家庭では普通に話せるのに幼稚園や保育園といった公の場に出ると突然話せなくなり、声も出せなくなる…。
このような傾向は、単なる「引っ込み思案」「恥ずかしがりや」だと考えられてきたものですが、実は「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」と呼ばれ、最近、幼児期の不安障害のひとつとして認識されるようになってきたそうです。れっきとした障害であり、本人の努力でどうにかなるものではありません。家庭や園の理解とサポートが必要になってきます。
話さないのではなく話せない、恐怖症の一種と考えられている
場面緘黙症とは、家庭内、家族内のように不安要因がない場面では話すことができても、幼稚園、保育園や人の多い公園などの特定の場所ではほとんど話すことができなくなってしまう症状のことを言います。選択性緘黙症(Selective Mutism)とも呼ばれています。
家庭で過ごす間はまったく会話に異常が見られないため、場所によって話さないのは本人が「話さない」と決めている、自分でコントロールしているものだと考えられがちですが、そうではないのです。話せなくなる原因は、話すことに対して人目を気にしすぎてしまう恐怖心で、多くの調査では女児に起こりやすいと報告されています。
困るのはその場で話せないことだけではない
場面緘黙症で困ることは、もちろん「コミュニケーションが取れない」ということです。その場で伝えたいことがあっても伝えられないことにより、本人もストレスを感じ、周囲も混乱する場面が増えるでしょう。
しかし、問題はそれだけではありません。まだまだ世間で場面緘黙症の理解が浅いため、「慣れれば話すようになる」「静かな子というだけ」など、理解されずに十分なサポートを得られないことからさらなる精神疾患に発展してしまう危険性があるのです。
また、反抗心から話さないのだと勘違いされ、不適切な指摘を受けることにより、さらに恐怖心が募ってしまうことも考えられます。家庭で甘やかされていることが原因だと誤解されたり、話さないことで、友達と馴染めず、孤立してしまうケースも多くみられるようです。
日本でも支援団体が増えつつある
場面緘黙症の根本的な解決策は、本人の恐怖心を取り除くことです。それは、個々の状況や性格などにしっかり配慮したうえで導き出されることで、とても難しい判断です。加えて、場面緘黙症の一般的な認知度が低いことも、有効な治療法にたどりつきにくくさせている原因だと考えられます。
しかし、最近は徐々に支援団体が増え、場面緘黙症に苦しむ子どもとその保護者同士がつながることも可能になりました。そういったつながりの中で、よりよい解決策、治療法を探し出す動きが活発になっています。
お子さまが場面緘黙症かもしれない、と思い当たることがある場合には、小児科医や専門家に相談したり、支援団体の作る情報サイトやSNSから有益な情報を得るなどして、様子を見ながら、しっかり見守ってあげたいですね。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180520-00010002-benesseks-life
みんなのコメント
あと厳密には違うのかもしれんけど
過去に厳しい叱られ方をした恐怖心から反射的に蛇に睨まれた蛙になってしまったりするのも
広義的には症状の一つと言えるのだろうか?
いずれにしても相手を選ばなければ口が利けないあたりなど
身に覚えのある事だらけで気になって仕方がないんだけど…
最近になって漸くテレビや映画でこの障害の事が取り上げられてきてるけど、昔は誰も病気だとは思ってなかっただろうし、完全に可笑しい子扱いだった。
親も極端に大人しい困った子としか思ってなかったと思う。
場面緘黙の特徴の一つの、緘動が書かれてないけど、これが中々治すのが難しい。
それに治療も出来ずに大人になってしまうと社交不安障害にもなってしまったりするから、子供の内に出来るなら治した方が絶対に良い。
後、少しなら話せる、緘動がないタイプは場面緘黙ではないと思う。
場面緘黙は、そもそも発声が出てこないので。
わかりやすく言うと、促されないと動けず、無表情。家では喋れるけど、家に先生や学校の同級生が来ると途端に人形のように戻る。
家ですら喋れぬ事がある。
大人の元場面緘黙もどうにかして欲しい…
同じ小学校の同じクラスだった、1人の友達とだけは普通に話せていた(`・ω・´)
少人数で打ち解けた人となら話せるけど、人数が増えるとダメ、もしくは場所が変わると人が同じでもダメ、など色々あるはずですよ?
