2020年度から初めて小学校で使われることになる5、6年の英語教科書は、7社が申請し検定を受けた。
基礎的な英単語や日常会話などを、豊富なイラストを交えて教えるほか、「聞く」「話す」を重視し、能動的な授業を進めるための工夫がなされている。
新学習指導要領は、小学校卒業までに600~700の英単語を学ぶとしている。大半の教科書は、自己紹介などで英語を聞き、話す体験によって興味を引く導入部を置き、
アルファベットの読み方と書き方、曜日や月、動植物を示す名詞、「走る」といった動詞、形容詞を覚えていく構成とした。
また、「私は~が好きです(できます)」などの基礎的な構文、「what」「who」を使った疑問形の作り方を紹介。
料理の注文や道案内といった身近な場面を多用し、児童がたくさん話す機会を設けた。音声を聞いて、内容と合うイラストを選ぶなどリスニングの項目も多い。
一方、計15冊の教科書には「学習指導要領に照らして不適切」とする意見が、各教科の中で最も多く付された。
文部科学省幹部は「初めての作成で、出版社もどこが指摘の対象かつかみにくかったのでは」と推測する。
各社にほぼ共通したのは、発音やアクセントに関する説明が足りないという指摘。各社は「文のどこが強く読まれるかな」といった注釈を加えたり、発音に焦点を当てたコラムページを設けたりする修正を施した。
他方、「Nは舌の先を上の歯ぐきに付ける」など、発音の仕方の細かな説明は「児童が理解しがたい」として削除に。出版社側は「きちんと説明すれば理解を深めると考えたが、逆にこれを見て英語嫌いになる子がいると判断されたのだろう」と推し量る。
また、「しかし」を意味する「but」などの接続詞が小学校で指導対象外とされているため、教科書の例文は接続詞を使わないシンプルな文章に修正された。
児童の使いやすさを目指した工夫も随所に見られた。「習ったことを子どもが自分で繰り返しやるのが重要」(出版社)として、QRコードなどを印刷し、音声や動画を視聴できるようにした教科書が目立った。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190327-00000021-jij-pol
ネットの反応
どうせ、試験対策に過ぎない。
日本人教師が英語を話しても海外では通用せん。
いや、もう、頭弱すぎるとしか思えない決定ですね。付け焼き刃で英語を叩き込んだって喋れるわけないじゃないですか 笑
英語ってのはね、言語なんですよ。コミュニケーションを取るためのツールなんですわ。
それをわざわざ子難しく「勉強」ってくくりで子供が食いつくと思います?
本気で英語喋らせたいなら、留学させるか英語を公用語にすればいいと思われます。
もっと他に大切なこと、あるんじゃないかなぁ。それすらわからないようなら日本の教育も終わりですね。
中学一年生の教科書が小学生に降りただけ。
そんな印象ですね。
なんで文字を読ませるのかな?
それは中学でやればいいのに。
せっかくの小学生の間にたくさん聞かせて
たくさん話して、それからの
文字を書く教育でいいんじゃないかなぁ?
本気で話せる、使える英語には
まだまだ遠い気がする。
指導者が話せないから、どうしても
文字に頼る気持ちも分かるけど。
お陰さまで、私たち英会話教室は
まだまだ安泰だと思いましたけど。
進学や将来の就職などを考えて、英語の勉強が必要かそうでないかを考えてる人が多いことに驚きました。
うちは2歳から通ってますが、単にコミニュケーション手段の1つとして喋れたらいいだろうなあと考えているので。
最近は、歌の歌詞に出てくる英語に興味を持ち、質問してきたりします。
普段の生活の中で交友関係が広がるのはとても羨ましいなあと感じます。
友人夫婦も2人ともペラペラで、海外に引っ越してしまいました。
大きな錯覚。そもそも綺麗で正確な日本語を聞き、話すことができない人に、まともな外国語を話せる訳がない。単語を覚えるのと、話を聞き、話すのは全くの別物で、話をするのは基礎的な教養が不可欠。そして相手が話を聞いてくれるかは話し手の人柄に大きく依存する。
英語より、日本古来の神話や近代史を教える方が需要で、中身の濃い話や興味ある話をできる人材育成の方が遙かに重要。英語が喋れなくても、スマホが翻訳してくれる訳で、英語が話せても、教養がなければバカにされるだけ。
もう英語教育は要らないでしょう。
それより、国語に力を入れたほうがいい。
学校の先生のTOEIC平均点が600点あたりという惨状をまずは変えないといけない。普通に大学受験していれば700点くらいは取れると思うが。もちろん、そんなレベルでは問題外で、TESOL専攻の先生を採用するなどの強化が必須だと思う。
オイオイ、文部科学省のおエレ?大センセ様とやらさ、一つ聞かせてくれねぇかょ?“音声”って項目あるケドよ、コレ、一体ダレの音声よ?よ?機械なンか?それとも欧米人どっかから引っ張ってきて話させるのか?
