福岡県大牟田市と周辺の旧三池炭鉱の各坑口そばにはかつて、坑内員の守り神である「山の神社(かみしゃ)」が鎮座していた。その一つである祠(ほこら)を昨年12月に取り壊された社殿の裏山で見つけたと、地元の男子高校生から特命取材班に連絡があった。同市の石炭産業科学館の職員が「大発見では」と驚いたという。調べてみると、同市の宮原(みやのはら)坑が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された一方、他の炭鉱遺産の風化が進む現状があった。
「大発見」したのは福岡第一高2年、時津孝隆さん(17)=同市宮原町。早速、宮原坑そばの時津さんの自宅に近い「山の神社」を一緒に訪ねた。
高さ3メートルはある立派な鳥居をくぐった先に、社殿の基礎部分が残っていた。その裏山を10メートルほど登ると、うっそうとした雑木林の中に祠が立っていた。石造りで高さは2メートルほどもある。炭鉱や考古学に興味があるという時津さんは「なぜ社殿の奥に祠があるのだろう」と疑問に感じたという。
実は市史に記録があった。祠は1898年操業の宮原坑より3年前の95年に出炭が始まった勝立(かつだち)坑の「山の神社」で、愛媛県の大山祇(おおやまづみ)神社を総本社として、坑内員の寄付により三池炭鉱で最初に建立された。
祠には「明治38(1905)年7月9日建立」と刻銘されており、市史の記述と一致する。昭和初期に新たに社殿が建てられた際、背後の祠は隠れてしまった。その社殿が取り壊され、時津さんが最近になって訪れた際に見つけたようだ。
「実物を見たことはなかった」
新発見ではないと分かり、時津さんはやや残念そうだが、石炭産業科学館はなぜ「大発見」と伝えたのだろう。坂井義哉館長(54)に尋ねると、祠の存在は資料では知っていたが「実物を見たことはなかった」と明かした。無理もない。勝立坑の閉山は太平洋戦争前の1928年。住宅地から外れた小高い山の上に鎮座し、近年は人が訪れることもほとんどなかったという。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180824-00010000-nishinp-soci
みんなのコメント
皆様 たくさんのコメントをありがとうございます!本人です!
この山の神神社の祠をたくさんの人に知ってもらえてうれしい限りです!
「明治三捨八年 巳 七月九日建立」と私が立っている横に刻まれていて、
記述と重なったので正直自分でもびっくりしました!
社殿が昭和初期に建てられ、長年木々によって守られてきました。
しかし、炭鉱が閉山し、参拝する人もいなくなり、昨年老朽化のため解体されました。
社殿跡の裏側は小高い山(三ツ山)と崖みたいなところがあります。
そこには古い鳥居や狛犬・燈籠・古井戸・記念碑?がありとても神秘的なところです。
でも祠より先にはいってはいけません。
江戸時代の通気坑が残っている可能性があるのでとても危険です。
ちなみに祠を発見した際はその場で石炭産業科学館に報告しました(笑)
大牟田は三池炭鉱で栄えた街です!炭鉱や鉄道・港などと一緒にこのような
炭都の風景も後世に残していきたいと思っています。
そしてもっとたくさんの人にこの祠の存在を知ってほしいと思っています。
質問など疑問に思ったことがありましたらTwitterにご連絡ください♪
長文ですがありがとうございました!