単に、家以外では話せません、周囲の助けが必要、って言ってるのは、可哀想、この子は何もできないから、って憐れんで、自立を妨げることになる。
家があるから、そういう言い方ができるんです。
これで最初から親がいなかったらどうするの?
施設で暮らしていたら?
親戚に預けられていたら?
家、と家以外、って言い方すれば、子供が余計に話せなくなりますよ。
いろんな人がいていろんな関わり方があっていいじゃないか、と思う。
レクレーションとかカラオケとか嫌いな人は社会人失格みたいな風潮がストレス。
2歳下の妹は3才の時、家庭の事情で、保育園に異例の7月から入ったが、先生がどんだけ優しく接しようが、喋らない動かない、微動だにせず正座で真っ赤になりうつ向いたまま。我慢の限界で正座したままオシッコ漏らす。
同じくその保育園に通ってた私を見つけたら、一目散に駆け寄って私の後ろでジーッと。
(その時の先生曰く、こんな子は初めて!)
それが1週間続いたから、親も先生も困り果て、これまた異例の姉(私)と同じクラスで学んだ。
とにかく家と保育園とでは全く違ったから、私としても困って困って、、
勿論先に私が卒園したから、その後も先生と親は動かない喋らないで、だいぶ困る事が多かったみたい。
ようやく小学中学年くらいから自分の意志を出すようになって、今では結構社交的に。
あの時の妹はもしかしたらこの病気?だったのか?と今、記事読んで思い出しました。
普通ってなんだろうな、と思う。
人と違うってそんなにいけないんだろうか
でもニコニコしてて、意地悪も言わないから好きだったな
私が質問して、頷くか首を振るかでコミュニケーション取ってた記憶w
でもうちの親は「ろくに挨拶もできない変人」「男のくせに覇気がない」と嫌ってて悲しかった
それがわからないと他人との会話はできないです。
そんなこと教えなくても自然にわかる、と思い込んでいる人も多いかと思いますが、場面場面に即した台詞をわざわざ教えないと「会話の仕方」が覚えられない子供もいるのです。
ああ、親が事前に「いいえ、けっこうです」という台詞と、それを繰り出すべき場面をレクチャーしていてくれたら、あの時に私は全速力で走って逃げたりせずにすんだかもしれないのに!
幼稚園の頃、女児が陰口?言ってたの今でも覚えてる。
「このままだと一生話せなくなるんじゃないの?」って。
別に人見知りなわけではなく恥ずかしがり屋なわけでもなく
仲良い子とは話したりするけどね。サイン帳の第一印象が「おとなしい、無口、暗い」とかだったけど今の印象は?ってのが「うるさい、明るい」に変わる(笑)
クレヨンしんちゃんで言うとボーちゃんタイプだった
仕事するようになってからなおった。
みんなちがってみんないい。
金子みすゞもガックシですよ。
家の中、親しい友人とは普通に話せるのですが、仕事場などではよく言葉に詰まってしまい言いたい事が言えない時が多々あります。そのような相談を親にしても親は家の中の私の事しか知らないのでとても信じられないらしく「貴女の考えすぎではないのか?」と寧ろ冷たい目で見られてとてもショックでした。大人になってからは特に気付かれにくくなる症状だと思うので、子供の頃からしっかりと親が気に掛けてくれればなと思います。
たぶん、私も幼い時場面緘黙症で、娘もそう。
私は未だに、ある一定の場面で喋れなくなってしまう。
子供の病気のように書いてあるけれど、治る事はあるのだろうか。是非知りたい。
でもなぜか、自分と二人だけの時は喋ってた。
すごいお喋りだった。
子どもだったから特に疑問に感じなかったんだけど、大人になってから場面緘黙症だったのかとわかった。