簡単な決まった表現だけなら話すことに特化してもいいけど、ある程度のレベルまで行くには基本的に四技能の習得が必須。リーディングが遅いのにリスニングができるなんてないし。
聞く・話す重視が聞いてあきれるよ
中学校卒業までに3割くらいは英語0点だろ
先生だって英語できないじゃん
だれが教えられんだよ ばーかみて
東大行っても外国に行ったことないのがいるだろ
できないことばっか目指してんじゃねーよ ばーーか!
英語を日常語にしないと話せない
「話せて、聞ける英語力」の論議にウンザリである。平成を通して、或いは昭和の終わり頃からの論議である。
「日本人が話せず、聞けない」理由は英語を話し、聞く必要性が無いのである。すると何処から、TOEICのスコアーの低さを指摘する声が聞こえてくる。TOEICは英語力を測る一つの物差しでしかない。TOEIC、或いは英検でしか、多くの国民にとって縁が無い、或いは必要性の無いskillにこだわるのか疑問である。
例え、日常会話程度が可能になったとしても、或る一定期間、口から
英語を出さなければ、その英語力は確実に落ち、使い物にならない。どの位の割合でspeaking,listeningの能力を必要としている人がいるのか?
むしろ、reading,に力を入れ、インターネットで海外の情報に接する力を身に付けさせるべきである。単一の言語での情報入手が偏った世論を作り上げる事も有る。
英語がこれからの国際社会で不可欠だというのは分かる。しかし個性を伸ばす教育と言っている一方、英語ができないとダメだとしか見えない今の教育ではないか?
言語はコミュニケーションのツールの一つにすぎないと思ってます。
個々の能力にもよるけれど、会話や文字として「日本語」での思考力と、正しいアウトプットの力が鍛えられ足りない幼児教育、初等教育のうちから英語教育って本当に必要なのか?と思うのです。
日本語だと、伝える側の言葉次第、受け手側の受け止め方次第で伝わる内容が大きく違う事が沢山ある、と言われている。
だからこそ「日本語でのアウトプット技術」ってとても大事な事。
また、意思や考えを伝えられない人も多い。
そういう所に対しての取組の方が大事だと思ってます。
翻訳機の日本語の読解力も大事。
英語、英語って騒ぎ過ぎ。他国の言葉に過ぎないのに。まるで英米の属国になったよう。
あれやれこれやれといつも言うが、今回も人も金も出さないのでしょ。教員の多忙化解消なんていつのことやら。英語の資格を持たない教員に臨時免許出して、一方では十年毎に免許更新講習を受けないと無免許だと言う。ご都合主義の極みだな。
英語の授業は、ネイティブとまでは言わないので、
英語専門の先生が絶対にいいです。
それと、テスト勉強の英語とは別にコミニュケーションが英語で出来るような時間を週一でもあればいいのと思う。
本当に短い楽しいストーリーを演じるだけで、聞く話すの習得が身に着くと思う。
日本人って頭悪ー!日常会話とか自己紹介とか普通の英語の文章を読み聞かせすればいいだけなのに中学生までこんな絵本みたいなの読まされて、、
日本人が話せないのは圧倒的に聞く機会と読む機会が少ないからなのに。
まず小学校教諭は英語を教えられる教諭がほぼいないこと
仮にそこで楽しさを覚えて中高に行き社会人でTOEICが必要ともなれば
最低でもセンター試験並みの文法と読解力が
必要になる
そこをどうこれから指導していくつもりなのか
今でさえ授業の半分が会話ごっこに使われて
なぜこの文の並びでいいのか説明がないと
困っている生徒が多くいる
今の会話重視は行き過ぎた
言語は必要が有れば憶えざる得ない。
使わないと忘却。
小学校ならば、音楽の時間でアルファベットや子ども向けの英語歌・童謡を歌うで良いのでは?
漢字だけでなく、英単語も小学校対象外とかやってるのか。
小学生 担任ではなく 英語は専門の先生が教えるべきだし、一年生から 聞く 話すをやらないと、遅い。外国では幼稚園からが当たり前なんだから!
特亜や朝日新聞や毎日新聞による反日捏造を教科書に明記すべき。
これって先生達の実力がもろに試される気がします。
英単語をどれだけ知っているか勉強するかより
失敗することを恐れない事が上達への近道と聞いた事があります。
先生達、無理しないで!
英語ができればそもそも小学校の教員になんかなってないだろうって
昔から何回も、何回も、英語教育に力を入れている気がするが、成果って上がってるの?
日本の受験なんとかしないと、無駄こだわり英語学習から、脱皮できないよ。
学校で英語を学んだほとんどの人が、英語を話せない、いやヒアリングできない。今まで、日本で暮らすには日本語が出来れば不都合はなかった。それは、観光客が増えても、何も変わらないだろう。
公立の小学校は教科書を変えても教師の裁量ひとつでどうにでもかわるからページが増えても
全て教えてるとは限らない。
例えば歴史の教科書は小学・中学校で内容が増えていくけど、原始時代から関ヶ原までは授業で取り上げても江戸中期以降はやらずに卒業するものね。