新しくできた保育園から聞こえてくる「子どもの声」に対する苦情が近隣住民から出ていて、大きな問題になっているーー。そんな記事(『子どもの声は「奇声」扱い、不寛容社会が生み出す「騒音問題」…少子化で反発が激化』https://www.bengo4.com/c_1018/n_7339/) を掲載したところ、賛否両論のコメントが集まりました。
この記事で、騒音問題にくわしいニッセイ基礎研究所の坊美生子氏が、「どこからクレームが飛んでくるかわからないので、保育園にしても、地元の人とよく話し合いをして関係づくりをして、未然に防止するしかない」と解説しました。
読者のみなさんはこの問題についてどう考えたのでしょうか。コメント欄の一部をご紹介します。
目次
●今の大人も皆「子どもだった」ってことを忘れないでほしい
子どもたちの声を「奇声」扱いする世の中に寂しさや戸惑いを覚えるという声が多く上がっていました。
「今の大人は皆、『自分も子どもだったことがある』って事実から目を背けているような気がします」(40代・女性)
「自分達だって散々その『奇声』を発してきたくせに、何を言ってるんだかとバカバカしくなると同時に、こんな世間に悲しさすら覚えます」(30代・女性)
「もっと子どもがのびのびと元気よく育つことができる、育てることができる世の中になってほしいです」(30代・女性)という女性の声が印象的でした。
●騒音問題は、人によって受け取り方が異なってくるもの
一方、迷惑だと感じる人がいるのは仕方がない、といった意見もありました。なぜなのか。その理由についても耳を傾けてみましょう。
「騒音問題は、育った環境で随分と受け止め方が異なります。これはそう簡単に解決できる問題ではありません」(匿名)
「体の具合が良くない時、特に寝たきりや、それに近い高齢者などが聞かされ続けるのはかなり辛いのではないかと、容易に推察できると思うのだが」(30代・男性)
つまり、その人の置かれた状況によっては、「子どもの声=うるさい」と感じてしまうのは仕方がないという意見です。
この点については、元の記事では、クレームが増えた背景として「生活環境の変化です。(中略)地域で、人の入れ替わりなどがあると、うるさいと思うようになる」と、ニッセイ基礎研究所の坊美生子氏も指摘しています。
●注意しない親も悪い
一方で、親を非難する声も上がりました。
「意味もなく奇声を上げている子どもはたくさんいますよ。親御さんも無視し続けて注意もしないし。中学生になっても道路で奇声上げてる子どもは大勢います。ただただうるさいとしか感じません」(30代・女性)
●「寛容」の押し売りはいかがなものか
また、奇声扱いするな、という声は「寛容の押し売り」 との批判もあがりました。
「全ての人が保育園の周りに住んでいるわけではない。実際に『奇声』に苦しんでいる人たち以外が『寛容』の押し売りをするのはいかがなものか。いったい、彼らを批判する人たちの何割が、実際に(自分の子ども以外の)地域の子育てに参加・協力しているのだろうか」(30代・男性)
●迷惑はかけて、かけられるもの
これについて、解決策を提案するコメントも寄せられていました。
「被害にあっている人達を寛容という名のナイフで突き刺し『寛容であれ』と批判するのではなく、むしろそういう人達に『寛容』をもって、寄り添う事から始めたらどうだろうか」(30代・男性)
「子どもの権利を事細かく入れ、法律的に守ってやるしかないのではと思う」(50代・男性)
「迷惑をかけるな、という教育が良くない。(迷惑は)かけて、かけられるもの、と、教えれば良い」(40代・男性)
誰にでも子どもだった時代はあります。赤ちゃんや小さな子どもが、保育園や公共の場でいっさい泣かず、大人しい態度でいるように求めるのは無理があるのではないでしょうか。
最後に紹介した方が指摘するように、「迷惑をかけるな」という考え方が私たちの暮らしから寛容性や余裕を奪っているのかもしれません。
皆さんはどう考えますか?
