あこがれの刑事になって半年足らず。上司らから陰湿ないじめを受け、「耐えられない」と書き残した警察官の死は公務災害と認定された。
大阪府警四條畷署の男性巡査部長=当時(28)=が平成25年9月に自殺した問題。母親(59)は当初、その理由がまったく分からなかった。
突然の別れから11日でちょうど5年。息子の苦悩に気づけなかった自分を、今も責め続けているという。
玄関ドアのすぐ先に、巡査部長の最期の姿があった。最初に見つけたのは母親だった。「出勤してこない」と連絡を受け、官舎に駆けつけた。
「何で、あかんやん。何してんの!」。母として、息子を叱るような言葉を発したのは覚えている。後の記憶はぐちゃぐちゃだ。
それが5年前の9月11日。巡査部長の妻のおなかには当時、2人目の娘がいた。診察のため、その前日に病院に近い実家に戻っていた。長女もまだ1歳。遺書には「幸せやったで」と、家族への感謝がつづられていた。
だれも理由が分からなかった。巡査部長の父親(59)は息子の妻の両親に不明を恥じ、土下座して謝罪した。手がかりになりそうな遺書の言葉はわずかに2つ。「つらかった。耐えられない」
身長182センチ、体重90キロ超。体格に恵まれ、高校から始めた柔道でも、めきめきと頭角を現した。プロレスラーにもあこがれていたというが、
父親と同じ大阪府警の警察官として生きる道を選んだ。自身の結婚式では「父のようになりたい」とスピーチした。
四條畷署に配属され、あこがれの刑事課勤務になって半年もたっていない。職場で何があったのか-。
不信感を押し殺し、母が遺品整理のため刑事課を訪れると巡査部長の机に花があった。同署の幹部はそれを示して「有志からです」と説明した。
そして「いろいろ聞いたが、自殺の理由は分かりません」と首をかしげた。真相解明に動く気配はなく、母は息子の後を追うことばかり考えていた。
10月を過ぎたころ、風向きが変わった。府警本部が本格的な調査に乗り出した。当時の監察室の担当者が告げた。「お母さん、ご子息の最後の声を聞きたいと思います。必ず探します」
いじめの実態が次第に明らかになった。支えだった家族の写真。それを貼ったスマートフォンの裏ぶたは刑事課の酒の席で、鍋の残り汁に投入された。
次女の出産を控え、我慢しなければと余計に気負ったのだろう。同じ警察官の父を意識しすぎたのかもしれない。「もっと弱い子だったなら」と母は言う。
悲嘆の中で、前を向くきっかけとなったのが公務災害の手続きだった。息子の妻と2人の孫娘のために、さまざまな書類作成を両親が代行した。
書面のやり取りであっても、昔のように妻と会えることが何よりうれしかった。公務災害の補償金は、息子が愛する妻子に残した財産であり、償いでもあると感じている。
父は今も現場で働く。真面目に職務に励む警察官のほうがはるかに多いと、母も分かっている。何より警察官を目指したのは、息子の意思だった。
監察の処分と公務災害の申請では、府警は積極的に救済に動いた。ただ、あのころの四條畷署を恨む気持ちは変わらない。母の葛藤は続く。「当時の刑事課の上司たちを許すことはできない。一方で私たちの気持ちをくんで動いてくれた人も同じ組織にいる。それが現実です」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000553-san-soci
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