少子化対策の一環として、女性が働きながら子育てしやすい職場づくりが急ピッチで進められています。私はまもなく50歳、子どもはいません。そのことを後悔してはいないのですが、産んでいない女性たちを非難するような政治家の発言をニュースで見聞きするたび、複雑な気持ちになります。私と同じように、「子どもがいない人生」を歩む同世代の女性たちに話を聞きました。(高橋美佐子)
「DINKs」と呼ばれた夫婦
「少子化と聞くと、ごめんなさいって思う。人間がなすべき大きな仕事をやらなかった感はありますから」都心の外資系金融会社に勤める女性(47)は、そう言って苦笑いします。同業者の夫(46)と都内のマンションで2人暮らし。平日の夜は夫婦一緒か別々かを問わず外食で、年1回以上、多い時は数回の海外旅行が恒例になっています。
少し前には夫婦でワインエキスパートの資格を取るために教室へ通い、今もコーラスや英会話など趣味も豊富。流行に敏感でおしゃれな2人は、バブル期に「DINKs」(子どものいない共働き世帯)と呼ばれたカップルをほうふつとさせます。
産め圧力、リーマン・ショック…「妊娠を前向きに考えられる空気なかった」
女性が子どもを持つことにちゅうちょしたのは、15年前に結婚した直後から続いた、義母の「産め圧力」でした。「とてもワンマンな人で、夫の実家へ行くたびに『子どもはまだ?』とせっついてくるんです。最初は笑ってごまかしていました」
夫が男兄弟だったこともあり、義母は女の孫を待ち望んでいました。ある日、義母が女性の実家へ電話をかけて「うちの息子は子ども好き。○○さんが嫌がってるの?」と探りを入れていたことが判明します。
「子どもを産んだら、義母はもっと私たちの家庭に介入してくる。これ以上親密になりたくないので、子作りは棚上げしました」
数年後、30代半ばになった夫婦は互いの意思を確かめ、「自然にできたら産もう」という結論に至ります。
そんな折、世界経済を揺るがすリーマン・ショックが発生。女性の職場では、同僚が上司から会議室に呼び出された後、自席に戻るなり荷物をまとめて出ていく事態が相次ぎました。容赦のないリストラで社員の2割がクビを切られ、産休を取っていた同僚の女性が復職できないケースも。
「当時は女性だけの部署で、誰かが『もし今1人でも産休に入ったら私は辞める。そのしわ寄せで、これ以上仕事が増えたら耐えられないから』と言い出したんです。妊娠について話すことがためらわれ、子どもが欲しいと前向きに考えられる空気ではなかった」
あれから10年。女性は今も夫とともに週末、同世代の友人たちとホームパーティーや旅行を楽しんでいます。子どもがいない男女も多いですが、中には「子どもが苦手」と言っていたのに出産した女友達、不妊治療に励んでいるカップルも。
「『もしリーマンの時にリストラされていたら』とか『もっと強く子どもを望んでいたら』などと、子どもがいる人生を想像する時もあります。
一方で、夫婦で一緒に遊べなくなることや『母親はこうあるべきだ』という世間の目にがんじがらめになるのが怖かったのも事実。産む産まないは、それぞれがゆっくり考えて決めるしかないでしょう」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180705-00010000-asahit-soci
みんなのコメント
生れ落ちた瞬間から労苦、病苦、死苦そして生苦という罰ゲームが始まる。
生まれなきゃ幸せになれないと主張する人もいるが、その四苦八苦を上回るほどの幸せなんてこの世に存在するだろうか。
私は「かわいい我が子」にそんな辛い思いをさせたくないので産まない。
母性が強すぎてゴメンナサイ笑。
先代が築いたーとか、次の担い手ガーとか言ってる方達は、完全に全体主義に洗脳された都合の良い駒ですね。思考放棄してる本人は悩みが無くて幸せそうですが、そういう人の近親者は反比例して不幸になってそうですね。
あと、産んでもらったくせにとかいう意見にはポカーンです。生まれてこないのが一番楽なのに。生まれてきてしまったから仕方なく生きてるんです。生きると決めた以上は楽しく生きたいので、テキトーに、産め産めの同調圧力はガン無視で生きていきます。そしたらまぁまぁ楽しい人生になりました。
今では不幸の連鎖を断ち切れたことに誇りさえ感じています。
自分さえ幸せで自由な人生を歩めたら良いという考えは即座にやめてください
産めばよいというものではないと思います。
子供をつくることは誰でもできるけど、ちゃんとした親になれる人は実は少ないと思います。
産まれてくる子供を幸せにできないのなら、子供はつくるべきでないと思います。