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180403-00007599-bengocom-life
みんなのコメント
物静かな子供もいるでしょ。自分基準でしか発言しない人とは解決の糸口が見つからない。
その時の自分を優先してほしいって周りに求めるより、周りに迷惑かけていないか教育しないと、自分の都合を押し付ける大人なるぞ
静かにできていたのか気になります。
こっちはそれを期待して読んだんだけどね。
夜勤でクタクタになって帰ってきて
さぁ寝ようというときにずーっと奇声。時期によっては
お遊戯会や運動会の練習で賑やか。
正直、メンタル病みますよ。すぐ引っ越せたので良かったのですが、引っ越せない人たちはキツいだろうなあと
思ってた。
↑この意見が一番うざい。そんなの当り前だ。
と言いつつ、自分は保育園から出る音くらい許容しろ派である。
問題は、保育園を作る土地がない事。もっと予算を増やして条件の良い場所で開園できればよいのだが。
っていうか、日中の騒音なんて会社員はほぼ聞くことはないんだから高齢者からのクレームなのかなあ。
子供は国の未来だ。あなた方のお父様はお兄様は国の未来(あんたのことだよ)のために行きたくもない戦争に行ったのだ。子供の声くらいお国のために我慢しなさい。
若い奴らはどうかって?彼らは職氷河期や好景気を経験していない世代として頑張っているじゃないか。どの世代も大変なのだよ。
だが、保育園が隣に建ち、親は非常に迷惑している。
言いたいことは、隣に家があるのだから防音壁を最初から作るべきなのに、なにもないから声が筒抜け
子供が大声を出すのはある意味当たり前。
しかし、建築側の大人の配慮が全くない
保育園や幼稚園での「謎のはやしたて奨励」がなくなれば、近隣住民と子供本人の苦痛も軽減されるのではないでしょうか。
近所に保育園ができるとそれが何十年も続くわけだからな
どこか田舎に広い土地確保して建てるのが一番だ
少子化の世の中で増設する意味がわからん
無理して都市部に出てくるから足りなくなるんであって
どうしても保育園に入れたきゃ郊外へ拠点を置けばいい
働いてみると分かりますが、保育園って狭いですよ。(お金のある所は基準以上の面積があり、広いですが。)
広い駐車場があれば送迎時の駐車トラブルなども減るでしょうし。
入園出来ない理由も開示して。
ウチは後者のパターンだが、幼稚園&保育園の子供の声より、保護者のバカ笑いや話し声、ゴミのポイ捨てなどのマナーの悪さがカンに触る。
人んちの前にゴミ捨てていくなー!
人んちの前に車止めんなー!
人んちの前でデカい声で騒ぐなー!
自分の親世代(現在60くらい)も、送迎の前後に自分たちほっぽって、よく立ち話してたし…
「おか~さん、まだ~早くかえろうよ~」っていつも言ってた(笑)
自分の祖父母、曾祖父母世代も 近所の知り合い見つけてはどーでもいい世間話をデカイ声でしてたよ(耳がわるいのもある)
なんなら、現代でも 昼間の路上、スーパーの通路、カルチャーセンターやスポーツジム近くのカフェでギャーギャー言ってる 中高年グループ沢山いらっしゃいますよ~
自分は子育て時代ちゃんとしてた…って思ってるのかな??
大昔で忘れただけじゃない?
もしくは、子育てノータッチだったおじさん、おじいさんがコメントしてる?
自分は 違う立場の人責める前にちょっと考えるようにしよ~
保護者のマナーがなってた時はあまり感じませんでしたが今は自衛隊の飛行機の方がマシに感じます。
◯◯ちゃんがおもちゃ取ったとかじゃなくて奇声が凄いです。
保育園の建物を音楽スタジオのような完全防音にしてはどうだろうか?
