自宅で心肺停止した患者の家族が、蘇生や病院への搬送を拒否するーー。NHKの「WEB特集」(10月2日付)で、救急現場が直面している「蘇生拒否」がレポートされている。2017年で少なくとも2000件が報告されているという。
背景には「家で最期を迎えたい」「延命治療は望まない」など、特に高齢者の希望があるようだ。典型的な事案は、がんなどによる人生の最終段階にある在宅患者の例だ。
本人が延命を望まない意思を示していても、容態が急変すれば家族らは119番通報する。ところが、かけつけた救急隊によって心肺停止が確認され、蘇生措置がとられようとすると、「やめて」と言われてしまうのだ。
とはいえ、救急隊員は命を救うのが仕事なので、現場で板挟みになってしまう。蘇生拒否をめぐる法律問題について、江上裕之弁護士に聞いた。
●覚えておきたい「DNAR」という言葉
「心肺蘇生を望まないという意思表示のことを、『DNAR』(Do Not Attempt Resuscitation)といいますが、2017年には年間2000件以上、救急現場でDNARへの対応が問題になっており、各種メディアでも取り上げられています」
ーー蘇生を望まないなら、119番通報しなければ良いのでは?
「心肺蘇生を望んでいないのに119番通報するというのは不思議な話だと思われるかもしれません。ですが、いざ家族が心肺停止になったとき、とにかく救急車を呼んでしまうというのは仕方のないことです。
また、介護施設で入所者の方の容態が急変したとき、職員の方がまず119番通報し、その後家族から本人が心肺蘇生を望んでいないことを告げられる場合もあるようです」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00008843-bengocom-soci
ネットの反応
ターミナルケアの病院で働いた事あるが。
経管栄養入れながら。
拘縮して管だらけで寝たきりでただ呼吸だけしてるだけの人間に果たしてこれは意味があるのかって疑問に思いながらやってたよ。
こんな状態で90歳おめでとうって言われても俺ならうれしくないって思ったよ。
まだ30手前だけどさ自分が年寄りで死ぬ時になったらどうしたいかって考えてしまったよ。
最期の苦痛を和らげるために麻酔を施すことを認めて欲しい。
末期がんの知人が、家で意識不明に陥った時、奥様がかかりつけ医を呼んだ。呼吸が浅くなっていく最中に医師が到着、そのままご臨終となった。
救急車は、呼ばないように医師に言われたそうだ。
初めは、何で?と思ったがもう治る見込みはないし、無理に寿命を延ばしても苦しいだけで、亡くなった後、警察が来るまでお葬式もできないし、遺族の負担を考えての事かと。
事前に家族と延命措置をしないと話し合っておくのは遺言書を書くのと同じぐらい大切になってくる。
高齢家族がいます。まだ救急車を呼ぶような事態に直面したことはないですが、いざ何かあった時に、冷静でいられるかどうか分からないし、それにちょっとした体調不良なのか、重大な体調不良なのか判断できる自信がないです。
つまり、救急隊員の人からどういう処置が必要なのか聞いて、はじめて本人が治療と共に受ける苦痛を理解するという可能性はおおいにあると思う。
選択できるようになればいいなと思います。
かかりつけ医で往診してくれる所がどれだけあるか?
往診が無いと救急車呼ばずに対応すれば不審死で警察沙汰になる。呼ばずに打てるてがない以上どうしようもない
大多数の家族は、90才近い認知症のある親に、自然な形の死を希望します。延命治療はいらない、苦しまないようにと。それを、90才の老人に、挿管してくれ、フルコースの治療をしてくれという、息子。だいたい独身です。
現場に判断を委ねるって、無責任な。。
ちゃんと法整備しましょう
文章を作っておけば大丈夫とか、まったく現場をしらない弁護士に呆れかえる。
知識の薄い方が記事を書いてるのかな?訪問診療や訪問看護が入っていれば、救急車を呼ぶなんて事、ほぼないですよ。
覚悟はしていても、本人が苦しみで「救急車呼んでくれ」と言い出すからね。呼ばないっていう約束だったのに。
癌との長い闘病の後、妻が亡くなりました。最期に私も病室で付き添っていましたが、寝ていました。突然アラームが鳴り、病院のスタッフが来られました。
ただ後から思うに、自分の判断がどうであったのか、その事を後悔してしまってよいのか、定まらない今の自分がいます。
遺言も何もありません。まだどこかの病院にいるかもしれません。まだ1年しか経っていませんが、そんな毎日です。
取り敢えず今は子供達がなるべく困らない様に、学校や塾、受験、必要な物、普段話をこまめに実践しています。
こんな身の上話を聞いて頂きましてありがとうございます。
おうちで死にたいけど、変死となるじゃないですか。家族のその後が大変じゃん。保険のために救急車呼ぶよ。
障碍の場合は別として、寿命が近づいて自分で身体が動かせなくなった時点で人生は終わり。 延命措置をしたところで周りに心配や迷惑をかけ続けるだけだし、財産も医療費も食いつぶすし、自然に死んでいくのが一番いい。
救急車を呼ばないまま亡くなると、殺人の恐れと難癖をつけるバカ警察が来て現場検証と家族を取り調べるからでしょ。
延命処置など病院側の金儲けにしか過ぎないのが事実。
DNARって一言で言えば簡単だけれど、DNARはイコール蘇生しないではないと思っておいてほしいと個人的には思います。
そもそもDNARの定義ってみんな知っててつかってるんだろうか?
