ネットの反応

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あだ名にも種類があると思います。
苗字や名前が難しかったり、長い場合は少し呼びやすいようなあだ名にするとかなら、親しみがあって良いのではないかと個人的には思います。
しかし、人とは違う身体的な特徴に例えたあだ名呼びは、差別的であり、相手が傷ついているかもしれないのでやめた方がよいと思います。
あだ名呼びのそのものが悪いのではなくて、相手がそう呼ばれることで傷ついたりするのが問題だと思うので、相手が嫌な事はやらない、自分がやられて嫌だと思う事は他人にやらないということを、授業でしっかりと教えていくべきだと思います。
1 – 1
社会に出れば、嫌なことって沢山ある。
子供の時に感じるストレスなどの嫌なことは、それに比べたら相対的には小さいことが多いと思う。思い通りにならないことを我慢したり、乗り越えたり、慣れたり、又は初めは嫌だったけど案外よかったかもと、見方を変えることができたり‥

そういう経験を積み重ねていくことは人間形成の上で、大人になって独り立ちするまでの通過儀礼のように必要なことだと思うし、そういう小さな経験を小さな心で積み重ねてきたからこそ、大人になって社会の荒波の中でも頑張っていかれる基礎になるんだと思う。

それに、ドラえもんやちびまる子ちゃん等を見ても、そういう小さな心を痛めることや思い通りににならないことを経験したり向き合うことは、子供時代を豊かに彩るものでもあると思う。

1 – 2
相手が嫌なことはやらない、自分がやられて嫌だと思うことはやらない、というのは、本来、授業ではなく家庭で教えるべきことではないでしょうか。
そういう基本的なことを家庭で教えていない子が増えてきたから、学校でトラブル多発、そのトラブルをすべて学校の責任にする……
そういう風潮があだ名禁止、さん付け推奨に繋がっていると思います。
なんでも学校で教えるべき、授業で教えるべき、という風潮が教師の仕事をブラック化、多忙化に繋がって、昨今の教師不足や離職に繋がっているのではないでしょうか。
1 – 3
「自分がやられて嫌だと思う事は他人にやらない」
これが結構くせもので、皆それぞれ感じ方が違うから、自分なら冗談で受け入れることでも誰かにとってはすごく嫌なことかもしれない。小学校の頃嫌なあだ名をつけられて休みがちになったけど、周りはそれが理由だと分かってないと思う。
自分でさえ、今から考えれば大したあだ名でもなかったなと思う。

いじめってスタートは悪意からじゃなくて、好意からしたことが、予想外の反応で、反転して悪意になることが多いように思います。

「自分は大丈夫でも嫌に思う人もいる」
皆が違う価値観や感じ方を持っていて、それらは尊重されるべきものだということを教えるのが大事だと思います。

1 – 4
学校でトラブルが発生しないように対応するパターン1つですから仕方がない水泳事故が発生すれば、事前の指導と現実の指導、すぐに水には入れる服装だったかが、指導の適切さを証明できることになる
理科実験で事故が発生した場合も、教師の注意喚起の有無が教師の責任追求の尺度となる

あだ名に起因するいじめトラブルが増えているのだから、
日頃から「あだ名」の使用について注意喚起しなければ
いさ、トラブル発生時には無策と非難される

世間が学校を細かいことで追い詰めているのだから
学校が最大限の予防策を考えるのは当然の結果です

1 – 5
学校の自衛策としてはやむを得ないあだ名がすべていじめにならないというのは確かだが
「この人にあだ名を言われるのは良いが、あの人があだ名を言うのはいじめだ」という子どもを何人も見てきた
だとすれば、あだ名を禁じて、正式な名前を「さん」付けで呼ぶことを推奨するしかない

言い聞かせれば良い、良い雰囲気をつくれば良いなんて対策にならないよ
教員のほとんどは、それを心がけている
生育歴、親の考え、本人の特性等々
SNSで誹謗中傷するなと言われても、大人だって守れないでしょう?

