韓国では民主化されるまでの1970~80年代、当局による「北朝鮮スパイ」の捏造が横行した。北朝鮮の脅威をあおって独裁体制を維持するのが目的だったとされる。
特に、南北の支持者が日常的に交流する日本から韓国に留学した在日学生らは格好のターゲットとなった。
事件を理解するには、当時の韓国の社会情勢を踏まえる必要がある。南北分断の中、1961年に軍人の朴正煕(パクチョンヒ)がクーデターで権力を掌握。「反共」の軍事独裁政権と、「南朝鮮革命」を目指す北朝鮮は互いにスパイや武装工作員を潜入させ、南北の体制競争は激しさを増していった。
一方、国内では主にKCIAで知られる中央情報部(国家安全企画部を経て現・国家情報院)と国軍保安司令部(現・機務司令部)が民主化を求める市民や政治家を弾圧。
1979年に朴大統領が暗殺されると、保安司令部のトップだった全斗煥(チョンドファン)(後の大統領)が実権を握り、1980年には戒厳令支配に抗議する市民160人以上を軍が虐殺する「光州事件」が起きた。
こうした時代の中で、在日留学生「スパイ」事件は起きた。1971年4月、京都出身でソウル大留学中の徐勝(ソスン)さん、徐俊植(ジュンシク)さん兄弟が保安司令部に逮捕された。徐勝さんは19年を獄中で過ごした。
1975年11月22日には中央情報部が大規模な「学園浸透スパイ団事件」(11・22事件)を発表。在日学生18人が逮捕された。
北朝鮮は70年代以降、南に直接スパイを送り込むより、主に日本を経由した迂回(うかい)浸透戦術を選択するようになったという。
韓国内で「本物のスパイ」の検挙が減る中、政権維持に不可欠な「北の脅威」をつくり出さなければならない韓国情報当局の重点捜査対象になったのが在日韓国人だった。
在日社会では在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と在日本大韓民国民団(民団)の関係者が地域の中で日常的に付き合いを持つ。
親類や友人に両組織の関係者がいるケースも珍しくない。朝鮮総連の関係者をつなげていけば、簡単にスパイに仕立て上げられた。必要なのは、韓国情報機関の意に沿う自白調書。そのための手段が拷問だった。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181104-00000010-kyt-l26
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