神奈川県秦野市にある鶴巻温泉。熱海や箱根と同じく、都心から1時間程度でアクセスできる小さな温泉郷だ。戦後は首都圏の“奥座敷”として栄えたが、バブル崩壊などを経て、宿泊施設が激減した歴史がある。この閑静な住宅街に囲まれた土地に、働き方改革の先端を走る老舗旅館がある。創業100年の「元湯 陣屋」だ。将棋のタイトル戦が行われることで有名なこの旅館は、
最近では、業界では珍しい週休3日を実現し、自社開発のクラウド型旅館管理システム「陣屋コネクト」が、日本サービス大賞の総務大臣賞を受賞するなど、各方面から注目が集まっている。
今でこそ、旅館業におけるIT化のお手本のような存在になっているものの、10年前は「あと半年で倒産」というところまで追い詰められていた。そこからどのように復活を遂げたのか。代表取締役 女将である宮崎知子さんに聞いた。
10億円の負債を抱えていた「元湯 陣屋」 それでも後を継いだ理由とは?
当時の陣屋は、バブル崩壊後から売り上げが下がり続けており、加えて病気などの理由で社長の交代が相次いでいた。宮崎さんの夫である富夫さんは、もともと旅館を継ぐ気はなく、本田技研工業(ホンダ)で燃料電池を開発するエンジニアとして働いていたが、
父が急逝し、母が病で倒れ、陣屋の経営者が不在となったことで、急きょ跡を継ぐこととなった。ホンダを退社する決意をするまで、2週間程度しか時間の猶予がなかったという。
当時は売り上げが回復するめどが立たず、何とかして陣屋を廃業しようと考えていたところ、リーマンショックで資産が10分の1に目減りしてしまう。多額の借入金を抱えていたこともあり、気が付けば負債が10億円にまで膨らんでいた。
「義母も病気になってしまい、自分では陣屋の幕を引くこともできない。そこで夫に話が回ってきたんです。最後の手段として考えていたM&Aを手伝ってほしい、というわけです。
有名なホテルグループや旅館グループが候補になりましたが、そのほとんどが見学だけで破談になりました。当時、建物は老朽化していましたし、観光地としての魅力も乏しかったためだと思います」(宮崎さん)
そんな中、値を付けた企業が1つだけあったが、その額はたったの1万円。しかも買い取るのは運営権だけで、宮崎さんの借金が消えることはない。
万事休す――そこで宮崎さん夫妻は「旅館を継ぐ」という驚きの選択をする。その理由は、ひとえに「息子を巻き込みたくなかった」ためだという。
「リーマンショックのような大不況が起こるとは思っておらず、義父の相続人に息子の名前も入れてしまっていたのです。正直、盛り返せるかどうか分からなかったですが、人に任せてもうまくいきませんでした――
では、逃げることもできない。自分たちでやれば、いつ資金がショートするのかが分かるため、まだ対策がとれると思って引き受けました。義母には当初、相当反対されましたけども」(宮崎さん)
こうして、2009年10月に宮崎さんは4代目の女将に就任。社長となった夫と共に陣屋の経営を引き継いだ。
しかし、運転資金はあと半年でショートするという状況で、短期間で業績を改善する必要がある。時間がない中、陣屋の経営を分析したところ、さまざまな問題が見えてきた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000019-zdn_ep-sci
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