デビューから20年、進化し続けるR1ヤマハが誇るリッタースーパースポーツYZF-R1が衝撃のデビューを飾ってから20年が経過しました。ここからは歴代のモデルを紹介しながら、その進化の過程を振り返っていきましょう。
そもそも、ヤマハがこのクラスにハイスペックなマシンを送り込んだのはFZR1000(1987年)が最初です。当時はスズキのGSX-R1100が最速の座に君臨していましたが、ヤマハの開発陣は最高出力や最高速にはそれほどこだわっていませんでした。
というのも、主なマーケットでもあったヨーロッパはワインディングの宝庫ゆえ、そこをいかに気持ちよく走れるかをテーマに掲げていたからです。
ヤマハはそうしたステージのことを「セカンダリー・ロード」や「ツイスティ・ロード」と呼び、大排気量マシンであってもコーナリングが楽しくないとバイクの醍醐味が半減すると考えていました。
そのため、パワーよりもトルク特性を、ハングオンよりもリラックスした姿勢で操れることを、シャープさよりも安定性を重視したマシン作りにこだわり、俗にいう「ハンドリングのヤマハ」の伝統を守ったのです。
そのコンセプトはYZF1000Rサンダーエース(1996年)にも引き継がれて一定の成功を収めましたが、その頃のスーパースポーツ界はホンダCBR900RRの独壇場と化していました。
なぜなら、1992年に発表されたそれは182kg(乾燥重量)という圧倒的な軽量車体によって運動性能を極限まで追求。それと比較すると他のモデルはスポーツツアラー然としていたからです。
遂にR1登場、軽さに挑戦したヤマハ開発陣
そんなCBR900RRを横目にヤマハ陣営がなにをしたか? それを初代YZF-R1のプロジェクトリーダーを務めた三輪邦彦さんはこう語ります。「軽さへのトライとして、まずサンダーエースからどんどん部品を取り外していきました。最後にはバッテリーも発電機も外し、ついに180kgを下回ったんですね。そうしたら“なんやこれ!”って思うほど自由自在に操ることができ、次期モデルでは絶対にこの乗り味を再現するんだと強く思いましたね」
それがカタチになり、YZF-R1として世界で初披露されたのが1997年秋のミラノショーでのこと。公表されたスペックは最高出力150ps、乾燥重量177kg(装備重量198kg)というもので、その時4代目へと進化していたCBR900RRの128ps、乾燥重量183kg(装備重量200kg)という数値を軽々と凌駕していたのです。
しかも車体にはヤマハのGPマシンYZR500で培われたディメンションが盛り込まれるなど、新時代を切り開くマシンとして大きな話題を呼んだのです。この初代YZF-R1をきっかけにリッタースーパースポーツの覇権争いが激化したと言っても過言ではないでしょう。
とはいえ、実にヤマハらしいのはそれだけのスペックを与えながらも決して一般のライダーを無視しなかったところです。YZF-R1はサーキットありきのマシンではなく、FZR1000やサンダーエース同様、あくまでも「ツイスティ・ロード」を重視した設計が施されていたところがポイントです。
そのあたりのことを小池美和さん(1998年ボディ実験担当・2002年/2004年プロジェクトリーダー)はこう回想します。
「サーキットも大切ですが、一般道で楽しめなければ意味ありません。だって市販車ですからね。しかもアウトバーンのような直線ではなく、コーナーを駆け抜ける時にいかにドキドキワクワクできるか。それがYZF-R1に込められた“ツイスティ・ロード最速”というコンセプトに他なりません」
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00010004-kurumans-bus_all
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