「三角関数」と聞くと、高校時代、数学の時間に苦労したことを思い出す人も少なくないかもしれません。そんな三角関数が今、ネット上で議論の中心となっています。
発端となったのは、1月1日に放送されたAbemaTVの番組内での橋下徹氏の「三角関数は生きていくのには必要な知識ではないのだから、選択制にすればよい」という旨の発言です。
興味や面白みを感じない生徒には不要!?
加えて、橋下氏は自身のTwitterでも、「興味や面白みを感じない生徒には、それ以上突っ込んだ三角関数の計算の演習は不要」
「今はあまりにも『死に知識』が多いシステム」とも投稿しており、ネット上で物議をかもしています。
噴出する「死に知識」発言への批判
特に三角関数を「死に知識」と評したことに関して、「必要だったかどうかは本人が学習してからじゃないとわからないのでは」
「自分が使わない知識を必要ないと言い切れる感性ヤバい」
「興味や面白みを感じない生徒は学ぶ必要がないって、教育なんかしなくてよいって言ってるのと同じでは」などと否定的な意見が多く挙がっています。
また、橋下氏の「大まかにでも職業教育を行い、自分の進路をある程度見定めて必要なことを徹底して勉強していくべき」という旨の言葉に対しては、
「突き詰めれば金銭的価値を生むかどうかだけが重要で、知性ある人を育てようとは思ってないんだろうな」
「教育は、その人が何になるかわからないから何にでもなれるように広く浅くでやってるのに、これだと結果として職業選択の可能性を狭めることになっている」といった批判がなされています。
根が同じ問題はこれまでにも
こうした「教育の実用性」についての問題は、これまで幾度となく話題になっています。2014年には文科省の有識者会議で、「G(グローバル)型大学/L(ローカル)型大学」という分類を行い、「一部の大学(=G型大学)を除いて、ほとんどの大学(=L型大学)は職業訓練校になるべき」という趣旨の提言がなされ、波紋を呼びました。
L型大学のカリキュラムは、「文学部はシェイクスピアや文学概論ではなく、観光業で必要になる英語、地元の歴史・文化の名所説明力を身につける」など、実務的な内容に偏っており、ネットでは、
「日本の文化崩壊につながる」
「教育格差がますます広がる」
「L型の教育科目、近いうちに全部AIで代替できそう」と非難する声が大半を占めました。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00009258-toushin-bus_all
ネットの反応
数式の知識に関しては、習った後に必要/不必要の判断は持つ仕事によって下されるのだろうが、その教育が必要か不必要かと問われれば、必要だと考えますね。
数式を解くという作業は理解する事に繋がる。理解力は人を豊かにする。
応用力もつく。
三角関数のみならず、円周率に至るまで、不必要な教育はないと考えます。
円周率を「およそ3」とした事でプチパニックに陥った事を鑑みても、決して略すべきではなかった。
問題なのは社会において必要/不必要ではなく、理解力を育てる事。
それが論議の中心になければならない。
ちなみに偏った意見と取られ兼ねないが、敢えて言うと私の経営する会社は技術系の会社だが、三角関数も知らないでは使い者にならない。さりとて技術系でない社員のアイデアで助かる側面もある。
やはりこれらは応用力の成せる術だと私は考えます。
距離、広さ、高さ、これらを認識する基本図形は三角形。三角関数から角速度も知ることができる。
狭量な男には無縁かもね。
小難しいことは若い時に学んでおくべき。一度忘れてもすぐ思い出すことができる。年取ってからだと一度学んでもすぐ忘れる。
そうは言っても生活に必要の無いとされる内容を授業のカリキュラムから外した時期に学校に通ってた世代はまた「ゆとり世代」って言われて、その世代の人達がサボって育ったって目で見られるんだろうなー。
それで円周率が「3」って言ったら普通に習った人にバカにされるんだと思う。
ゆとり世代の人達が望んでゆとり教育を受けたわけではないのに、それはそれでかわいそうだと思う。
自分が知っていることが全てではない。「知らない」と言うことに気づかなければ、それが「役立つ」かもしれない、「面白い」かもしれないことすら気づかない。だから、勉強や知識は必要。
生きるのには必要ない
勉強なんて要領でしょ
学校で教えてる事ぐらいできない時点で将来はお察し
馬鹿を篩にかけてるだけ
わかりやすい馬鹿発見器じゃん
三角関数って何の事か知らんけどw
生きるのに必要のない人もいれば、生きていくために必要不可欠な人もいる
万人が必要の無い知識なら要らないだろう
だが家族の仕事で必要だったり、将来転職して使う場合だってある
そういう時に必要な場合が多いものを小学中学或いは高校で学ぶんだよ
極端に言えば必要の無い知識なんてほとんど無い
今や義務教育では常識的なマナー、法令や理性的な行動について教えないといけない時代。
三角関数は後回しか?
この業種では必要って言い始めると、必ずどこかの業種では必要になる。そういう意味では不必要な知識はない。
不必要なものでも絶対必要という。みんな一緒が大好きな日本人らしい発想。
仕事で必要なら、その特定の人だけに教えればよい。
いっちゃなんだが、三角関数なんて二次元美少女オタクのデブがキャラの子のまつげの本数の知識を必死に覚えるほどの価値しかない。
そんな死に知識に時間をかけるより、いまや外人来日数が3000万人になろうとしてる日本なのに、いつまで経っても、I think, I think.,,から一歩もさきに進まない日本人のプアな英語力をまともなレベルに引き上げるほうが急務だ。
このような世論に侵されて学びを軽んじた結果、大人になった今、大変な後悔に陥っていますよ。
『三角関数は必要ない』は、現実から逃げたくて仕方がない夢見る人々が発信する願望だと感じます。
学びに必要のないものなど無いと思う。
全ては繋がっているし、学んだ事を繋げる(活かす)のも、全ては自分の考え方次第だと思います。
基本的なことだけ覚えればいいんじゃない?
