家が不登校の理由付けをし、学校に責任があるかのように言うけれど、多くの不登校児は甘えから始まっているのではないかなと思う。何日か休んでる間に勉強や友人関係に出遅れたような、ちょっとした疎外感から一週間、一月…。
人への関心が薄れているから、友達が何日も休んでいても気にしない子どもたち。
不登校児を受け入れるフリースクールなどもあるけど、社会に出たとき自立できるのか?働かないで病人扱いして生活保護?なんだか納得できないかも。
名無しさん
学校と便所は同じなんだよ、って言って聞かせなあかん!情けない両親やなぁ。学校くらい首に縄つけてでも行かせなあかんで!
名無しさん
自分も「学校(小学校)へ行かれない子供」だった。
給食の食パンが食べられなくて、食べられるまで食器下げてくれなくて(現在なら、教師が処分される案件)。そんなことがきっかけで、朝、家を出られなくなった。
もし「行きたくなければ無理しなくていいよ」と言われれば、多分、いや絶対、5年生から学校へは行かなかっただろう。
でも、こんなこと言うと批判が多いと思うが、今にして思えば、行っておいてよかったと思う。日本の教育制度を根底から変えられるならともかく、現行制度では義務教育を途中で抜けるのはリスクが大きすぎる。
いじめから逃れるとか例外的なことはあるけどね。
小学校5年から中学2年くらいまでの「危機」を脱したあとは、けっこうすんなりと進学コースに乗って、無事国立大学に行くことができた。
韓国大好きっ子(17歳)
頬に張り手かまして、無理矢理引っ張り連れていけば不登校児なんていなくなる
名無しさん
小中の時、学校に行くのが当たり前だと思って、何の疑問ももたずに行ってましたので、学校に行かない人の気持ちがわからないです。
ちゃんとした理由があるのなら、引きこもってないで気持ちを訴えていかないと解決に繋がらないと思います。
名無しさん
学校や友達大好きなのに起立性調節障害で体調悪くて学校に行けない子がいます。体調が回復する夕方には学校が終わってるわけで、支援もなく途方にくれてます。不登校といってもサボりじゃない。甘やかしてるわけでもない。その子に合った学べる環境がないだけ。
名無しさん
50歳になるまで不登校なのかと思った。
名無しさん
ニュータウン的なところはよく似た環境の家庭が集まってて、学校もその子ども達なわけだから、多種を認めない閉鎖的な思考になるのかも
名無しさん
学校へ行くか、さもなきゃ死ぬか、そんな選択しかないのはやっぱりおかしい。学校へ行ったからって将来が保証される時代でもないし、いい大学を出てセクハラばっかりの優秀な人たちを見てると、学校ってなんなの?と思う
名無しさん
学校生活に違和感があって通えないのであれば、塾でもフリースクールでもいいから別の場所を、出来るだけ早目に与えておくのは親の義務だと感じます。
月日が経てば経つほど、親子共に踏ん切りがつかなくなり、泥沼化するかと思われるので。
存在意義や、認証欲求はどんな子供にもあるはずなので、家庭以外の居場所を見つけ出せないまま大人になるのは可哀想すぎます。
親は試行錯誤はしつつも、毅然として導いてあげないとならない…難しい問題ですが。
本人が一番キツい闘いと、理解した上で。
名無しさん
いじめは加害者を追放して欲しいね
なんでいじめられてる子が不登校にならなきゃいけないのか
そんなの加害者の思う壺だ
名無しさん
学校教育法 見直すべき 不登校でも学校は卒業できる しかし それは義務教育までは同情されるがそれ以上は自己責任になる。そこまで誰も救ってはくれない
名無しさん
子供と長時間過ごす母親が責められることが多々あるが
子供の全体像を視界に入れていない父親の問題も大きい
仕事に逃げ込み子育ての煩わしい部分から逃避する未熟な父性では
機能不全家庭と呼ばれても仕方ない
昔のような頑固オヤジは滅亡しかけている
父親が母親のように子供に優しく甘く接するだけでは
子供を打たれ強くすることは難しい
病んだ家庭はどこかに、病状を呈するものだ
名無しさん
別に学校行かなくてもいいんだよ。
ちゃんと社会で生きていける知識、技能を身につけることができるのなら。
学校で出来ないこと、身につかないこと、身につけていけばいい。
ただなんとなく嫌だというだけで、家で何もせずに過ごして困るのは自分。
社会に出れば理不尽なこと、嫌なこともある。人生そんなに甘くない。
名無しさん
社会ってのは理不尽だらけであって、そんな中でも生きていく為には働かなくてはいけない(金を稼がなくてはいけない)