余談だが、今住んでる場所から目と鼻の先に保育園があるが防音性の高い家に住んでいるのであまり気にならない。
1歳から保育園に預けていましたが、保育園は長時間保育になるため、子どもにストレスをかけないように、余り厳しくしたりしないようにする傾向があると思います。その反動で自由人になりがちで、親としては限られた時間で躾をしようとしても、1歳から親なしで育った子どもは、親などいなくても大丈夫であることを学び、言う事をきかないし、躾に本当に苦労しました。
幼稚園は、家庭で基本的な躾を受けてから通うし、通園がバスだったり、一箇所にお迎えの保護者が集中することもなく、保育園より日常的な迷惑は少ないのではないかと思います。
増えるのは保育園ですから、そんな躾ができてない子どもが増え、かつてより、ご近所にご負担が大きくなっている可能性はあると思いました。
こどもの声はなんか微笑ましいし、多少うるさくても、元気があっていいなと思えるけど。
ただ、最近のお母さんは子供がぎゃあぎゃあ引きつるように泣いていても知らんぷりスマホしている人多いのです。なんで優しく声かけてあげるなり、抱っこしてあげるなりしないかなぁ?と、止まらない泣き声にこちらが苦しくなります。
登園時の保護者の声も、うるさいのはわかります、だけど初めての登園だと、何かと知らないこと多くて聞きたいこともあるのかもしれません。そういうの、春が多くないですか?
因みに我が家の周りに3つの園があります。
最近急に増えました。
ひところ話題が炎上したベビーカーの問題も、出勤時の電車は当たり前だけど混んでいます。こちらはお子さんがつぶれるのではないかとヒヤヒヤします。
寛容になりたくても苛つくときもあります。
そう思う人、そういう場合があることを分かってほしい。お互いの思いやりが大切だと思います。
絶対に近隣住民(徒歩通園)までに限れるなら賛成したい。
小学校、畑、図書館、市民センター、農業試験場、神社やお寺、変電所、お店、会社の事務所、雑木林、川、お墓、町工場、ゴルフ練習場、バッテイングセンター、公園、考えられる手って案外いっぱいある。
本当は、何も宅地の隣に保育園をわざわざ新しく作ることないわけで、都市計画の中で予め考えて行けばそれほど問題にならなかったんじゃないかと思えてならない。
子どもが騒いでない保育園って虐待でもしてんのかと心配する。
キーキー奇声は保育士が宥める必要があるだろうが、ゼロにはならん。
ただ、それを送迎する大人は回りに配慮しなきゃね。
配慮する姿勢が見えれば周囲もある程度寛容な目でみれるのではなかろうか?
これも、人権・権利の主張ってやつですかねぇ・・・・・・
マナーを守れない親が多いのも理由のひとつ
かもしれない。子供は騒ぐもの!と言って
躾けない親もいてるし。
園庭を個人宅の真隣に造るからだ。
そういう場所をわざわざ選び、
そういう設計をするならば、
うるさいと言われながら園の運営を
していくしか無かろう。
いっそ世代間扶養をなくしましょう。
以後年金は支払われません。払った実質のお金は上の世代が使ってきたのだし、いまの子どもたちが育つために社会貢献できないなら、もらう権利はないかと。
そういうことで、財源ができました!限定的な財源ではあるけれど、騒音対策くらいなら投入できるんじゃないかしら?いかが?
そうじゃない証言をまず集めてきてから起こりなさい
未来の日本を担ってくれる子供達です。
自分達も大勢の大人に寛容の心で守って貰って大きくなったんですよ、自分の子供の子育てを思い出して下さい。
お知らせもなく、ものすごい騒ぎ、
何十年も住んでいていきなりだもん、住んでいられなくなっちゃった。
手のかからないいい子だったって訳か。
こんな世の中でどうやって子を産んで育てられると言うの?
バカじゃないの?
先行きは暗黒だね。。。。まあ、今の政治状況を見ても、日本なんて国に未練はないけどね。。。。
だが、非常に厳しい一方通行な意見かもしれないけど、少子高齢化と言われている日本に住むなら我慢するしかない。または引っ越すか防音工事。
お金はどこから?と、なるだろうけど、それが出せない老後なら我慢しかない。
働き手がなくなり、税収が無くなり、公共事業がなくなりという状況が目の前まできている。
日本という国を、日本人で存続させるためには我慢しかない。
電車で、小学生が認知症サポーターの授業を受けているという広告を見た。
高齢者の認知症はサポートさせるが、子どもの存在はうるさいから消せなんて、ダブルスタンダードではなかろうかと思う。