「男・村田」が現役生活に事実上のピリオドを打つことになった。
巨人や横浜ベイスターズで活躍し、現在はBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスの村田修一内野手がNPB(日本野球機構)球団の支配下登録期限である7月31日までにオファーがかからなかったことで会見を開き、その無念の胸中を明かした。
集まった報道陣を前に自身の今後について来季も現役を続行することは考えにくいものの、残りのシーズンは所属チームのために全力を注ぐ構えを貫いた上で「現段階では引退という言葉は使いたくない」と独特の言い回しとともに村田節を全開にした。
ただ、村田自身が言うように来季もユニホームを着続けることは極めて厳しいだろう。一切のオファーがかかっていない苦しい状況下であるにもかかわらず、今オフになってから急に都合よく事態が好転し、
セ・パ12球団の内のどこかからあらためてラブコールを送られるようになるとはやはりどうしても思えない。
そうなれば11月に予定されている国内トライアウトを受けるか、あるいは一大決心してメジャーリーグの門を叩いてみるなどしかなく、いずれにしても現役続行はイバラの道だ。
15年に渡るNPB球団での現役生活において村田は横浜時代に本塁打王のタイトルを2年連続で獲得し、2012年シーズンからの巨人移籍後も打撃はもちろんのこと正三塁手としてもゴールデングラブ賞やベストナインに輝き、投打に渡ってチームを牽引。
しかし17年オフ、巨人側から若返りを図るチームの編成方針によって戦力外を通告され、自由契約となっていた。
これだけ能力の高い選手が契約上では何のしがらみもなく手を差し伸べやすい条件となっていたはずなのに一体どうして“スルー”されてしまったのだろうか。誰しもが疑問を禁じえないだろう。
声がかからないのは極めてミステリー
一昨年の巨人時代は公式戦全試合に出場し、25本塁打、81打点、打率3割2厘をマーク。特に新人時代の03年から昨年まで15年連続で2ケタ本塁打を放っている長打力はダテではなく、今年38歳を迎えるとはいえまだまださび付く気配はない。そう考えれば、セ・パのどこの球団からもお声がかからないのは極めてミステリーだ。
ネット上では村田のNPB移籍が実現しなかった理由について「性格に問題がある」とか「人望がなくチームの和を乱す」などというかなり無責任なコメントが飛び交っているが、それは違う。
性格に問題があるどころか、どれだけ有名になっても鼻につく態度は決して取らず周囲に気配りもキチンとできる上、若手選手たちの模範になるような存在だった。
すっかり忘れてしまったか、あるいはまったく知らない人もいるようだが、巨人時代に生え抜きではない“外様”としては史上初めてとなる選手会長に当時の原辰徳監督によって任命されたのも、後輩のチームメートから抜群の信頼を得ていたことが理由だった。
退団した自らに代わり、チームの若手育成路線に乗って今季大きな成長を遂げた巨人・岡本和真内野手にも村田は律儀に“遺言”を残していた。その金言とともに自身の背番号25も受け継いだ岡本から今も感謝されているのは、男・村田の厚い人望を示す何よりの証拠でもある。
Gの中心選手・坂本勇人内野手や長野久義外野手の「サカチョー」ともグアムで自主トレを行っていた昵懇(じっこん)の間柄。
年上でかつてリーダーシップを取っていた阿部慎之助内野手とも、うまくやっていた。横浜時代もブレイク前の筒香嘉智外野手らから慕われ、彼ら若手とともに「村田軍団」なる一派を形成し、沖縄で自主トレを例年行っていたのはプロ野球関係者ならば多くの人が知っている。
だが、どうやら村田に関しては皮肉なことにこの人望の厚さや信頼度の高さが、NPB復帰への“足かせ”となってしまったところもあったようだ。村田の獲得調査を水面下で進めかけていたパ・リーグ球団の関係者は「個人的な見解も含まれているが」と前置きした上で、次のように指摘した。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180803-00000030-zdn_mkt-bus_all
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