イジメなどでの一時的な不登校は仕方ないと思うが、慢性的な不登校は子供を弱くしてるだけだと思うけどな
名無しさん
日本の学校は休み時間が多過ぎる。外国のインターは虐めなどしてる暇がないよ。休憩時間がないから、授業中に手を上げてトイレに行かせてもらう。お昼休みは宿題忘れた子や宿題で悪い点数を取った子の補習時間。呑気に虐めする時間なんかやるから、いつまでたっても英語も話せない。道徳で愛国主義者増やすなんて虐めを助長するね。
名無しさん
学校へ行かなくても良いけど、その代わり何をするかを子供と一緒に考えて、最終的に子供に選ばせないと意味ないよね。親自体をシャットダウンしてるならアウトだけど。
最近不登校流行ってんの?ってくらいクラスに数人いて驚いたわ。中3の3学期の参観日で。
ウチならば山村か島留学を提案してみるかも知れない。
名無しさん
不登校
いつか働く
必要が
でもそこからも
逃げてナマポか
名無しさん
公立が一番の不条理、、玉石混合だ。
さらに中学になると社畜軍隊式に成る。日本人特有の硬直化した制度は変わらない。
これに感受性の高い生徒が拒否反応する。
スリープ
その後の不自由さを考えると、そこまで我慢して学校に行かなきゃ良かったと今思う。学校に行くか、死ぬかしか無い様な世の中だったから。これから色んな選択肢が出来て行ったら良いね。
名無しさん
不登校が学びの時期になるよ。きっと
名無しさん
今と昔は違うんだよ色々と昔ならそれ一本でいけた時代しかし今は違う最低でも中学は出てないと通用しないだからもし同じ人が今と昔なら今なら中学は行っとけと言うと思う
名無しさん
何のために、小中学校に行っていたのだろう?嫌な思いをした記憶の方が多い。勉強なら、下手な教師に教えられるよりも自分一人の方が効率良くできた。義務教育は子供のために必要なのか?
名無しさん
ハッキリした理由無い場合も多いのかも。まず先に内側に変化が有ったり。内圧が減るみたいな感じ。
身体、感情、頭。の順で優先してあげつつ3つが望むものが一致できるよう整えていく感じかな。
やれる事やりたい事やるべき事、とも言い換えられますよね。
まずやれる事。やりたいという微弱かもなシグナルも無視せずやってみる。失敗しても良い経験。やるべき事はその先に見えてきます。
3つが整うとエネルギーが湧き始めます。年季はいつかは開けます。その時に備えましょう。
良い季節だし(^^)楽しく過ごすと決めましょう。
名無しさん
不登校の理由や原因は各々違うから、一律な対策は難しいでしょう。
例えば、集団がダメで沢山の人がいると吐いてしまうと言う例も見た事があります。
こんな例であれば、学校に何とかしろと言うのは無茶な話。その子の為だけに、個別教室と全科目を個別指導するのは不可能。通信制の学校に転校するなどの対策が必要でしょう。
不登校の子に『無理に学校に行かなくても良い』と言うだけなら簡単。問題は避難した後にどうするかです。
人間が生きる為には何らかの社会貢献をして対価を得なければなりません。その為の下準備としての学校へ行かない選択肢は難しいです。例えるなら、学校→社会は地図もあって舗装された道。学校へ行かずに、進むのは整備されていない道で地図もない状態。そこを進むのは、簡単ではありません。
学校から避難して、目的地である社会貢献にどう辿り着いていくか。その道筋を考えさせる事も必要だろうと思います。
名無しさん
結局読み書きと計算、社会の仕組みとかがわかるようになればよい。
学ぶこと=通うに固執し過ぎだと思う。
名無しさん
学校は勉強が嫌いでも楽しかったり普通に自分が存在できれば毎日行くよ、原因は能力の低い子供を偏見したり暴力を無視すれば不登校は生じる、早い話が「人間教育」の不足。
やまやま
登校拒否:行きたくないから行かない
不登校:行きたいけど行けない
一時期使い分けていたけど、今は子どもや保護者の選択登校かな。
支援拠点や通信制等の教育制度。学校に変わる子どもの過ごし場所が整備されたから、不登校でも大学まで出られる。
そこから先の居場所をつくってくのか?、そこでかつて学校に引っ張り出そうとしたように社会に引っ張り出すのか?
それはこれからの課題。
「忙しいのに学校なんか行かせられるか」という登校拒否は、義務教育制度が導入された明治時代からある。子どもは労働力だったから。

 

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