教師は、道徳的にも成長させる努力義務があるけど、世間が100%求めるのは違うよ

1 – 6
いじめなどの根本的な解決にはならない。あだ名で呼んでもいいがそのあだ名の内容によっては呼ばれる方は傷つく人もいるなどしっかり話を持つ必要があるのでは。見えないところでいじめの対象となる子どもだけに「さん」を付けて呼ぶとかさん付けを使ったいじめも発生する可能性もある。表面だけ変えても意味が無いと思います。事故が起きるから公園で遊ぶのをやめましょうってのと同じで、大人が楽な様に対応しているようにしか感じない。
1 – 7
あだ名禁止をやってはダメ!とまでは思いませんが、個人的には疑問を感じています。
それで虐めが減るようには思えないんですよね。虐めの発生件数も増減も、正確に把握する事は無理なのだから、効果を調べようがないし、頑張っても推測値しか出せないわけで。

結局、効果があったかどうかは分からないけれど、元に戻す理由も無いので、何となく継続しましょう。
となるんだろうなと。

対策しています!のポーズにはもってこいですが・・・。
本来ならば、スクールカウルセラーを設けたり、嫌だと感じた時の主張の仕方、嫌だと言われた時の対応の仕方を、年齢に合わせて教える方が、虐めを減らせるのではないかなと感じました。

教師の負担が大きくなるのなら、税金を使って人員を配置しても構わない。
賛同を得られるかは分かりませんが、他の予算を削ってでも、子供を産み健全に育てる事に、お金を使うべきだと思うので。

1 – 8
憲法9条改正を睨んだ重要な動きですね。
生徒同士が互いに敬称を以って呼び合うというのは、
戦前の教育現場では当たり前のことで、
更には上流家庭では母子や兄弟でも敬称を使用していたようですね。
こういった普段の習慣が社会に於ける規律を生み、
男の子たちは特に卒業後の兵役の際、
スムーズに軍隊生活に順応することができたのでしょう。
ウクライナ戦争で先が見通せない中、
有事の際には今度こそ日本を勝利に導くべく教育現場も一丸となって頑張っておられるのですね。但しこのようなせっかくの習慣も学校だけではダメで、
家庭、職場、部活、塾の全てに於いて統一しなければ意味がないので、
政治のサポートも不可欠ですね。

1 – 9
集団生活の中で成功と失敗を繰り返し、経験を積み重ね、人間関係を構築していく。むしろ社会に出てもずっと必要になってくるスキル。今の子は大変だと思う。小さい時からYouTubeがあって、ただ「与えられるだけ」の情報の一方通行で、自分で考える機会が減ってると感じる。

さん付けしましょう、あだ名は禁止です。そこに、どんな意図があるのか?ってところまでしっかり考えられるなら、意味を持ってくると思うが、そこまで考えられる年齢の時の話ではないような気も。

1 – 10
まー、無意味だなとは思うけれど、それによって救われてる気がする!と思う人が居るなら良いんじゃないかな。毒にも薬にもならない案件だと思うし。

自分の子には、学校以外でのあだ名禁止はしないし、嫌なあだ名をつけられた時の対処法、相手が嫌がっていないかの確認の仕方、相手に嫌だと言われた時の対処法を、家庭で教えるから。

理由も説明したうえで、学校では、あだ名使わないようにしなさい。
と教育すれば良いし。

他の家庭も、似たり寄ったりの感じになるんじゃないかな。

2
「もし、教育関係者がそう考えているなら、非常に危険だと思います。うわべだけを取り繕って安心してしまえば、根本的な対策はなされないままだからです。」この意見に同意。教師の前での表向きの呼び名の影で、裏の呼び名が横行する可能性が高いと感じる。これまで顕在していた問題が潜在化し、教師がそれに気付きにくくなるリスクがある。あだ名はある意味ではいじめの兆候を見つける1つのきっかけにもなり得る。それが見えなくなることで「いじめが減った」と判断するとしたら、それは教育の怠慢だと思う。子どもに失敗させない転ばぬ先の杖が、必ずしも子どもを育てるとは限らない。