主治医もいなくて自宅で最後を望んだ場合
救急車も呼ばず亡くなるのを見守った場合
遺族は何か罪に問われたりするのでしょうか?
亡くなった場合まずどこに連絡をするべきなのでしょうか?
病院で亡くなるケースしか体験していないので
自宅の場合はどうなるのかいまいち分かりません
終末期を迎えたそういう人の親族は、これからは「救急車を呼ばない」という勇気が必要とされるのだと思うが……
しかし、救急車を呼ばないということが自殺幇助だとか言われてしまうのが今の世の中です。
それに医者の見てないところで死者が出ると「殺人ではない」ことを証明しないといけなかったりするからなぁ。
救急車を呼ぶことは救命のスイッチを入れるということです。突然の急変はともかく、普段の病状から最悪のケースが考えられる時は、事前に本人や家族、主治医とが話し合って対応を決めておくことが肝要です。救急隊員は要請があれば救命に全力を尽くします。
蘇生拒否したら未必の故意にならないのか?
想定は厳しく、家族だけでのような甘い話では世間や法律は納得できない。
死にたい死んで欲しいは遺産目当てやら、介護疲れからの突発的なものなど様々。
治療拒否、救命拒否には医師や介護者に後々の訴訟リスクまである。その場で言われても困ること。
私の父は、9年前に71歳で逝きましたが、最期は、自宅に開業医を呼んで立ち会って貰いました。
医師が、午後7時25分に御臨終ですと。
この開業医の医院は、午後6時55分迄通常の診察をしていたので、私の自宅迄歩いて15分の距離とは言え、忙しかったと思います。
約1年間位は胃ろうをしていたので、今更救急車も無いと思いました。
因みに父は、厚生年金+会社の退職年金で1カ月約35万円の年金生活で、最後迄バッチリ住民税なども支払っていました。
父は、25歳時点の両手の握力が95kgの力自慢でしたが、晩年は降圧剤だけで4種類7錠も処方薬を服用していました。父の死の6カ月前に母の実家で葬儀があり、やむなく他市の初めての病院へショートステイをお願いした時、先方の医師が、「普通は、この様な処方はしない」と驚いていました。尚、処方医師は、1カ月に1回受診していた県立医療センターの医長の担当医師でした。
じゃあ救急車呼ぶなって話なんだろうけど、家族はまた別の考え方することも多いだろうしね。普通こういうのって本人より家族の意向を優先するよ?死んだ人が裁判沙汰にすることはないから。
一定の年齢になると本人の意思を確認して情報登録しておく制度があったらいいかも。
自宅で死亡が確認されると警察に連絡されるから後が面倒
本人や家族の気持ちも理解できるけど、現場の救急隊員にとっては困惑ですよね。
きちんと法令やマニュアルで対応を決めてあげて欲しいです。
命に関わる話な分、本人の判断でやって何か起こった場合の責任の所在が難しそう。
だからさっさと尊厳死に関する法案出してくれよ
人間いつ死ぬか分からないんだから、常日頃話し合っておくべきだね。
厚生労働省は在宅医療を推進しています
しかしその方は、ベットの削減から初めて
患者を病院から追い出し受け皿が無い状態です、
近くに訪問看護や訪問ドクターがあれば良いが
病院は厚生労働省、救急は総務省、調整してくれれば
救急隊員が板挟みになることはないとおもうが
制度設計の不備は弱者に行く
救急隊員が看取りなんてしている時間はないし、余裕もない