卒業と同時に引っ越してしまったけど、彼女が本来の明るい性格で生きていきていること願わずにいられない。
「家では家族と話できるらしい・・・」という情報しかなく、誰もその声を聞いたことがありません。
初めて接すると「わざとじゃないの?」と思いますが、例えば熱いものを飲んだら「熱っ!」とか、どこかに体をぶつけたら「痛っ!」とか、驚かされて「キャーッ!」とか誰でも突発的に声のあがる場面ってあると思いますが、それすら一切無いので障害だと理解しました。
私がなにかあげてもありがとうが言えないので
その度にお母さんがありがとうはと言ってます
中学生になっても話さない男の子は首を振るか
ジェスチャー子供同士は勿論話すんですけどね
でもアメリカ留学もしたし普通に元気になってた。
が。。。なんと乖離性障害もあった。トラウマ治療中。
画面緘黙症の人ってかなりデリケート。デリケートなんてなんの役にもたちやしない。
ただ、そういう俺から言うと、一定の恐怖感は持っておくのも悪くないと思ってる。
ペラペラしゃべるのも逆から言って危ないからな。むしろ怖いという感覚が静かなブレーキになってくれて丁度いい。
周りの友達も100%信用すべきでないと思うのは、やっぱどっかで別の場所では自分のことも話題になってて、ペラペラしゃべってるとそれが良くない材料になってる。おっちゃん(俺)はあんま気配ないせいか、また、逆に聞かせようとそういう人らがしてるのか、耳に入る。だから、キジも鳴かずば撃たれまいに、という親伝来の言葉の意味を色々考えさせられる。
とは言え、基本的なこと、あいさつ、要る要らない、感謝諸々のそういう事は理屈抜きに言うべき。これは訓練。恥ずかしいはなし。おはようと言われて恥ずかしい・言えないは通じないし逆にやられたらどう思うか考えればいい。そこは俺もスパルタ否定派だが、スパルタなるw
人前で話すと涙が出てきて、上擦る声に嫌悪して、もっと喋れなくなって…の繰り返しでした。
とにかく、喋れない。
発達障害の一部とはビックリ…。
成長するにつれ、克服出来ましたが、子供を持った今でも、人と話すのは苦手です…。
子供が保育園に入り、人との関わりも増えてくるので、踏ん張りどころだな、と改めて思います。
子供は、私には似ずに、私より先に先生にベラベラ話してくれるので、助けてもらってる部分も多いですが(笑)
5歳から入って、いつもはずっと家にいたからか、幼稚園で何を話せばいいか全くわからなかった
でも周りのお友だちとか先生がすごく優しかったのを覚えている
小学校にはいるとき、母と、
『お友だちに元気に挨拶すること!』
という約束をし、学校で勇気を出して挨拶しました。
それから友達ができました
何を話せばいいか本当にわからないんです
あの不思議な感覚は未だに覚えています
自分の場合はですが、周りのみんなが優しかったからよかったと思っています
たぶん成長に伴って生き辛いでしょうね。
まさか受験や就活で「緘黙なんで」って通用しないでしょうしね。
まずは自分や周囲が病気を受け入れて乗り越える努力しないと社会的には受け入れられないから国も治療法やリハビリ法を積極的に研究推進してあげてほしいですね。
この病気だったのかは不明。
こういう病気は、明らかに脳波に異常がでるとかじゃなかったら診断が難しいよね
わたしは家では普通にしゃべれたから、親戚のおばさんから「外では気取ってる」って言われてすごく嫌だったな。
「こいつは外では良い顔ばかりしてる、家ではこんなんじゃないんだよ」って私の同級生に言いふらされたけど、今思うと酷すぎるw
疑い出したらキリがない。
少し話せても場面緘黙です。