2 – 1
いじめがあった時に、全責任が学校とその職員にある!みたいな風潮が無くならないからじゃないの?諸悪の根源は加害者とその保護者なはずなのに。被害者側も、「学校がちゃんとしていれば防げたのでは」「なぜいじめを把握していないのか」と加害者ではなく学校を責める。勿論学校側の対応がまずいこともあるし、最悪のケースになる場合もあるけど、全部が全部そうではないでしょ。
子供の問題行動は教師の指導より親の影響の方がデカいと思う。なんでも学校に押し付けるのをやめないと、こういう謎ルールは増え続けると思う。
2 – 2
先生方は自分の管轄である学校内だけ平和であれば良いのでしょうね。
実際に社会に出れば良し悪し関係なくあだ名は存在するし付けられることもあるでしょうが、卒業してから後に子供たちにあだ名に対する免疫が有ろうが無かろうが、学校や先生には関係ないとの判断なのだと私は理解しました。本来、いざ学校を卒業してあだ名を付けられる子供たちの事まで考えれば、あだ名禁止でなくどんなあだ名が世間にはあって、何が問題とされるあだ名なのかを教えるべきではないでしょうか。
世間は綺麗事ばかりではないということまで教えて、はじめて教育だと考えます。

悪い面があるからダメ、表立ってやるのは憚られるので教えないという発想は、これまで性教育に消極的だったことと同じだと私は考えます。

2 – 3
さん付けで呼ばせることがいじめを解消したり、減らす目的があるとするなら、とんだ茶番だ。だいたいそんな安直な考えで解消に向かっていくなら、もっと早くに導入されていただろうし、そう簡単にいくのならこれだけ手軽で無責任な話はない。また、それでいいと思った学校側がいじめ対策を怠ることも考えられる。
すべての年代で”さん付け”が有効ではないはずだ。子供のころから友達関係を育み、ときにケンカをしながら友情や絆を深めていくには、親しみを込めて”あだ名”で呼ぶことは必要だと思うし”呼び捨て”にすることで、より親近感が増すこともある。
いじめの本質を呼称だけで解決しようとすることに大きな問題がある。子どものころからさん付けで呼ぶのと、大人になってからさん付けで呼ぶのではシチュエーションがまったく違う。子供のころは壁を作らず接することが必要で、成人になってからのそれとは人間関係の性質が違う。故にさん付け反対。
2 – 4
私個人としては、公私を分けるのに「さん」づけはあってよいと思う。あと、やっぱり自分の名前も相手の名前も大切にしてほしい。
いじめは、必ず起こるもの。問題は早期に見つけて、きちんと対応していくこと。
「さん」づけをいじめ対策と捉えると逃げに感じるけど、名前を大切にすることは相手を尊重することだと教えていくのも大事だと思う。
2 – 5
> norさん、教師も普通の大人です、多くを求めすぎです、出来もしないことを求めてはいけません。これは小学校の学級担任制の弊害で、担任によって指導の特色や力量の差異が大きく、また閉鎖的でもあるため、こういう分かりやすいルールが求められる傾向がある。中学校ではこういう発想にはならない。小学校でも早々に教科担任制を導入すべき。そうすることによって学級経営もよりオープンになり、指導の共通化も容易になり、問題となっている教師による猥褻行為などの抑止にもなる。子どもを見守る教師の数を増やす。これだけでかなり多くの問題は改善されると確信している。

2 – 6
子供があだ名禁止、さん付けで呼びましょうという小学校でしたが、いじめは普通にありましたし、学級崩壊気味のクラスもありました。
表立って不快なあだ名で呼ぶことがなければ、「いじめはありませんでした」「いじめ対策していました」って言いやすいのかな?という印象でした。
ただ、人権標語で、あだ名より素敵な名前で呼び合おう的なのを考えたのが子供だったので、親の付けてくれた名前を周りも大事にしてあげるという考え方はいいなと思いました。
2 – 7
大人へのアンケートで学校であだ名があった人のうち嫌な思いをしたという人が1/3以上もいた。これをずーっと放置し続けるほうも問題だと思うけど。「さんづけ」で子供たちが嫌な思いをするのが少なくなるなら良いんじゃないのかな。不便になるわけでもないし。
学校は安心してストレスなく通えることが一番だよ。

学校外ではあだ名があるという話もあるけれど、学校では気が合わない人とも同じ空間で過ごさなければいけないけれど、学校外では一緒に遊ばない近づかない等距離がとれるしね。