仕事して必要なら勉強しなおせばいいんじゃない?
将来必要か不必要かは分からない。
弁護士などには必要のない知識。
快適に便利で先進的な生活をおくるためには必要な知識。
人生の中で取り返しの付かない失敗をするのは「起きているの理由が何であるか?」がわからない時ではと思います。
数字で表せない感情の問題は数学では解決できないし、数字の関係する問題は数学以外では解決できないでしょう。
三角関数にしても三角関数なら解決できることなのに気付けば詳細は三角関数に詳しい人に相談すれば良いことでしょう。
したがって、仮に数学が苦手でも、三角関数という関数があることを知っている必要はあるでしょう。
机の上で学んだことの大半が、1?10 全ての工程を活用することは皆無
しかし3の工程、7の工程と部分的に利用する時が来るかもしれない
社会で生きていると、そんなことはザラにある
三角関数は生きていくのには必要な知識ではないのだから、選択制にすればよい…
選択しなかった人は、それがどのような理論かすら知らずに通り過ぎるのではないか?
俺は親父から、なぜ学校でこんなに色々な事を勉強しなければいけないのか?にたいして
色々な(種類の)事をやるのは、
「自分が何が得意で、何が不得意か?を見つけるためだ。」
と、教えられた。
そして
「自分が見つけた、得意な事・好きな事を頑張って、一人前になれ」
と、躾けられた。
今の俺は苦手な事は放り出して、得意を頑張って働いている。
その仕事に「三角関数は必須」で、「英文法は不要」だ。
学校で色々な事を勉強させられたからこそ、今現在の「得意を伸ばした俺」がいる。
ありがたい。
スーツの着方もビジネスマナーも政治的知識もなしに市長ができるだろうか?
どれも知らなくても生活できる人はたくさんいる。
必要な知識はそれを必要とする人が見につけるもの。
自分が使わないものを不要と決め付けているだけにしか見えない。
それを生業に活かす職業もあるだろうが、基本的にただ単に生きていく上では必要ないだろう。しかし人生を豊かに生きるためには知っていて損はない知識。
要らないと思う。
必要と思われる職業を目指す人が選択すればいいんじゃないかな。もしくは興味のある人。
それより税とか年金とか相続とか不動産とか、生きていく上で必要なことを強制的に教えてほしかったなー。
大人になってから知らないことだらけ。
他のコメントにもあるが、三角関数が生きていく上で必要な人もいれば必要でない人もいるのでしょう。
橋下氏の主張は、自分の進路を決めたうえで、必要と考えられる人だけが三角関数を学べば良いということ。
しかし私はそうは思わない。
何歳の時点で自分の進路を決めるのか。
10代で人生90年の進路を決めて、いったん決めたら死ぬまで変更しないという前提で物事を考えるのはおかしいだろう。
若い時でないと身につけにくいことはたくさんある。
また、三角関数のみならず数学という科目は、数的思考力、論理的思考力を身につけるために、是非とも学生時代に学習すべき科目です。
三角関数自体が生活の糧になることはまずありえないが、数学を学ぶ過程で身につけられる素養が重要なのです。
私見では古文・漢文こそ必修科目から外すべきだと考える。
生活に全く不必要だし古文を学ぶことで得られる素養も必要不可欠だとは思えない。
橋下さんは頭は良いけど教養がない人の典型
数1程度の三角関数でギブアップなんだったら理論的な思考が出来ない人間になっちゃいますよ。出来ない子に勉学を教えるのが学校です。嫌でもやらせるべきですし、この程度が出来ない子に無理して進級も大学にも行かせるべきではないです。
大学入試にも必要だし、理系でも必要でしょう。また知識やその活用法などを学ぶこと自体に意味がある。
絶対は要らないだろうが、三角関数すら「知らない」とか言うおバカさんとは友達になりたくないな。
生きるのには必要ないが、より幸せに、より得する生き方ができる。
必要であれば会社が仕事の一部として教えればいい。ほとんどの人が学んだことをほとんど忘れてしまう中で、何年も前の学生時代に具体的な仕事に何にも紐付けないまま、ただ計算として学んだことなんて忘れるに決まっている。
英語も使いません。
学校で学ぶことの半分は大人でいらない知識です。
でも、若い内は自分の適性を知る為や周辺知識を得る為に、
職業直結しない知識もあった方がよいのではと思います。
専門以外全く興味ない大局観のない人が、
上にたつという世の中は怖いです。
効率よく生きたければ中学卒業後、
プロ(将棋やアイドル等)専門学校か高専に行けばよいのでは?
個人的にはどちらの道でも評価されればよいと思いますが。
我は3次元CAD図面作成で様々な建物や機械、細かな部位の開先加工などで溶接をして貰う別の現場同僚の為に絶対必要…それは中には不要な人もいるんではないか
生きていくのに必要かというとレベル差はあるけど定規と同じようなものでしょう。目分量や実際に作ってもしくは図を描いて実測すれば必要ないですが。
現在の教育のほとんどは現実的に使わない物がほとんど 時間の無駄 そもそもいじめを解決できない学校なら必要すらない。