2 – 8
コメ主の言うとおり。結局は学校側がリスクを負いたくないだけ。生徒の気持ちを尊重するとかトラブルを避けるとかいう名目で自分が逃げているにすぎない。マスクにしてもそう。文科省が脱マスクの通知を出したのに、いまだに登下校ではほとんどの児童がマスクをしている。屋外での脱マスクについては先生や親だの関係なく、社会に生きる大人が一人でも多くマスクを外し、その姿を子供に見せてやることが今年の夏の務めだが、それとは別に学校ではどのような指示をしているのか不思議でならない。コロナ対策も熱中症対策も、その本質は健康被害を防ぐこと。命を守ること。コロナと熱中症、どちらのリスクが高いかを考えれば、学校はどんな指示・指導をすればよいのか自ずと答えは出るだろうに。文科省の通知は「学校がリスクを負わなくても良い」と同義なんだぞ。そこまでお膳立てがあって、なぜしない?なぜできない?先生と呼ばれる人はもっと堂々とあるべき。
2 – 9
まったく同感、そもそもあだ名をなくしたらいじめが減ったという因果関係がどのように示されたのか?
そうすると無くなるんじゃないかといういつもの「だろう」方針ではないのかと思う。
日本の教育によくあるエビデンスに基づかない教育の一端...
最終的には子供たちを会わせなければいいのではないかと、すべての授業がオンラインになるとこまでなってみればいいと思う。
あだ名がいいことばかりとは思わないが、大人となった今となれば、あだ名やニックネームで古い友人や先生たちを思い出すこともある。
子供たちの学校生活の友人関係が希薄にならなければいいなと思います。
2 – 10
学校は生徒指導するのが面倒なんです。
地域からわけのわからない苦情電話は寄せられ、家庭からもわけのわからない批判を浴びせられ、教員一人一人の仕事は増える一方。
何とか無駄を省くために、事前に面倒になりそうなものにルールを設けて防ごうとする。自然の流れです。
もっと人間味のある学校教育を目指すなら、教員を1.5倍~2倍にしないと回りません。もっと本質を見てほしいと思います。
3
吉田ならヨッシー、渡辺ならナベちゃん。
自分の苗字と仲良くつきあっていくものがあだ名と思う。
身体的特徴や生まれにちなんだ差別的なあだ名が原因としていじめに繋がるのを防止するといった理由も理解できる。
本来は、学校現場にいる教師がそのあたりを指導できればと思うが、現代の教員の業務量ではそんなことを指導する時間がないというのが原因だと思う。
教員の業務量を軽減できるような見直しを行ってほしい。
3 – 1
〉教えるためには、学校で何が起こっているか詳細に教えてもらう必要があります。
何が起こっているかわからなければ、一般論でしか話ができず、そういう話は小学生(特に低学年)には通じません。詳細でなくても、夕飯時に学校での話をする、友人との話をする
小学生ならそれでなんとなく状況はわかり、対応もできると思います
先生にまで相談しなきゃいけない状況なら先生に相談すればいい

こういうあだ名がいいか悪いかは、結局本人がいいと思っているかどうか

本人が嫌がっているとして、それをちゃんと言えて周りも受け止めることができればいい

3 – 2
そういうのは親もちゃんと教えるべきでは?
教員の業務量が多いのは、本来親がやるべき指導をどんどん学校に押し付けるから。箸の持ち方すら「なんで教えないんだ!」ってクレームつける親がいるくらいだから。教育は学校だけがするものじゃないんだよ。親も仕事してて忙しいのはわかるけど、それが親の役割を放棄していい理由にはならないと思う。
3 – 3
〇〇子〇〇美を〇〇さん、〇〇ちゃんと呼ばれてきた人は多いと思う。私もそうだ。これはあだ名とは違う。名前を短くして呼ぶ。
そこまで規制しているのだろうか。例えば双美ちゃんを「ぶたみ」ちゃんと呼ぶなら悪質なあだ名となる。
名前を短く呼ぶ通称は、親しさの証でもあり、チーム一体感を促すものでもある。
そこの違いはどうなってるのだろうか。

あきおくんをあきくんと呼ぶのはあだ名とは違うと思うし、足柄くんをあっくんと呼ぶのもあだ名とはちょっと違う。
渾名とはその人の特徴を表現した名であり、渾名を辞書で調べると最初に愛称、次に醜名(しこな)と出てくる。問題になるのは醜名の方であろう。

確かに尊称として、さん付けは良いだろうが、通称まで廃止し、醜名としての渾名の問題をただスルーするのはどうだろうかと思う。

3 – 4
そういうことを教えるのは本来親の役目ですよね
学校で集団生活を送るうちに身についていくものでもありますが…大人にも言えることですが、安全のためだのなんだのと言いながら、いちいち規則を作っていたら、本当に身動きが取れなくなってしまう

コンプライアンスや個人情報なんかまさにそう

3 – 5
以前、あだ名を付けられた本人が嫌がらないのならば、あだ名も許容するべきでは、と意見した。
すると、イヤと言えない子供もいる、と複数から反論された。
そりゃわかるんだけれど、小学生だから通用する反論だよね。こうして守られてイヤと言えないまま大人になる方が不幸だと思うのだが。
3 – 6
友達に付けて良いアダ名、付けちゃダメなアダ名とかを学んでいったりする経験も貴重な教育機会だと思う。友達の特徴捉えてて面白いと思って読んでたアダ名を友達が嫌がっていた、と知ったりして謝ってそう呼ぶのを止める、みたいな経験って色んなことに応用されると思うんだが。
まさに手を切ると危ないからハサミ使用禁止!みたいな話だと思う。
3 – 7
元々、日本は古来からあだ名で呼ぶ文化がある。 それを文科省や教育委員会のことなかれ主義のために禁止にするのは大きな間違いじゃないか。あだ名がいじめに繋がるから禁止というのはいじめしても構わないとなり本末転倒。いじめが悪いことだとはっきりさせないで、きっかけだけ排除しても教育にはならない。身の保身のために子どもから文化を奪ってはならない。

3 – 8
私が育った地域には、全国的にはそんなにいないけど、同じ苗字の人が沢山いて。
(最多の時は、クラスに7人同じ苗字。)
小学校に入った時に、担任の先生が同じ苗字の子がたくさんだから、ニックネームをつけましょう!って、苗字と名前を組み合わせたユニセックスなあだ名を付けてくれました。
苗字が変わった今も、地元に帰るとそのあだ名で呼んでくれる。
今の時代だったら、どうなっていたのだろうと思います。
3 – 9
実話だが、昔石本君が「いしもん」と呼ばれていたが、親が離婚を経て鈴木に変わった。
あだ名が3年くらい掛けて「すずもん」に変わったが、昔ながらの「いしもん」で呼ぶ奴も居てたまに本人がいない所でなんでいしもんなのか?と言う質問があった。
これだけ書くとだからあだ名は禁止と短絡的にとらわれがちだが、根本的な問題としてそれでいじめが起きた訳ではないという事。更に言えば名字にさん付けで呼びなさいだと、苗字が変わった友達に対してこの指導者たちは一体どうするのか。

こんな事まで決められたなら、子供はあらゆる許可や制度を用意されないと進めない。
干渉は本当にやってはいけない事だけでいい。

3 – 10
同意です。
「うわべだけ」と言う声もわからなくはありませんが、教育に専念できず、うわべだけでも何とかしなくてはいけない現状なんだと思います。
学校側を責めるのなら、学校や教員の仕事そのものを見直していかなくては解決しないと思います。
4
禁止は行き過ぎで、いじめを助長しそうだと判断したらその都度、教育的題材として話し会うでいいと思いますね。アダ名は他者との距離感とアイデンティティーの形成に良くも悪くも影響を与えます。もちろん悪い場合は矯正が、必要です。あだ名禁止は徒競走で順位をつけずゴールと同じ効果を生むことになります。

その経験を奪うことで子供のうちに経験しておくべき自分と他者との違いや他者からどう見られてるかという貴重な経験類が少なくなってしまいます。

これは大人では遅く子供の多感な時期だからこそ重要だと思います。

一時の問題行動だけをとらえてすべてを禁止するやり方は良くないかなと思います


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